同一性構造と自然科学:イデア界の構造の試論

現代の科学的技術は、量子力学を活用している。しかし、意識・認識はそこまで、追いついていない。意識・認識は、いまだ、同一性構造に支配されている。だから、現象界的知性・科学に留まっているのである。
 ところで、自然は、同一性構造的技術に服す形になっている。同一性構造とは、カントの超越論的形式と通ずる。問題は、同一性構造とは、主観的構造なのか客観的構造なのかである。これは、ヌース理論とも関係するが、同一性構造とは、同一性の志向性であり、主観的構造であると考えられる。だから、カントが正しいのである。超越論的主観形式である。カントの「物自体」とは、差異であり、究極的には、不連続的差異、イデア界である。
 問題は物質とは何かである。それは、同一性構造の主観性・視点によって捉えられた差異のことである。つまり、主観化・同一性化された差異である自然である。つまり、物質とは主観的自然に過ぎないのである。「客観」的自然とは、メディア界であり、イデア界である。
 だから、現代の自然科学とは、主観形式的自然科学であり、とても、客観構造的自然科学とは言えないのである。換言すると、差異を同一性形式によって把捉したものである。もっとも、量子力学は、相補性であるメディア界を対象としている。量子・素粒子とは、もはや、物質ではない。それは、思惟と延長との相補性である。心身であり、メディアである。超越論的現象である。そして、さらに、超メディア=イデアがある。超量子、超素粒子、「超アトム」である。ヌース理論では、NOOSやNOS等である。これは、フッサールの超越論的主観性、根源的志向性(ノエシスノエマ)の世界である。不連続的差異の志向性、不連続的差異のいわば、内在力、境界力である。i力である。知即存在、知即力の理念点である。
 メディア界において、差異1☯差異2で、量子・素粒子を形成した。☯が光速を意味しよう。しかし、イデア界では、☯はなく、ただ、差異の内在的力iがあるだけである。即ち、不連続的差異iであろう。この不連続的差異iが、内在的志向性でもあろう。これが、思惟と延長を包摂した理念点であろう。つまり、原思惟=原延長であり、ヌース理論で言えば、NOOS=NOSであろう。NOOSが物質形成力、NOSが認識力になっているようだが、これは、イデア界では同一であろう。つまり、不連続的差異ないし不連続的差異Iである理念点とは、NOOSであり、NOSであろう。NOOS即NOSである。結局、図式化すると、


差異1i差異2i差異3i・・・差異ni


又は


dd1idd2idd3i・・・ddni


(ただし、ddは不連続的差異であり、iは1/4回転力である。)

であろう。iがいわば、境界になるのだろう。また、思うに、原思惟とは、強いて言えば、iであり、原延長とはddではないだろうか。原延長・原点は、iという原思惟をもつ。iは志向性である。だから、i を志向力と言えるだろう。そして、不連続性とはiに根拠があると言えよう。結局、超アトムとは、不連続的差異iのことである。思惟即延長の不連続的差異・理念点である。これを思延点ないし知存点と言えよう。これが不連続的差異であるイデアである。そして、iの志向力とは、光速を超えるだろう。それは、超光速、無限速度であろう。阿弥陀如来の無量光とはこの志向力を指しているのだろう。また、それらは総体として、善のイデアでもあろう。また、アマテラスでもあろう。善神アフラ・マズダーでもあるし、また、本来のイエス・キリストでもあろう。思うに、最初の1/4回転で、太陽を形成するのである。それは、メディア界の太陽であり、同時に現象界の太陽でもあろう。D.H.ロレンスが述べた黒い太陽ないし暗い太陽dark sunとは、この太陽の裏返し、背面・背後を意味しているのだろう。つまり、イデア界の太陽、原太陽である。阿弥陀如来である。(ついでに言えば、ロレンスの説くコスモスであるが、それは、この1/4回転によって生じるコスモスであると言えるだろう。これは、メディア界のコスモスではあるが、正しくは、イデア/メディア的コスモス、略して、イデメディア・コスモスである。)
 だから、太陽にイデア界を観ようとするのは正しいのである。大日如来である。ご光来である。では、何故、円や球体なのか。それは、1/4回転、ゼロ化は、円環化するからだろう。ゼロ化は、差異と差異との境界が等価となり、円環化すると考えられるからである。敷延すれば、大宇宙も円環化しているだろう。
 では、最後に、魂の不滅や輪廻転生とはあるのか。魂はイデアとすれば、魂の不滅はある。しかし、イデアは魂ではない。それは、原魂である。また、輪廻転生であるが、それは、魂の問題とともに考えると、ずいぶん以前に触れたことがあるが、メディア界、メディア・コスモスを考えると、確かに、そこは、連続化の宇宙であり、魂や輪廻転生が考えられそうである。つまり、個の原型がそこには考えられるのである。しかしながら、それは、中間点に過ぎないだろう。ダンテの『神曲』の三層世界観が正しいだろう。天国/煉獄/地獄である。これは、順番に、イデア界/メディア界/現象界となるだろう。また、仏陀は、輪廻転生から脱出することを説いたのである。仏教の空は、メディア界を介して、イデア界を指していると言えるだろう。