ヌース理論と不連続的差異論:構造的一致とラカン精神分析の問題点

半田広宣氏のコメントに関連して、少し再考しよう。  
 半田氏は、イデア界/メディア界/現象界を、父・聖霊・子の「三位一体」で捉えているが、これは、鋭敏な指摘だと思う。キリスト教の伝統的枠組で見れば、正しい。しかし、私は「父」を問題にしたいのである。イデア界を「父」と見るときは、それは、グノーシス主義の至高神としての「父」でなくてはならないと私は考える。ヤハウェとしての「父」ではないのである。グノーシス主義的に捉えれば、半田氏の指摘は正しい。
 しかし、私見と異なるのは、イデア界=象徴界/メディア界=現実界/現象界=想像界とする点である。ラカン精神分析の相応物を言うならば、私の考えでは、単純に、イデア界=現実界(実在界と言いたい)/メディア界=想像界/現象界=象徴界である。私としては、イデア界は実在界である。スピノザ哲学で言えば、実体である。あるいは、伝統的には、叡知界である。どうして、象徴界にしないかと言えば、象徴界とは言語界である。言語とは別のものとして、イデアを私は捉えたいのである。不連続的差異を、非言語的な実在として、捉えることが大事だと思うのである。近代西欧は、ヨハネ福音書のロゴスを言葉と誤訳したが、そのような破壊的誤訳を避けたい意味もあるのである。ロゴス=イデア≠言葉であると私は考えるのである。この誤解が、デリダのロゴス中心主義批判にもあると思うのである。デリダのいうロゴスとは、同一性=言語のことだと思う。
 メディア界=現実界とするのは、半田説からは、わかる。次は、半田氏による不連続的差異論とヌース理論との対応である。



1、現象界(NOS*、NOOS*)………子(想像界)→象徴界
2、メディア界(NOS*、NOOS*、NOS、NOOS)………聖霊現実界)→想像界
3、イデア界(NOOS、NOS)………父(象徴界)→現実界(実在界)


赤色にした半田氏の対応はまったく的確だと思う。不連続的差異論とヌース理論で完全に一致する部分だと思う。しかし、繰り返すが、青色の部分が、異なるのである。緑色が私の解釈である。私見では、ラカン精神分析は、不十分なものなので、このような解釈の違いが出ても、大きな問題ではないと思うのである。つまり、次のように考えられるのである。ラカンの言う象徴界とは言語界であり、これは、同一性構造をもっているのである。そして、同一性構造とは、自我と他者との一致であるから、ラカン鏡像段階に対応する部分であり、当然、想像界になるのである。つまり、私見ないし不連続的差異論では、ラカン象徴界想像界とはほぼ等価なのである。だから、半田氏が現象界を想像界にしたのは、問題ない。
 また、聖霊現実界であるが、確かに、聖霊は、イデア界に通じるものと考えられるので、現実界(実在界)と解釈できないことはない。聖霊は微妙な領域だと思う。メディア界でありつつ、叡知(ソフィア)を伝えると思う。
 次に、父=象徴界であるが、これは、ユダヤキリスト教の父とするなら、適切ではないかと思う。しかし、至高神としての父を考えると、これを象徴界にするのは、どうなのだろうか。


p.s. ヌース理論と不連続的差異論が一致するもう一つの考え方は、当然ながら、イデアの考え方である。私は、スピノザドゥルーズ哲学から、知即存在というあり方のイデアを考えているが、これは、ヌース理論と共通するのである。


p.p.s. 上記では、ラカン鏡像段階想像界に置いたが、それは、適切ではないので、訂正したい。それは、同一性構造に当たるので、メディア/現象境界に置くのが正しい。ラカン想像界とは、やはり、メディア界に当たるものと見るのが適切である。ただし、以前も述べたが、精神分析の近親相姦主義は否定されるべきである。それは、そのように見えるものを、事実と誤認していると考えられる。メディア界において、多様体が発生し、それが、母子相姦的に見えるに過ぎない、そうではなくて、メディア界においては、差異の共振連続化による多様体を見ないといけないのである。この点、ドゥルーズガタリのアンチ・エディプスという考えは正しいのである。


参考:CAVE SYNDROMEから
複素平面と十字架


 以前、砂子氏に送っていただいた「波動関数の解釈の解釈」という論文をヌース会議室の方へUPした。→sunako_Meaning_of_wavefunction.pdf

僭越な言い方にはなるが、少なくとも今までわたしが読んだ量子解釈ものの中では、この砂子氏の解釈の切り口はダントツに優れているという感想を持った。というのも、量子存在自体をイデアと目する視座が文面の至る所に見られるからである。
・・・』

http://noos.cocolog-nifty.com/cavesyndrome/2005/12/post_4582.html

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http://ameblo.jp/renshi/entry-10010497036.html#c10016963359
の半田広宣氏のコメント


『 ■父・聖霊・子(1)


久々にコメントです。
あまり顔を出しすぎるのも何かと思いまして(^^)>

ヌース理論が考える双対性の全体的な俯瞰について、簡単に述べさせていただきますね。
不連続的差異論では、現象界、メディア界、イテア界という三位一体構造を一つの枠屈みとされているかと思いますが、このトリニティは、双対性の視点から見ると、次のような関係にあるのではないかと思われます。

1、現象界(+*、−*)
2、メディア界(+*、−*、+、−、)
3、イデア界(−、+)

これをNOOS、NOSで表示しますと次のような関係になります。

1、現象界(NOS*、NOOS*)………子(想像界
2、メディア界(NOS*、NOOS*、NOS、NOOS)………聖霊現実界
3、イデア界(NOOS、NOS)………父(象徴界
半田広宣 (2006-03-24 01:19:12)


■父・聖霊・子(2)

(1)より続き………

このトリニティ構造の活動は二つの時期に分かれて働くものと考えられます。
一つは、1の現象界と3のイデア界が結合して動く活動期です。これはいわゆる父-子の契約関係で動くユダヤキリスト教的なエロスの活動とも言っていかも知れません。いわゆるオイディプス、人間の意識が活動するところです。もう一方は、意識がこの契約関係を反古にし、天-地の中間領域(これでメディアの本質だと思うのですが)へと侵入して活動する時期です。ここは宇宙の二元化を四値的思考によって相殺するような意識の場になります。これら二つの宇宙の状態は、ルーリア・カバラにおける器の破壊(シェビラート・ハ=ケリーム)と器の修復(ティクーン)という概念に対応させることができると考えております。

仕組みとしましては、天上で、まず能動力としてのNOOSが作用し、その反映力としてNOSが生じます。それらを受けて、地上で能動力としてNOS*が作用し、その反映力がNOOS*として働くということになります。地上でのNOS*は物質-延長-パラノ的意識(アポロン的)、NOOS*は強度-感覚-スキゾ的意識(デュオニソス的)に対応します。ベルクソン-ドゥルーズのいう差異は、この地上でのNOOS*に対応するでしょう。ここでのNOOS*とは人間の無意識構造(コーラ)のようなものに対応すると思います。
この文脈から言えば、「不連続差異」の創造とは、聖霊界、つまり間をつなぐ天使的領域の顕在化を意味するような気がします。。上でいう「器の修復」ですね。もちろん、この聖霊的なものの登場をイデアの範疇と考えてもいいと思います。そのときは、人間の無意識構造がメディア界に対応させることができるのかもしれません。

半田広宣 (2006-03-24 01:20:25)』