自然ー社会ー経済三元的差異共振世界仮説

自然ー社会ー経済三元的差異共振世界仮説


テーマ:トランス・モダン社会の創造・構築


ルドルフ・シュタイナーは、三層社会有機体論を立てた。それは、精神と法律と経済の連結である(「精神生活−法生活−経済生活、三分節化された社会有機体の統一化」
http://www.yokkaichi-u.ac.jp/seisaku/Labo/teraishi/teacher/more-religion/steiner-social.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%89%E5%B1%A4%E5%8C%96%E8%AB%96
http://en.wikipedia.org/wiki/Social_Threefolding
http://de.wikipedia.org/wiki/Soziale_Dreigliederung
)。
 私は、自然と社会と経済の三元的差異共振体を考えた。そして、これらは、相互に環流する様態をもつことになる。三つ巴のイメージを考えるといいのかもしれない。
http://www.cotyo.jp/sozai/backgland/mitudomoe/
あるいは、ボロメオの輪である。
http://www4.zero.ad.jp/hkabuto/fukashigi/a01.html
あるいは、天河神社の五十鈴である。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=529088
ここでは、簡単に、アイデアの提示というか、これから、発展すべき未来世界のためのアイデアのための、たたき台の一つを提示するだけである。
 1.経済⇔自然:経済・産業は、当然ながら、自然にはたらきかけ、エネルギーや原料を取り出す。ここでは、自然は、経済にエネルギーや原料・材料を提供するということになる。働きかけと提供との相互性である。
 2.社会⇔経済:経済・産業は、社会に物資を提供して、社会を構築していく。しかし、資本主義は、格差を生むので、社会は、経済・産業にはたらきかけて、社会維持のための寄付や税金その他を要求する。
 3.自然⇔社会:社会は、また、自然へと文化・教養的に関わることで、精神性を涵養する。また、経済によって、自然・環境破壊が生じる。だから、これを保障・再生する必要がある。それは、社会が行うことになる。社会には、国家も含める。
 基本哲学は、PS理論であり、差異共振性の思想である。近代主義は、同一性ー自我ー物質の原理によっていたので、貧富格差、自然破壊、精神破壊等々の危機的な弊害・害悪をもたらした。
 しかし、PS理論によって、モダンを乗り越えるトランス・モダン世界の構築が可能になったと考えられるのである。
 とりあえず、自然/社会/経済三元的差異共振世界仮説としておきたい。

参考:
社会有機
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&client=firefox-a&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&q=%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%9C%89%E6%A9%9F%E4%BD%93&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

共同体
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&client=firefox-a&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&q=%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
 
p.s. 1.経済⇔自然のところは、差異共振体にはならないのではないかという疑問が浮かんだ。なぜなら、汚染物質を出したり、森林破壊をしたり、等々で、共振ではなく、破壊が主体であるからである。同一性ー物質主義と言った方が的確ではないか。
 ここで、PS理論に返って考えると、それは、トランス・モダン(脱近代/超越近代)の理論であり、近代主義の同一性中心主義を乗り越える理論であり、同一性ー物質自体を否定しているのではないのである。(そう、だから、同一性ー自我でもあるから、自我も否定していないことになる。ただ、自我中心主義・エゴイズムを否定するのである。)
 ということで、同一性ー物質の確保のためには、当然、ある程度の自然破壊は必然なのである。ただし、現在のような再生手段の欠落した破壊主義は否定するのである。
 だから、経済⇔自然の箇所は、広義において、差異共振体と見たい。また、より自然に即した経済となるならば、それは、正に、差異共振体となるだろう。