連続性力学について:2:+iの傾斜力学が連続点・連続性力学である:

連続性力学について:2:+iの傾斜力学が連続点・連続性力学である:ゾロアスター教ユダヤ教


テーマ:自己認識方程式(+i)* (-i)⇒+1


『連続性力学について:反動的感情が連続性の力学である:父権制一神教が連続性力学を生んだ』http://ameblo.jp/renshi/entry-10494347108.html
先に以上のように検討したが、さらに考察を緻密明晰にしたい。
 

 先に連続性力学の根因を+iの傾斜による父権制一神教に求めたが、この+iの傾斜による連続性力学の仕組みを考えてみよう。
 先ず、母権的精神は、+iと-iとの即非的調和的共鳴である。しかるに、父権的精神とは、即非的共鳴と+iへの傾斜が「併存」する様態があると考えられる。
 言い換えると、父権的精神も初期においては、母権的な即非的調和的共鳴性があるものの、潜在する+iへの傾斜が現実態(エネルゲイア)化し、不均衡・不安定をもたらすと作業仮説しよう。
 だから、初期即非的均衡と活性化された+i傾斜の間で不均衡・不安定が生まれるということになる。
 このとき、+i傾斜の自己は、初期即非的様態に対して、否定的態度を取るように考えられるのである。なぜなら、今や優位的ないしは主導的になったと考えられる+i傾斜の自己は当然、初期即非的均衡を劣位的にないしは従属的に見ると考えられるからである。
 この+iの傾斜自己エネルギー(攻撃的能動的エネルギーではある)の発露自体が、連続性力学の出現と言ってもいいのではないではないだろうか。
 というのは、初期即非的均衡にいわば、連続点が発現するからである。なぜ、それが連続点であるかと言えば、-iに対する+iという自己優位が生成して、差異の即非的均衡が解体するからと考えられる。つまり、本来、+iと-iはそれぞれ、絶対的差異であり、不連続なのであるが、+iの優位が生起すると、+i中心的に主体が作用するのであり、それが、初期即非的均衡のもたらす⇒+1の現象を支配することになり、結果、+i⇒+1、さらには、+i=+1 になると考えられるのである。これは、初期即非的均衡の成果を簒奪するような作用と言えよう。つまり、これが、抑圧である。Media Pointの抑圧である。あるいは、否定、排除、隠蔽である。当然、暴力・攻撃・破壊的である。
 この優位傾斜した+iが連続点であり、連続性力学であり、それが、同一性(物質)の+1と合致した様態が連続的同一性であり、シュタイナー精神科学的に言えば、ルシファーとアーリマンの合体である。
 とまれ、父権制一神教とは、端的に、+iの連続的傾斜力学がもたらすものと言えよう。
 では、先に問題とした同一性+1の原理はどこから生まれるだろうか。今の直感で言えば、父権制一神教の誕生と同時ではないだろうか。否、正確に言えば、父権制ないしは父権的宗教の誕生のときではないだろうか。
 なぜなら、連続性力学があってこそ、同一性+1と連続化して、差異、Media Pointから切り離された同一性の原理が誕生すると考えられるからである。
 ここでゾロアスター教を考えると、それは、単に父権的宗教ではなく、母権的宗教の側面を残している。否、父権的宗教ではないと言えよう。
 ゾロアスター教は、父権的宗教が誕生したとき、つまり、連続性や同一性が形成されたとき、それに対抗するための叡知の母権的宗教であると思われるのである。何故なら、それは、初期即非的均衡つまりMedia Pointをアフラ・マズダーとして、積極的に肯定する宗教であるからである。(思うに、+iの傾斜に対する、初期即非的均衡の復興であるとも言えよう。)
 さて、最後に一神教、とりわけ、ユダヤ教を考えよう。否、的確に言えば、ヤハウェ教を考えよう。これこそが、真の一神教であるからである。ユダヤ教は母権的宗教の名残りをもっている。というか、正確には旧約聖書がそうである。
 ヤハウェ教とは、+iの極大的傾斜力学を意味すると考えられる。つまり、連続的同一性力学(ルシファーとアーリマンの合体力学)である。
 これは、究極のエゴイズムの宗教である。誠に恐るべき宗教である。
 しかしながら、旧約聖書自体は、ヤハウェだけでなく、エローヒーム(神の複数)が存しているのである。
 エローヒームこそ、母権的宗教の存続を意味するのである。オリエントの母権的宗教である。
 だから、ユダヤ教とはまったく矛盾した宗教であると考えられる。一方では、父権的宗教の連続的同一性(二重悪魔性)をもち、他方では母権的宗教の即非的均衡性をもっているからである。
 今はここで留める。