2006-01-01から1ヶ月間の記事一覧

ポスト一神教へ向けて:「父」と「母」とは一体である:二人の「父」

ポスト一神教へ向けて:「父」と「母」とは一体である:二人の「父」から「母」=「父」へ 女神(母神)の神話から見ると、根源的女神(母神)とは、天であり、同時に、地である。太陽神であり、大地母神である。太陽であり、月であり、海であり、等々。つま…

ポストモダンからメタ・ポストモダンへ:ポストモダンの「アイロニカ

ポストモダンからメタ・ポストモダンへ:ポストモダンの「アイロニカルな没入」からの脱出 後で充分に述べたいが、ホリエモン/ライブドア問題は、ポストモダンの問題であると見るのが正解だと思うのである。新興宗教(原理主義)化は、ポストモダンの陥穽で…

アイルランドの民族の変遷【『トァン・マッカラルの話』(『侵略の書

アイルランドの民族の変遷【『トァン・マッカラルの話』(『侵略の書』)】 1)セラの息子バローロンに率いられた24組の男女。彼らの生き残りが、トァン・マッカラル。 2)ネヴェと4組の男女:トァンは、雄鹿から、猪へと変身する。 3)フィル・ボルグ…

リバタリアニズムと不連続的差異論:ポスト・リバタリアニズム=差異

リバタリアニズムと不連続的差異論:ポスト・リバタリアニズム=差異共生共創的資本主義へ向けて 以下の説明の「他者の権利 を侵害しない限り」は、なんと空しく響くことか!!! 実際、理念としては、正しい。しかし、実際は、他者の権利侵害しまくりだろう…

自由主義と不連続的差異論:能動・歓喜・共生的ポストモダン・ヤポネ

自由主義と不連続的差異論:能動・歓喜・共生的ポストモダン・ヤポネシア平成維新へ向けて 私が、差異というとき、これは、個の自由ということとほぼ同じことである。そう、不連続的差異論は、一種自由主義である。しかし、通常の自由主義あるいは新自由主義…

ライブドア問題を哲学する:3:反動・憎悪・利己主義的ポストモダン

ライブドア問題を哲学する:3:反動・憎悪・利己主義的ポストモダンと能動・歓喜・共生的ポストモダン ポストモダンの袋小路・行き詰りに対して、不連続的差異論は、差異の不連続化によって、メディア界からイデア界へと知を包摂的に高位化することを説く。…

父権的部族主義/近代/差異と不連続的ポストモダン改革

父権的部族主義/近代/差異と不連続的ポストモダン改革 近代日本は、半封建/半近代主義であったと考えられるし、戦後日本は、USAに対して、半独立国半植民地である。しかし、基本的な半封建/半近代主義はベースにあると考えられる。父権的部族主義を基底…

ライブドア問題を哲学する:その2:IT企業・ポストモダン・メディア

ライブドア問題を哲学する:その2:IT企業・ポストモダン・メディア界の両義性の落し穴 ホリエモンの側近の自殺を聞くと、何か、また、オウム真理教を想起する。私は、去年から、ライブドアに新興宗教の感じを受けていた。ホリエモンが尊師であり、社員は信…

悪意、邪心、嫉み、そねみ、妄想、狂気等は、何から生まれるのか:新

悪意、邪心、嫉み、そねみ、妄想、狂気等は、何から生まれるのか:新福音とポスト・一神教 私は、以前に、女男の違い、多神教と一神教の違いの根源に、差異の高貴さと劣弱さを考えたことがある。 今、否定的な精神の発生原因は、「弱さ」にあると思うのであ…

スーパー・ポストモダンとライブドア問題

イデア界的純粋知性とは何か:不連続的差異化とスーパー・ポストモダン 今日、ポスト近代の時代にあって、近代において、閉ざされていたメディア界が復活していて、不連続性と連続性の相補性・メビウスの輪の状態が、先進的人間の意識状態であると考えられる…

ケルト的キリスト教と東方キリスト教:コスモス主義とポストモダン主

私は、ずいぶん以前に(あいまいな言い方であるが、20年くらい前である)、キリスト教で「まっとう」なのは、ギリシア正教とアイルランドないしケルトのキリスト教であると述べていたものである。その意味は、大地への志向である。両者とも、大地、土を感…

不連続的差異論基礎編:その1:記号化する

ここでは、不連続的差異論を直観的にわかるように、記号化したい。精緻な数学的理論化に関しては、『不連続的差異論研究』を参照されたい。 http://blog.discontinuousdifference.org/ イデア界 ◯ないし⊕ ↓ ↓ 1/4回転 メディア界 ◑ ↓ ↓ 1/4回転 現象界…

多文化主義と原理主義の相補性:その2と3:ポストモダンと不連続的

多文化主義と原理主義の相補性:その2:ポストモダンと不連続的差異論 大澤真幸氏/ODA ウォッチャーズ氏の「三幅対」論は、非常に含蓄に富んだものである。(参照:http://blog.discontinuousdifference.org/?eid=73748 http://blog.kaisetsu.org/?eid=294…

イデア・不連続的差異とは、超越論(内在論)的包摂理性・知性・概念

イデア界に存する「概念」は、包摂的な理念である。これは、デカルトの延長と思惟を包摂しているのである。それは、当然、物質でもなければ、観念でもない。イデアであるのだが、イデアの意味が、皮相に捉えられているので、注意が必要である。これまで、こ…

日本の「原風景」の危機とは何か:補足:日本の叡知とは、神道・仏教

日本の「原風景」の危機とは何か:補足:日本の叡知とは、神道・仏教が媒介していたのだ! toxandria氏が、グローバリゼーションと日本の原風景に関して、考察されていることに、刺激を受けて、私なりに、少し愚考したい。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria…

日本の「原風景」の危機とは何か:個的特異性になり、無思想なニホン

oxandria氏が、グローバリゼーションと日本の原風景に関して、考察されていることに、刺激を受けて、私も少し愚考したい。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060107/p1 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060108/p1 私の実家は、農村地帯にあり、区画整…

検討問題と、母音と子音とは、言葉にとって、何なのか:母音と子音の

検討問題:06/01/08 1) 共観福音書とヨハネ福音書:前者が、改竄されたものであり、後者が、プラトン/グノーシス主義の叡知者イエスを伝えているだろう。初めにロゴスありき。ロゴス=イデア=ソフィア(叡知)である。2) 田舎で、東の空にかか…

「物質」や「心」とは、イデア界から見たらどういうものであろうか

後で、再検討するが、現象界において、「物質」と「心」の二元論が考えられる。しかし、メディア界では、両者の相補性が考えられる。これは、差異・ゼロ度を意味する。では、「物質」となるのは、何であり、「心」となるのは何か。イデア界では、差異1/差…

新多神教とは、超越論的多元主義、即ち、イデア的多元論、理念的多元

まだ、うまく、超越論的自然主義の「意識」について、明快に表現していない。これは、身心的意識(身心的情覚)であると同時に、それを超越論化した知であるということである。 思うに、スピノザの心身平行状態に近い。身体性であり、同時に、知性である。ど…

検討問題:超越論的自然主義と多神教と不連続的差異論の関係

後で、検討したいが、今、予見を言うと、結局、「身体性」、つまり、身心性の問題になるのではないかと思う。デカルトのコギトは、確かに、特異性の指摘であったが、それを、近代的合理主義に向けた。デカルトを受けて、スピノザやライプニッツが、独自に展…

日本新多神教へ向けて:日本の部族主義の思考構造について:いかに

日本新多神教へ向けて:日本の部族主義の思考構造について:いかに部族主義から脱却するか 脱亜入欧で、様々な欧米の思想を取り入れてきた日本ではあるが、一つ取り入れていないものがある。それは、個の思想である。近代主義を取り入れたが、デカルトの個の…

ケルト的なものとイデア界:イデア・ロゴス・ヴィジョン

私見では、イギリス文学とは、濃厚にケルト的要素を含んでいる。(また、アメリカ文学にも、ケルト的要素がかなりあると思っている。また、ヨーロッパ文学にも、かなりあるのではと思える。)煩雑なので、固有名は出さない。 さて、イギリス文学は、また、確…

iPodのデザイナーはイギリス人であった。確かに、ユニークでシャレて

iPodのデザイナーはイギリス人であった。確かに、ユニークでシャレている。IT革命である。 iPodのデザイナー、アイブ氏は、イギリス人であった。iPod以外のmac pcもデザインしているのである。デザインが確かに一風変わっているし、シンプルでシャレている。…

基本的な4つの力と四大(地水火風):イデア界の4+1=5つの虚力

基本的な4つの力と四大(地水火風):イデア界の4+1=5つの虚力の原構造 ここでは、詳述せずに、ポイントだけを考えよう。プラトンは、四大と正多面体とを結びつけている。 1)火=正四面体(正三角形の面) 2)空気・風=正八面体(正三角形の面) …