自己認識、近代的自我、スープラ(シュープラ)・モダンsupramodern

自己認識、近代的自我、スープラシュープラ)・モダンsupramodern


テーマ:プラトニック・シナジー理論


今は、簡単に触れるが、明日野氏の独創による自己認識方程式、即ち、(i)*(-i)⇒+1をベースに考察すると、(i)*(-i)は、虚軸・虚次元・虚空間(メディア空間)に存立し、+1は、実軸・実次元・実空間(現象空間)に存立するのであるが、この垂直から水平への降下的回転は、エネルゲイアによるものと考えられよう。即ち、(i)*(-i)において、*が±エネルゲイアになると考えられよう。そして、+エネルゲイアのとき、⇒+1となり、−エネルゲイアのとき、⇒−1となると考えることが出来るだろう。前者がコギト哲学であり、後者が近代合理主義ではないだろうか。つまり、近代において、前者の差異的同一性と後者の反差異・連続的同一性が同時発生、対生成するのではないだろうか。つまり、自己が分裂するのである。それを、デカルト哲学が提示しているのではないだろうか。
 スピノザ哲学とフッサール現象学のブレーク・スルー的創造性は、後者の否定性や連続性を超克して、純粋に前者の世界へ跳躍する方法を発見したことにあると思われるのである。つまり、言わば、自然発生的な、反動性を克服して、純粋に能動的世界へと飛躍したことにあると考えられるのである。つまり、自然発生においては、プラスとマイナスのエネルゲイアの対発生が生起するのであり、能動と反動がセットになっているのである。しかし、スピノザフッサールは、この自然性に対して、反動性を克服する方法を提示したと考えられるのである。即ち、−エネルゲイアに対して、それを否定するのではなくて、−を掛けたのである。つまり、(i)*(-i)⇒(i)±(-i)⇒±1に対して、(i)±*±(-i)の作業を行ったように思えるのである。すると、(i)*(-i)⇒ +1のみとなるのである。反転はないのである。この対抗自然的知性、能動的精神によって、メディア空間は、対発生を脱して、差異共振シナジー空間となるのである。つまり、スピノザフッサール哲学によって、ほとんど、プラトニック・シナジー理論の根幹の様相は創造されていたと見ることができるのである。これは、自然的態度を陶冶したことになるだろう。あるいは、自然的態度の矯正である。連続的同一性に帰結する自然過程を切断超克したと言えるのである。そして、これは、自然過程の終局態である現象空間を越えた虚空間・虚次元への到達と呼べるのである。超現象空間・超自然空間への飛翔である。換言すると、超時空四次元空間への飛躍である。ウスペンスキーの考えに拠れば、超越次元である時間空間次元への跳躍である。第四次元時間空間である。永遠の空間次元である。即非の空間次元である。コスモスの次元である。太極の次元である。「イデア」の次元である。
 今、私の想定するところは、これは、原点回帰なのである。イデア界回帰なのである。零度も解消されて、無になったのである。絶対無である。絶対的差異共立・共在である。これにより、連続性が解体されるのである。「脱構築」が生起するのである。つまり、差異が絶対的差異、絶対的単独性、絶対的特異性、つまり、純粋イデア(前イデアと呼んだ方が正しいのかもしれない)に還元されることで、一切の連続性・連続的同一性が破壊されるのである。そして、ここから、再び、零度化するときには、脱連続化しているのであり、差異共振シナジーが発生すると考えられるのである。喩えるなら、イデア界回帰が、親鸞往相回向(おうそうえこう)であり、差異共振シナジー発生が、還相回向(げんそうえこう)に当たるだろう。今の私の考えでは、最初の1/4回転に対して、これは、3/4回転なのである。2/4回転が、イデア界回帰である。
 そうならば、差異共振シナジー次元が四次元ならば、イデア界は五次元であろう。思うに、不連続的差異論が創造されてまもなく、私は、コの字型の図を書いて、上部の横線がイデア界で、縦線がメディア界で、下部の横線が現象界であると、直観したのであった。これは、今の想定から見ると、正しいと言えるだろう。そして、イデア界・第五次元空間とは、いわば、プロト・コスモスであろう。虚次元の虚次元ではないだろうか。とまれ、絶対無空間であるが、絶対的差異共立空間である。思うに、これは、真言密教で言うと、金剛界曼荼羅に相当するのではないだろうか。そして、胎蔵界曼荼羅が差異共振シナジー空間に当たるのではないだろうか。(これも、以前述べたことだと思うが。)つまり、イデア界が金剛界曼荼羅で、差異共振シナジー空間が胎蔵界曼荼羅であるということである。仏教の三層界があるのである。無/空/色である。
 ここで少し整理すると、スピノザフッサールは差異共振シナジー空間を創造的に到達し、キルケゴールニーチェは、絶対的差異のイデア界へと到達した。そして、不連続的差異論は、後者と同様にイデア界に回帰したが、理論的進展によって、スピノザフッサールの差異共振シナジー空間を形成することになったのである。即ち、プラトニック・シナジー理論の創造である。
 とまれ、プラトニック・シナジー理論によって、自然過程のエントロピー路線、自然破壊路線から脱却できるロジックが生まれたと言えよう。自然反動的な資本主義も、これによって、超自然能動的資本主義に転換することができるようになったと言えよう。カオスからコスモスへである。因みに言えば、カオスとは、この場合、メディア界の±エネルゲイアの対発生が起源であると言えるだろう。自然は、いわば、カオスモスなのである。それは、創造であり、破壊であるのである。しかるに、プラトニック・シナジー理論は、超破壊的創造理論である。近代主義という創造/破壊主義に対して、スープラシュープラ)・モダンの理論と呼べるだろう。そう、シュープラ・ネイチャである。