不連続的差異論入門:その24

反動自我のナルシシズムの快感とは倒錯した歓喜である:反動から差異共存志向へのパラダイム転換

反感的力動は、連続・同一性と結びついて、自我となるのだが、反感的力動の志向性は、自我自身に向いている。ナルシシズムあるいは、自我価値化であるが、このメカニズムは何だろうか。 
 差異共存志向性は、連続・同一性(連続志向)化によって個体化しても、自我にはならず、個(個吾)となる。つまり、個ないし個吾においては、差異共存志向性があるので、連続・同一性化しても、自己の差異と他者の差異への志向性を保持していることになる。簡単に言えば、差異としての個・個吾である。
 しかるに、自我・反動自我は、差異共存志向性を否定し、反感・反動力動を発するが、この力動は、差異ではなくて、連続・同一性へと志向し、固着すると言えよう。結局、ナルシシズム、自我価値化とは、この反感・反動力動性に拠ると言えるだろう。自己目的化である。ここで、精神分析を参照すると、鏡像段階があり、そこで、自己像と同一化して、自我形成することになる。これを参考にするならば、反感・反動力動の志向が、連続・同一性化の志向と結びつくということであり、この結合が、自己目的化、即ち、ナルシシズム、自我価値化を意味すると考えられる。差異共存志向が積極的であれば、それと連続・同一性の志向性とが結合しても、自我ではなくて、差異的個体、個・個吾になるのである。即ち、差異への志向性をもっているのであり、非自我的である。
 では、反感・反動力動と連続・同一性との結合において、どうして、自我快感が生起するのだろうか。自己陶酔と言われるような快感はどうして生じるのだろうか。思うに、反感・反動性は、快感性をもつと考えられよう。破壊快感でもある。暴力・攻撃の快感でもある。この破壊・暴力・攻撃の快感とは何だろうか。否定の快感である。フロイトなら、死の欲動の快感と言うだろう。破壊の快感とは、暴力の快感とは、「殺害」の快感とは、反動的「能動」の快感であろう。このように考えたらどうだろうか。差異共存志向とは、始原的歓喜であるが、反感・反動は、これを否定するが、この歓喜への反動は、歓喜という快の代償、代理となる快感を含むということではないだろうか。もっとも、歓喜の快と反動の快感とは質が異なることに注意しないといけない。後者の代償、代理性の意味を見ないといけない。つまり、反感という快感が生起していることを考えなくてはならない。いわば、否定的な快である。つまり、反感・反動とは、否定された歓喜であり、これが、反感・反動の快感の原因というか、それ自体なのではないだろうか。倒錯的な歓喜、虐待的歓喜ではないだろうか。これは、マゾヒズムであり、サディズムである。マゾ/サディズムである。(因みに、これをドストエフスキーに強く感じる。また、小泉愁傷にもそうだ。)結局、反感・反動の快感とは、差異の否定、差異への暴力であるから、自己への暴力の快感であると同時に、他者への暴力への快感である。ここでは、本来の志向性が否定されていて、いわば反志向性となっているのである。
 ということで、ナルシシズム、自我価値化とは、歓喜の倒錯、虐待的歓喜である快感を内在していることになる。差異共存性の否定であるから、自己と他者の両者への否定性をもっているが、これは、個人的な偏差があるだろう。自己へ傾くとマゾヒズムであり、他者へと傾くと、サディズムとなるだろう。
 以上から敷延できることは、反感・反動である自我とは、資本主義と結合して、自我中心的に、差異、他者を破壊することに倒錯的な喜び、快感を覚えるということである。死の欲動というよりは、死の快感である。暴力の快感、戦争の快感である。戦争ゲームである。殺人ゲームである。これが、現在の資本主義の精神的実態である。ホッブズ化である。万人の万人に対する戦争である。これは、また、持てる者の持たざる者に対する戦争でもある。これは、先にも述べたが、主にプロテスタンティズムの病理である。あるいは、父権制の病理である。近代的自我とは、人類の癌である。小泉政府は、悪の総本山アメリカ株式会社の意志に洗脳されて、郵政公社の国民の富をアメリカへ貢ごうとしている。これも、近代的自我の暴力快感によるのである。
 では、この近代的自我癌の治療方法は何だろうか。一言で言えば、脱近代主義である。これはあらゆる領域、分野でなされなくてはならないが、ポイントは、反感・反動的暴力から積極的な差異共存志向へのパラダイム転換である。

p.s.  言い忘れたが、反感・反動的破壊快感である自我衝動は、当然、自己中心主義でもあり、また、連続・同一性である言語と結合して、知識による支配欲をもつが、理性の基盤となる差異共存志向を否定していて、先にも述べたように、反感・反動衝動とは、反感独善衝動であるから、いわば狂気的衝動、パラノイア、狂信的衝動である。結局、自我とは、倒錯した歓喜であり、差異・他者破壊・攻撃・暴力的であり、言語的支配的であり、狂信・狂気的であるということになる。私は、以前から、自我、父権的自我、近代的自我、並びに、精神分析ラカンが説く象徴界的自我は、狂気ではないかと思っていた。これでようやく、所期の課題・問題をほぼ解明できたのではないだろうか。そう、明らかに、自我、近代的自我とは、人類が陥った全体的狂気である。そして、それと結びついた資本主義によって、世界は、狂気破壊の跳梁跋扈する無秩序・カオス状態となっている。
 さて、最後に、ラカンの言う現実界への回帰とは何かを考えよう。現実界とは、いわゆる現実や現象ではなく、不連続的差異論で言えば、イデア界に当たると考えられる。(想像界はメディア界に、象徴界は現象界に当たるが、しかし、不連続的差異論は、ラカン精神分析あるいは精神分析の家族的被限定性を批判して、普遍的見地によって、乗り越えていると考えられる。)だから、現実界への回帰とは、実は、差異共存志向への回帰を指していると言えるだろう。それは、メディア界を介したイデア界への回帰である。ポスト精神分析としての不連続的差異論でもある。





反感のエネルギーとは何か:反感衝動は、イデア界の秩序を混沌化する

反感の衝動のエネルギーはどこから発するのか。差異共存志向性とは、調和的エネルギーをもつ。それは、生体、身体に活動力を与えるように思う。そう、「気」である。しかし、反感衝動の場合、それは、差異共存志向性に否定的であるから、生体、身体に悪い影響を与える。自己身体に否定的作用を与えるのである。不健康の力である。しかしながら、その反感のエネルギーはどこから生まれるのか。それは、イデア界、身体であるイデア界から来るのではないだろうか。
 少し整理しよう。差異共存志向性は、いわば健やかな力であるし、それは、イデア界の力を受けている。しかし、反感の力は、差異共存志向性を否定して、イデア界の力を反動化させているのではないか。すなわち、反感衝動のエネルギーとは、イデア界の力の反動から来ているということになる。差異共存志向性の場合のイデア界の力は、積極的な創造的な力となるが、反感衝動における反動化したイデア界の力とは、破壊的に作用する。つまり、反動化したイデア界の力とは、他者への暴力だけでなく、個体の差異共存志向性を阻害する暴力である。差異共存志向性を阻害するというのは、イデア界を阻害すると言ってもいいだろう。そう、イデア界をカオス化するように思う。イデア界の秩序(コスモス)を混乱させるのではと思う。差異共存・差異共立のイデア界の秩序を混沌化するのではないだろうか。差異共存志向という秩序性の否定なのだから、当然、秩序否定で、カオス化である。つまり、反感衝動とは、他者への攻撃・暴力であるばかりでなく、個体自身のイデア界への攻撃・暴力であり、個体自身の健全なあり方を破壊するものであろう。すなわち、個体は、狂乱となるか、病気となるか、不活性・衰退化するか等であろう。すなわち、一種廃人の方向である。因みに、小泉愁傷は、このような方向に進んでいると思う。これは、日本にとって最高度に危険なことである。





欧州系ファンドマネジャー、小泉首相衆院選勝利を予想

資料です。

これは、「予想」ではなくて、明らかに、「期待」、「希望」、「欲求」であろう。否、「意志」である。欧州系ファンドマネジャーと言っているが、ロイターはモルガンとつながっていて、「アメリカ株式会社」と連携しているだろう。だから、この記事は、ヤラセである。非常にたちの悪い記事である。洗脳情報である。

「欧州系ファンドマネジャー、小泉首相衆院選勝利を予想

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 8月22日、ロイター通信の調査によると、欧州系ファンドマネジャーは小泉首相(写真)の衆院選勝利を予想していることが明らかに。写真は19日、自らのポスターの前の同首相(2005年 ロイター/Yuriko Nakao)

 [ロンドン 22日 ロイター] ロイター通信は欧州を拠点とするファンドマネジャー10人に対し、9月11日衆院選について調査を実施した。その結果、小泉首相が勝者になり、改革への期待感から投資家は日本株購入を増やすと欧州系ファンドマネジャーが予想していることが明らかになった。
 調査対象の10人中9人が、自民党民主党に勝ち、小泉首相が続投するとの見通しを示した。調査は8月17日から22日にかけて実施した。
 小泉首相の勝利が日本株にとってプラス材料と答えたファンドマネジャーは10人中9人で、中立的と答えたのが1人だった。5人は円にとってもプラス要因になるとしている。
 JPモルガン・フレミング・インベストメント・マネジメントのファンドマネジャー、スティーブン・ミッチェル氏は「有権者は改革や民営化に賛成票を投じ、小泉首相に、これまで以上に強力に推進することへの信任を与えるだろう」と述べた。
 <民主党勝利の場合>
 民主党が勝利を収めるにしても、岡田代表は改革を公約していることから、欧州系ファンドマネジャーは市場にとってはプラスとなるかもしれないとみている。ただ小泉首相が再任された場合よりも、その度合いは低いという。
 民主党勝利の場合に日本株が「買い」、と答えたマネジャーは10人中5人だった。2人は「売り」とし、2人は「中立的」と答えた。
 改革や市場にとってあまりよくない結果になり得るのは、自民党が勝利を収めながらも、党利党略により小泉首相を首相の座から下ろすケース。調査対象のマネジャーのうち5人は、その場合は株の売り要因になるとしながらも、そうなる公算は非常に小さいとしている。
 今回の調査では、ファンドマネジャーが株式市場が選挙結果に最も反応すると予想していることが判明した。円や日本国債(JGB)は経済など他の要因により大きく影響されるとみられている。
(ロイター) - 8月23日6時37分更新」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050823-00000397-reu-bus_all

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Step3: ファンドマネージャーはどんなことをしているの?


その22: ファンドマネージャーってどんなことをやるの?(株式編)

 株式投信のファンドマネージャーは、実際どうやって運用しているのでしょう。個別銘柄の選択や、組み入れ比率の決定は?大切な資金を任せるのですから、気になるところですね。ファンドマネージャーが何を目的として、どんな目標で、どのように投資の意思決定をしているのか、ご紹介します。
ファンドマネージャーの仕事
ベンチマークの決定 ②ユニバースの作成 ③実際の運用 

 株式ファンドの運用というと、きったはったの世界のように思われる方が多いかもしれません。実際そのように運用されているファンドも少なからずあることでしょう。ですが、ここでは少しレベルを上げて、本当にあるべき運用の姿を頭に描きながら、株式運用について確認することにします。

① ベンチマークの決定

 ファンドの運用にまず必要なのは、お金を預ける人と、運用する人との間で何がどうなっているのかをお互いに確認し合う方法です。そのために必要なものがベンチマークです。ベンチマークというのは、TOPIX(東証株価指数)」とか「店頭株指数」など、運用の基準となるような指数のことを言います。これが決っていてはじめて、軸がぶれにくい運用が出来るというわけです。

② ユニバースの作成

 次に、必要なのが投資対象銘柄群となるユニバースです。これは、運用手法にもよりますが、投資する可能性のある銘柄を決めておくということになります。以上が、どのタイプのファンドにも当てはまる運用の前段階の必須事項となります。

③ 実際の運用

 次に、実際の運用にはいりますが、運用の手法の違いによって目標が変わります。「パッシブ運用」では、特定の株価指数との連動を目指します。このタイプのファンドでは、株価指数との比較で収益率が勝っても負けてもだめで、乖離の幅だけ評価が下がるような運用といえます。逆に、「アクティブ運用」では、ベンチマークとの比較でより良い成果を得ることを目指します。そのために、調査部門にアナリストを配置したり、各種の情報機器での市場や・株価の分析を行ったりします。

 ところで、ファンドマネージャーは、好き勝手に売買できるのかというと、そうではありません。運用会社の最高の意思決定機関である運用会議(役員などで構成)の決定に従い、売買をする前に運用計画を策定し、責任者に承認を得てから実際の売り買いを行うことになります。株式ファンドの運用は、だいたい以上のような考え方で行われています。


text: FP総研
http://finance.nifty.com/event/semi/fund/22.jsp


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以下の記事の赤色の文字に要注意。


● J・P・モルガン
ソニー躍進の背景
2000 年2月2日にジャパン・ソサエティー主催でソニー創業者、盛田昭夫氏をしのぶ会がニューヨークで開かれ、新生銀行の取締役に就任したデビッド・ロックフェラー氏、ヘンリー・キッシンジャー国務長官、そしてソニー社外取締役であるピーター・ピタソンCFR議長などアメリカのエスタブリッシュメントが勢揃いした。
このソニー創業者である盛田氏の人脈は1969年3月のJ・P・モルガン国際委員会役員就任にさかのぼることができる。この「モルガン人脈」こそがソニーの発展を陰で支えたのである。
その後盛田氏はモルガン系企業との連係により新事業参入にも乗り出す。
1972年モルガングループの中核IBMの子会社WTC社の取締役就任、1979年プルデンシャル生命保険と折半出資でソニー生命の前身であるソニープルデンシャル生命保険設立(取締役会長就任)、1980年パン・アメリカン航空の取締役に就任する。
同時に日米賢人会議、経団連などの財界活動により日米財界人との交流を深めていくのである。モルガングループのGM(自動車トップ)のいすゞ自動車への大口株式所得やテキサス・インストゥルメンツ(TIIC最大手)の日本進出にさいして仲介役を務めた。

●モルガングループの構成
モルガングループの中核を担うJ・P・モルガンはモルガン・ギャランティー・トラストの持株会社ジョン・ピアポント・モルガンにより1861年に設立された。法人、機関、富裕家族などの顧客サービスに特化した名門ホールセール(純粋卸売)バンクである。
現在その運営は執行役員(Management)、取締役会(Board of Directors)、国際委員会(International Council)、諮問委員会(Directors Advisory Council)の4部門で行っている。最高意志決定機関である取締役会は18名で内2名が内部取締役で16名が社外取締役で構成されている。
現在のダグラス・ワーナーCEOは自ら総合電機最大手ゼネラル・エレクトリック(GE)と総合エンジニアリング最大手ベクテルの取締役を兼任しておりモルガングループの結束を担っている。
GE、ベクテル以外にもモルガンと歴史的に関係が深いゼロックス、ハネウエル、テネコ、デュポン、フェルプス・ダッヂなどのCEOおよび元CEOが外部取締役として参画している。特に注目すべきは1999年に合併した国際石油資本最大のロックフェラー系エクソン・モービルのリ・レイモンドCEOが名を列ねている点であろう。
盛田氏が役員を務めた国際委員会には後任として小林陽太郎富士ゼロックス会長が選任されている。会長はジョジ・シュルツ元国務長官が務めシンガポールのリー・クワン・ユーやダイムラー・クライスラーのシュレンプ会長など世界を代表する政財界人が集結している。
注目はロイターとの結合関係である。実質ロイターとJ・P・モルガンは相互に役員を交換しあう緊密な関係にある。

●ロイターに集うモルガン人
ロイターのクリストファー・ホッグ会長がJ・P・モルガンの国際委員会役員に就任している。
またロイターの取締役会にはまもなく退任するJ・P・モルガンのロバート・メンドサ副会長、モルガン・スタンレ・インターナショナルのデビッド・ウォーカー会長、モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッターのロバート・ボーマン社外取締役、ドイツ・モルガングレンフェルのジョン・クラーベン会長が結集しており国境を超えてグローバルに展開しているモルガングループの政策発信基地としても機能している。
ロイターは国際的なニュース配信ソースとして有名だが、実際には金融情報通信企業である。電子決済取引システムはロイターの「ディーリング2000」とJ・P・モルガンを中核とした「EBS」の寡占状態になっている。実質J・P・モルガンとロイターが連係しながら現在の巨大電子金融市場における絶対的な覇権を実現させたのである。
J・P・モルガンは1933年の銀行・証券業務兼営禁止を規定したグラス・スティーガル法成立によりいったんは商業銀行業務に専念するが、1935年に投資銀行業再開の為にモルガン・スタンレーを分離設立した。このモルガン・スタンレーは1997年にロンドン拠点としてモルガン・スタンレ・インターナショナルを設立する。1997年にはディーン・ウィッターと合併しモルガン・スタンレー・ディーン・ウィッターとなり現在も名門投資銀行として第一線にある。
J・P・モルガンの前身であるロンドンJ・S・モルガン商会から派生したモルガン・グレンフェルは、1903年にJ・P・モルガンより分社したバンカーズ・トラストとともに現在はドイツ銀行傘下にある。
J・P・モルガンを中核にモルガングループ各社は時には競い合いながらも高度な情報と金融技術を提供しながらM&A&A(買収、合併、提携)を実行している。特にモルガングループの「アメリカ株式会社」の国益を最優先にした企業再編手腕は日本でも見習うべきであろう。
モルガングループはグリーンスパンFRB議長に代表されるように社内外役員をホワイトハウスや主要閣僚、連邦準備制度理事会世界銀行などの政府機関に送り込み「アメリカ株式会社」の権力中枢に絶対的地位を確立している。


阿修羅
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/886.html





世界平和のために:アメリカの巨大金融資本を支配する人たちは、心の闇の惨めな人たちである

これまでの自我論から、結局、ニーチェが言うとおり、ユダヤキリスト教は、「根暗」の宗教であり、ルサンチマン(怨恨)の宗教であることが判明した。つまり、「魂」に病的な暗さを抱えている人たちの宗教である。そして、これとアメリカの巨大金融資本が結びついているのである。差異共存志向性が傷ついた冷暗さがあるのである。ユダヤ人たちは、被差別の暗い歴史のトラウマをもつ。また、キリスト教原理主義者は、思うに、本来貧しい階層の出身者であろう。アメリカへの貧しい移民者たちの宗教であろう。かれら貧民、極貧民の暗い記憶がトラウマになっているのだろう。今日、世界に不平等をもたらしているものは、トラウマの貧困や被差別であろう。貧困と被差別が、貧困と被差別を再生産しているのである。心の闇が、巨大金融資本を生んでいるのである。ウォール街スクルージたち。差異共存の太陽を復活させよう。キリストとアマテラスは一つである。暗い、闇の、自我の資本主義から明るい、太陽の、差異共存の資本主義へ。





エスとは救世主ではなく、ニーチェ的な「超人」ではなかったか

1)自我と個の違いについて
2)キリスト教・教会とイエス・キリストの違い
3)新しい民主主義とは何か
4)差異共存志向性を拓いていくために:日本人は、これが閉ざされている
5)差異共存的資本主義ないし経済とは何か
6)ホリエモンの立候補とは何か。彼の差異主義と今回の立候補はどうつながるのか。
7)差異共存志向性とは、差異特異性をもつ。イデア界の力とメディア界の強度
8)特異性とは何か。差異特異性、個特異性とは、イデア界に通じる。思うに、イエス・キリストというシンボルは、ある意味で、ニーチェ的存在性を示唆しているのではないか。つまり、特異性のシンボルがキリストではないのか。もし、「父」がイデア界ならば、イデア界の発現としての「子」イエスであるから、それは、特異性である。そう、キルケゴールのイエス論である。救世主としてのイエス・キリストは、ユダヤ教の文脈から捉えたものだろう。しかし、それは、一面的であるというか、狭隘である。イエス・キリストの本質は、救世主ではなくて、ニーチェ的な超人だろう。特異性を体現した人間だろう。ポストヒューマンである。D.H.ロレンスの『死んだ男』で復活したイエスとは、そのようなものだろう。つまり、これまでのキリスト教は、まったくイエス・キリストを誤解していたのではないだろうか。イエス・キリストを誤読したのではないだろうか。救世主を欲したのは、ユダヤ教徒や教会側であろう。そして、宗教家のイエスを、救世主に祭り上げたのではないだろうか。本当は、グノーシスのイエスの方が、本当のイエスに近いのではないだろうか(『トマスの福音書』)。
9)志向性について:差異の志向性とは本来、他の差異への志向性である。そして、ここに差異共存志向があるのであるが、自我の場合は、志向性が差異へではなくて、連続・同一性である連続化へと志向するのであり、個体へと固着し、自我となるのではないだろうか。ならば、自我とは、差異共存志向性を排出・隠蔽した反感・反動力と一体の連続・同一性の個体ということになろう。では、個ないし個吾とは何か。それは、差異共存志向性を肯定しつつ、連続・同一性への志向をもつ知覚・意識であろう。そう、差異共存志向性から発する能動肯定的な力と結びついた連続・同一性の知覚・意識をもつ個体性のことだろう。差異共存志向とは、実は、特異性でもある。だから、この差異共存志向とは、特異性の志向でもあり、それが、連続・同一性の個体知覚へと志向することになるのであり、差異共存的個体、特異性的個体となり、これが、個ないし個吾である。デカルトの「コギト(吾思う)」の「吾」とは、個・個吾であろう。自我の場合は、反感・反動的個体であるから、個体としての本質(差異共存志向性
特異性)を否定しているので、「スム(吾あり)」にはならないのである。つまり、自我の場合は、内的本質と分離・乖離しているので、「スム(吾あり)」が否定されるのであり、自己分裂となる。
 とまれ、志向性の肯定的能動と反感・否定的反動とは全く異なる結果となる。個と自我の違いである。ここで、志向性の差異性について言うと、デリダフッサール批判とは、志向性が連続・同一性になっていることへの批判ではないだろうか。それは、正しいように思える。志向性を現前とするのは、現象界的である。しかし、志向性を差異とすれば、正しくメディア界となるだろうし、これまで、その意味で志向性を考えてきているのである。連続性の志向性ではなくて、差異の志向性にすればいいのである。デリダ哲学が示唆するのは、メディア界であるが、しかし、連続・同一性を脱構築した後、残るものは何であろうか。どうも、デリダもやはり不連続性には達していないのではないだろうか。どうも、連続性と脱構築が相補性、相互補完になっているのではいだろうか。