思考実験:Media Pointとイデア界:光と闇の二重性と超越光:神秘主

思考実験:Media Pointとイデア界:光と闇の二重性と超越光:神秘主義の闇と三島由紀夫の無


テーマ:プラトニック・シナジー理論


久しぶりに、PS理論の根幹部分に関係する問題の検討を考えている。
 それは、光と闇の問題である。霊学者ルドルフ・シュタイナーは、ゲーテの色彩論の対極性から、光と闇の二元論(対極論)を取りだしている。つまり、色彩とは、光と闇の二重性から生まれるというもので、例えば、空の青は、闇が光に進入するときに生じるのであり、夕日の赤は、光が闇に進入するときに生じるというものである。つまり、光だけでなく、闇にも実体を認めているのである。
 この問題は以前、Kaisetsu氏が解明していたが、それを借りると、+iが光であり、-iが闇となるのである。では、発生する+1の光と矛盾することになる。だから、+iを原光、-iを原闇とすれば、いいだろう。しかし、両者は超越性であるから、不可視である。それらの共振・共鳴様態が「光」なのである。
 共振・共鳴様態は、Media Pointで発生する。つまり、Media Pointは複素数であるが、その虚数の意味である。共振・共鳴における虚数である。つまり、(+i)*(-i)の意味である。私はこれを超越光と考えているのである。だから、整理すると、+iの原光、-iの原闇、(+i)*(-i)の超越光が、イデア界=超越界=高次元界に存することになる。三元性があるのである。(既述済みであるが、普遍的に、神性を三元性で表現するのは、ここから来ていると考えられる。例えば、三柱の神、三女神、三位一体、三つ巴、等々。)
 問題は、ダークエネルギーダークマターブラックホール等との関係である。また、粒子と反粒子等との関係である。
 もっとも、この点は以前に言及したので、それを想起すると、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1において、左辺の超越エネルギーが右辺の物質エネルギーよりもポテンシャル・エネルギーが高いというように見ていいのかもしれない。
 これもやはり、Media Point(以下、MP)の問題である。MPにおいて、超越エネルギーと物質エネルギーが二重性が生起している。ここで、思考実験、乃至は、作業仮説であるが、超越エネルギー、乃至は、超越的波動は永遠である。それに対して、物質エネルギー、物質波動は、有限である。つまり、生成消滅するということである。
 前者は、いわば、永遠のエネルギーである。無尽蔵であり、それが、物質界を保持していると言えよう。+1の物質界のエントロピーに対して、超越性は、反エントロピーを形成すると言えよう。前者の方向を+1の方向とすれば、後者の方向は、現象的には、-1になるのではないだろうか。これが、宇宙の膨張を指しているのではないだろうか。
 しかしながら、実際は、Media Pointを介した虚軸方向を意味すると言えよう。つまり、高次元の方向である。思うに、ダークマターは、ダークエネルギーに吸収されるのかもしれない。
 さて、最後に言及したいのは、神秘主義で説かれる「闇」であるから、それは、やはり、ダークエネルギーの「ダーク」と同じで、実体・本体は、超越性(=イデア)であると考えられるのである。ダークdarkは、超越性transcendentである。超越論性ではない。
 「闇」は超越光なのである。超越した「光」なので、「闇」と現象的に感じられるのである。注意すると、神秘主義の「闇」と上述した原闇は混同されてはならないということである。前者は、超越的差異共振性、ないしは、原差異共振性である。
 因みに、三島由紀夫の『鏡子の家』で、画家が、青木ヶ原の樹海が消えて、無になるヴィジョンをもったが、その無とは、既述したように、超越性を示唆していると見るべきである。『豊饒の海』でも、無が表現されたが、それも同様である。三島由紀夫は現象界に囚われる側面が強かったので、無を超越光として明確に把捉できなかったと考えられるのである。