検討問題:同一性と差異のミックスされた自我空間:キリスト教と東洋

検討問題:同一性と差異のミックスされた自我空間:キリスト教と東洋的宗教


テーマ:検討問題


1)i→-iが同一性=自我であり、-i→iがその反動である。前者が近代主義、後者が反近代主義と言えよう。しかしながら、これらは、同一面にある。両者は、Media Pointの高次元に起源があるのだが、それが見えないのである。つまり、両者は内在平面にあるのである。


Media Point/→内在平面(同一性⇔差異)  (/は次元の壁である)


となる。結局、Media Pointにおける超越的エネルギーの賦活は、内在平面にある限り、同一性・連続性に囚われたままであり、近代からは脱却できないままである。ポスト・モダン哲学(デリダドゥルーズ)は、この内在平面に囚われたままである。
 つまり、経済的に言うと、資本主義、グローバル資本主義(ポスト・モダン資本主義)、新植民地主義を肯定することになるのである。差異共振的脱資本主義へと進展しないのである。
 Media共鳴(共振)的脱資本主義経済へと転移すること。同一性資本から差異共振資本という言い方も可能である。
 とまれ、ユダヤキリスト教的な自我=同一性的あり方を乗り越える必要がある。つまり、脱西洋文明である。


2)キリスト教の問題:一神教が東洋的宗教(本来のイエス教)を狡猾に取り込んだものではないのか。イエス教の変質としてのキリスト教。東洋的宗教(母権的宗教)が、父権的一神教に取り込まれた。似非イエス教、似非東洋的宗教としてのキリスト教。この側面がよくわかるのが、東方正教会であろう。基盤は東洋的宗教であり、その上部構造がキリスト教である。
 キリスト教のもつ狡猾さを分析・解明せよ。
 簡単に言うと、差異・差異共振性・Media Pointが同一性=自我化されているのである。


p.s. この土台の母権宗教と上部構造の父権宗教という二重構造は、単にキリスト教だけでなく、その他様々な宗教にも当てはまるのだろう。イスラム教もそうであるし、仏教もそうであろうし、ヒンドゥー教もそうであろう。
 キリスト教で言うと、中南米カトリックは、とりわけ見やすいだろう。土着的な母権宗教の基盤の上に、カトリックが成立している。聖母マリアが母権宗教の女神の座を占めているのである。
 神道がこの点で興味深い。未だに天照大神という女神を主神にしているのである。天之御中主神は、Media Point であろう。天照大神と同じであろう。もっとも後で検討。


p.p.s. 結局、母権宗教/父権宗教の二重構造とは、正に、Media Point/→内在平面の位相であろう。民衆はこの構造によって支配されると言えよう。日本人は取り分けそうである。この支配/被支配構造を解体する必要がある。しかし、これは、優れた少数者のみに可能である。