2005-08-01から1ヶ月間の記事一覧

不連続的差異論入門:その28

個が他の個と共存することを分析するとどういうことなのか。図式でみよう。A) 一つの個:d1〜d2〜・・・〜dnB) 他の個:d1〜d2〜・・・〜dnA とBがそれぞれ、共存志向するとはどういうことか。思考実験しよう。Aの存立のためには、他者が必要…

不連続的差異論入門:その27

バッハ音楽とは、差異共存志向性の音楽ではないかバッハの『フーガの技法』、『ブランデンブルク協奏曲』、そして、受難曲等々、その多元性、対位法、多声音楽は、どうも、差異共存志向性、メディア界の構成を紡ぎ出しているように思える。後で、検討しよう。…

不連続的差異論入門:その26

人間の差異とはどういうものであるか:動物とどう異なるのか本件の問題を模索ないし試行錯誤的に検討したい。 たとえば、動物で考えよう。 (なお、記号の説明をすると、たとえば、d1〜d2の〜とは、d1とd2の差異がメディア界に存しているということ…

不連続的差異論入門:その25

フッサールはニーチェを越えていた先にも述べたが、フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の第五十四節bは、不連続的差異論のメディア界の記述と見ていいと思われる。相互主観性とは、これまで、ピンと来なかったが、これは、差異共存志向…

不連続的差異論入門:その24

反動自我のナルシシズムの快感とは倒錯した歓喜である:反動から差異共存志向へのパラダイム転換反感的力動は、連続・同一性と結びついて、自我となるのだが、反感的力動の志向性は、自我自身に向いている。ナルシシズムあるいは、自我価値化であるが、この…

不連続的差異論入門:その23

差異共存性を憎み、蔑み、貶め、自己を優越化する自我主義とは何か これまで、さんざん自我の問題は論じてきているが、まだ、究極の答えに達していない。 なぜ、自我は差異共存志向を忌避し、それを攻撃して、自我優越を保持しようとするのか? これは、おそ…

不連続的差異論入門:その22

人間の悪について:なぜ悪があるのか:ポスト・ユダヤ/キリスト教と世界ルネサンスへ向けてこれまでの自我論から見ると、自我という悪は、差異共存志向の冷暗化によって生じるということであった。では、何故、近代西欧米において、これが、著しく増加した…

不連続的差異論入門:その21

メディア界の女男的差異:差異共存志向と利己的志向ずいぶん前に、女性の差異は高貴で、男性のは劣弱であると述べたことがある。今、不連続的差異論から、再考したい。 議論上、論点を単純化しているが、女性は、メディア界において、差異共存志向を保持し、…

不連続的差異論入門:その20

反感・反動の力とは何か:陽の共感性と陰の共感性先に、メディア界に、共感性/交差点/欲望感情の三層性を考えた。そして、反感は、交差点で生じるとした。しかし、反感は暴力性をもつのであるから、その力がどこから生じるのか見ないといけない。私は欲望…

不連続的差異論入門:その19

メディア界の反動とは何か:差異共存力の否定としての暴力的自我:アメリカと日本とは何か[ 22:38 ] [ 出アメリカ/ニッポン独立宣言2005 ]メディア界のイデア極が反動化すると、マイナスの強度が弱化して、現象極(連続極と言ってもいいだろう)のプラスの…

不連続的差異論入門:その18

メディア界の反動は、どうして自我に固着するのかメディア界の反動は、どうして自我に固着するのか。今は、簡単に触れると、メディア界が涵養されていれば、差異共存志向が存する。しかし、メディア界が反動化して、否定的になると、それが、連続・同一性の…

不連続的差異論入門:その17

狂信者と自我:メディア界の反動と暴力:平和とは何か狂信者の精神を分析してみよう。普通の人間のもつ常識的な感覚を欠いているのであるが、この健全な感覚(センス)とは、不連続的差異論から見ると、メディア界に根差している。もっとも、誰にも、メディ…

不連続的差異論入門:その16

官から民へということについて:郵政民営化問題NHKの番組で、武部幹事長が、官から民へということを、今度の選挙に関して、強調していた。これは、正にイデオロギーであるが、何がおかしいかを愚直に検証しよう。郵政民営化とは、官から民へというポスト…

不連続的差異論入門:その15

超越論的差異とポスト近代主義メディア界、メディア素(差異の連結)における「知覚」とは何であろうか。プラトンの想起説を思わせる。あるいは、先験的な認識を。また、確かに、超越論的である。フッサーを想起する。 また、この超越論的即自的認識と現象界…

不連続的差異論入門:その14

メディア素が、「感覚・意識」、記憶媒体であるとはどういうことかメディア素が、「感覚・意識」、記憶媒体であると述べたが、その充分な説明を行っていないので、検討したい。 簡単に触れれば、フッサールの現象学を想起するのが、もっともわかりやすいかも…

不連続的差異論入門:その13

現象界の力とは何か:メディア界の差異・強度不可分一体性と連続的虚構性メディア界の発出として現象界を考えることができるだろう。つまり、メディア界の変容としての現象界である。だから、メディア界即非現象界である。(即非とは、等号と同時に不等号を…

不連続的差異論入門:その12

北の思考と南の思考:自我と差異私は、以前、一神教の誕生と、苛酷な環境である砂漠とが結びついていると言った。即ち、メディア界的受動の考え方を乗り越えて、自らの意志で、切り開く能動・攻撃的な発想は、砂漠という苛烈な環境がふさわしいだろうと考え…

不連続的差異論入門:その11

ユダヤ/キリスト教とイスラム教の違いについて先の連結卵点の記事で、本件について言及したが、ここで、簡単に整理したい。 ここでも、メディア界の連結卵点を起点としよう。ここは、多神教→一神教の契機となる。なぜなら、一点に集約されているからである…

不連続的差異論入門:その10

構造主義と不連続的差異論構造主義と不連続的差異論の関係を、直観的にわかるように論じてみたい。構造とは、差異の連結ないし差異の連結の複合のことである。つまり、メディア界の差異連結のことである。ここから、捩れて現象界が発出するのである。メディ…

不連続的差異論入門:その9

先に、私は、多数の差異が、メディア界において、正多角形を形成すると言いました。不連続な差異が、メディア界で連結するのですが、それが、正多角形を形成するとは、理論構成的にはどういうことなのでしょうか。 今想起した一つの仮定は、軸自体が円環的に…

不連続的差異論入門:その8

樫村晴香氏のドゥルーズ哲学批判への批判と現時点でのコメント先に掲載した「樫村晴香氏のドゥルーズ哲学批判への批判」は、およそ10ヶ月半前のものであり、今読むと、違う見方が出てくる。ここで、今の私見を付加したい。なお、今の私のコメントは、《 》…

不連続的差異論入門:その7

どうやら、再び、難問に逢着しました。即ち、輪廻転生があるのか、どうかです。しかし、今回は、差異の反復、差異のプログラムという観点があります。連続・同一性である自我の反復という意味の輪廻転生に関しては、簡単に否定できます。「わたし」は復活し…

不連続的差異論入門:その6

再考:生体内のエネルギーの消費と補給とは何か:メディア界と脱メディア界的指向先に、差異連結の強度が消耗して、新たな強度を補給するために、食べると述べました。それでは、この強度の消耗と再生とは、どういうことなのでしょうか。この点を、考察した…

不連続的差異論入門:その5

メディア界から見た、自我の生きると個の生きる先の検討で、生きるとは、メディア界の差異の連結の消耗に対して、それを補うものを補給することだとわかりました。では、自己中心的なエゴイストと差異共存的な共生主義者とはどう違うのでしょうか。自我とは…