孔子復権は、中国の太母文化の復興の表われと思われる。

孔子復権は、中国の太母文化の復興の表われと思われる。


テーマ:東アジア:朝鮮半島・中国・台湾・ロシア


これは、中国の太母文化の復興の表われと思われる。しかし、『論語』、孔子であるところから、父権制に利用されることになる。
 私は、いわば、タイムリーながら、数十年前読んだ『論語』を読み直している。簡潔な文体で、解説がないと当然わからないが、読んで惹きつけられる。父権・君主的位階(ヒエラルキー)とその共同体による秩序を説いた思想であるが、基盤には、太母文化があると直感できる。
 ニーチェの『悲劇の誕生』で言うと、ディオニュソス(太母文化)を基盤としたアポロ(父権制)の秩序を説いていると言えよう。思うに、孔子の時代とギリシア悲劇等はほぼ同時代である。先に私は、古代ギリシアと古代中国の太母文化基盤とそれを統制した父権文化が共通であると述べた。
 思うに、この太母統御的父権文化とは、古代日本でも生じたと思う。縄文時代から飛鳥時代奈良時代までにおいて、成立したであろう。天皇制とは何かがこれでわかるだろう。
 そう、この文化習合であるが、太母統合的父権制と呼ぶのがわかりやすいのではないだろうか。この文化習合が、世界的に生起したと考えられる。古代ギリシア、古代中国、古代日本、古代ローマ、古代インド、古代メソポタミア、古代パレスチナ、等々。
 そして、ユダヤキリスト教によって、父権主義が強化されて、西洋文明が発生して、世界制覇したのである。そのため、基盤の太母文化は、そのエネルギーが枯渇していき、西洋文明は衰退し、新たに、螺旋回帰的に、新太母文明、即ち、新東洋文明が形成されると考えられる。これは、差異共振主義文明ということである。


参考:
『太母文化と父権文化との主従性:太母文化⇒父権文化⇒新太母文化:ポスト・ユダヤキリスト教西洋文明』http://ameblo.jp/renshi/entry-10062274329.html


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孔子 復権 心の豊かさ求め伝統文化に脚光『論語』ベストセラー


2007年12月26日 朝刊


北京の孔子廟内にある国学館で、漢服を着て儒教を学ぶ子どもたち
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 中国で儒教や古典などの伝統文化復権の動きが強まっている。胡錦濤政権も伝統文化を重視し、孔子の思想を指導理論に取り入れた。経済発展により、人々が心の豊かさを求めるようになったことも背景にある。二十七日から訪中する福田康夫首相も孔子の故郷を訪れ、儒教を通じた日中共通の価値観に触れる。  (北京・鈴木孝昌)
 ■国学ブーム

 「借人物、及時還−!」(物を借りた時には、約束通りに返さなければならない)

 北京中心部にある孔子を祭った孔子廟(びょう)。築後七百年の歴史を刻む境内に、儒教の基本「弟子規」を朗読する子どもたちの声が響く。

 五年前、孔子廟内に設けられた成賢国学館では、三−十二歳の子ども約六百人が儒教などの国学を学んできた。孔子の弟子と同じように、伝統的衣装である漢服を着て、座卓で講義を受ける。「論語」や「大学」のほか、唐詩や書道、漢方薬、切り絵、京劇も学ぶ。

 七歳の劉涵〓君は、孔子が孝の道を説いた「孝経」の多くを暗唱できる。「国学が大好きで、毎晩寝る前に録音を聞いています」。王逸倫君(11)は「孔子は中国人の誇りであり、後世に伝えたい」と話す。

 紀捷晶館長は「北京五輪を控え、中国の良い文化を学び、海外からのお客さんに見せたいという市民の意識が強まっている」という。

 中国政府は二〇〇六年から始まった第十一次五カ年計画の「文化発展綱要」で、伝統文化教育を重視する方針を打ち出した。学校教育課程にも国学が取り入れられ、「論語」や「三国志」に関する書籍が相次ぎベストセラーに。中秋節清明節など伝統的節句も国家の祝日となった。来夏の北京五輪開幕式では、中国映画の巨匠・張芸謀監督の指揮のもと、中国武術や古典楽器を総動員した演出が行われる。
 ■文革の傷跡

 孔子の故郷、山東省曲阜には、儒教の総本山である孔子廟がある。

 孔子の没した翌年(紀元前四七八年)に建てられたが、文化大革命の後期、伝統文化や儒教孔子を批判した「批林批孔」運動では破壊活動の標的となった。暴徒は孔子廟に乱入し、歴代皇帝が参拝時に建てた石碑をたたき割り、重機で引き倒した。現存する石碑の大半はセメントでつなぎ合わせて修復されたもの。「革命無罪」の落書きなど、生々しい文革の傷跡を残す。

 曲阜は全人口六十三万人のうち四人に一人が孔姓という一族の町。当時は子孫らが町に引きずり出され、三角帽子を載せられて怒声を浴びた。孔子廟にあった孔子の石像も引き回しにされ、壊された。孔子本人や子孫の墓も掘り返し、棺おけに残っていた子孫の遺体を取り出してさらすなど、徹底的に孔子をおとしめた。

 孔子復権が加速したのは二〇〇二年に胡錦濤政権が発足してから。胡氏が育った江蘇省泰州は屈指の教育先進地で、胡氏も儒教を深く学んで育った。孔子の七十六代目子孫、孔令周さん(66)は「胡主席が提唱する和諧(調和)社会や人間本位は、孔子の唱えた“仁”や“和”の思想に基づく。中央が儒教を重視している表れだ」と指摘する。

 孔一族が毎年九月に開いていた孔子の誕生祭は、〇四年から政府主催の国際的行事に格上げされ、曲阜は年間六百万人が訪れる大観光都市になった。孔さんは「つらい過去が終わり、中国は新しい時代に入った」と実感している。

 批林批孔 文化大革命の後期、1973−75年に展開された林彪元党副主席と孔子を結びつけて批判する運動。孔子は封建主義の象徴とされ、毛沢東暗殺を謀った林彪は「孔孟の道」に従う反動派だったとして、全国で批判大会が開かれた。四人組が主導し、実際には孔子を利用して周恩来首相の打倒を狙っていた。

※〓は金へんにりっとう

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2007122602075145.html


中国のイデオロギー  Ideology in China
孔子が戻ってきた  Confucius makes a comeback  (2007年5月17日 北京)

立派な賢者を、沈んだままにはできない

「過去に学び、未来を知れ」(温故知新)と孔子は言った。今では彼自身が、学ばれる対象になっている。

孔子は中国で2000年以上にわたって、尊敬――いや、崇拝――された。しかし、共産党も20世紀自体も、この賢者に優しくなかった。近代中国になって、彼が着想した君主国の公務員試験・科挙は廃止され、君主制自体が廃止され、彼がそれを使って書いた古典的中国語も否定された。もっとひどいことに、文化大革命の間、彼と彼の信奉者は、「新中国」を熱望した毛沢東によってあざけられ、屈辱を味わわされた。

今では、北京の人民大学のずけずけモノを言う康暁光教授は、儒教は中国の国家宗教であるべきだ、と論じている。こうした提案が、孔子復権を公開のものにしている。それはまた、共産主義への熱情がとっくに衰え、当局者や社会批評家が「金銭万能になってしまった」と嘆く国にあって、共産党支配の替わりのイデオロギー的基盤を求める中国内部の闘争のもう1つの徴候である。

孔子復権は、遅々たるものだった。彼への表立った攻撃は、毛沢東が死去した1976年に終わったが、彼の人気がほんとに上がり始めたのは、やっと今なのだ。政治哲学から個人の道徳までの話題について、孔子の古い考えが、新しく広まりつつある。

http://www.eis-world.com/iza/070519.html