・新党大地

日経
http://www.nikkei.co.jp/senkyo/200509/elecnews/20050831d1e3100t31.html





差異共存志向性とフッサールの志向性


先に、差異共存志向性とフッサールの志向性とを同一視したが、前者の外在的志向性が今一つはっきりしないようなので、ここで検討したい。ここでも、図式化したい。

d1・d2・d3・・・・・dn (メディア界の現象極:連続・同一性志向性)

これが、メディア界における差異の連続・同一性の図式である。ここから、現象化が生じるのである。即ち、

d1ーd2ーd3ー・・・ーdn (現象界)

となる。問題は、知覚である。現象界の図式は、言語知覚と一体である。即ち、これは、内在的知覚であり、同時に、外在的知覚を意味する。つまり、内的対象であれ、外的対象であれ、これは、「意識」の志向性の対象であると考えることができるだろう。だから、現象界の図式は、フッサールの志向性の末端であると言えるだろう。そして、フッサールの志向性自体は、メディア界の差異共存志向性であると言えるだろう。あるいは、メディア界自体の志向性と言えるだろう。即ち、

d1〜d2〜d3〜・・・〜dn (メディア界)

である。だから、整理すると、ノエシスが、メディア界自体であり、ノエマが、現象界であると言えるだろう。結局、差異共存志向性自体が、フッサールの志向性と重なり、志向性されるものは、現象界となるのである。
 以上により、はなはだ簡単ではあるが、これまで述べた通り、不連続的差異論とフッサール現象学とは、重なることがさらに検証されたと言える。フッサールは、確かに、現代哲学のパイオニアであった。それも、基本型は実に明確である。しかし、後継者たちが、いわば曲者であった。現象学を発展させるよりは、自己流に味付けした嫌いがある。そして、実存主義構造主義ポスト構造主義と、哲学が流行に堕してしまった。結局、これらは、フッサール現象学のそれなりの展開である。また、私見というか、推測では、レヴィナスの哲学もフッサール現象学の延長上にあると思う。また、ポストモダンないしポストモダニズムというものも、原点はフッサールないしニーチェであるが、フッサールを看過していると思う。結局、不連続的差異論は、ポストモダンポスト構造主義であるドゥルーズ哲学を批判的継承して、結局、ニーチェと並ぶ現代哲学の原点、あるいは、ニーチェを越える原点であるフッサール現象学を発展させたものとなっていると言えるのである。それを、不連続的差異化させたと言える。つまり、フッサールの超越論的現象を不連続的差異化したのである。ということは、フッサールドゥルーズは、超越論的には、同一物である。ドゥルーズは、フッサールを現代において、復活させていたと言える。結局、現代哲学、ポストモダンの問題は、超越論性の本体は何かということであったと言えるだろう。フッサールが開拓したこの新大陸を、ドゥルーズは差異をもって、いささか混乱していたが、発展させたとは言えるだろう。そして、不連続的差異論が、これを、完成させたと言えるだろう。

p.s. 
現代哲学・ポスト・モダン哲学の超略譜

ニーチェフッサールデリダドゥルーズ⇒不連続的差異論





差異共存共創資本的政治経済社会論:差異共存益・共創益的相補性・相互補完的資本経済


差異共存共創経済(以前、差異共創存経済と呼んだ)であるが、上記の結びでは、差異共存志向的公益的経済と差異創造・共創市場経済との相互補完・両極相補的経済と書いたが、どうも、二元論的に見えてしまうおそれがある。真意は、差異共存志向性という「一義性」に基づく経済システムである。繰り返すが、個であることが、他者の個との共存を志向するのである。これが原点である。そして、個の即自・対自的創造性を活かすのが、共創自由市場経済であり、個の共存志向性の共存的利益をもたらすのが、公益・社会益的経済である。後者には、第一次産業も含む。たとえば、農業は、単に個的利益だけでなく、公益・社会益性があるからである。 
 もう少し説明すると、個であることは、単独的側面と共存的側面があるということであり、両者の相補性がある。いわば、個の「量子力学」だろう。単独性/共存性の相補性である。(自我、自我主義、自己中心的利己主義はこれを破壊する。)そして、単独志向の側面が、共創自由市場経済であり、共存志向の側面が共存益・公益的経済である。もっとも、単独志向にも、共存志向があり、共存志向にも単独志向があるのである。だから、原理としての一義的な差異共存志向性があり、この経済的展開が、この共存益・公益経済/共創自由市場的相補性経済であると言える。つまり、不連続的差異論を理論的根拠とする政治/経済学である。一言で言えば、差異共存共創的公益/倫理/自由資本経済である。差異共存・共創資本的政治経済である。

尚、これは、以下の記事の追伸を修正し、独立させたものである。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10003874662.html

p.s. 換言すると、差異共存益・共創益的相補性・相互補完的資本経済である。つまり、共存資本と共創資本に、政治・政策的に分化させ、相補性を形成するのである。差異共存資本⇔差異共創資本的政治経済である。差異共存/共創相補性資本主義。