所謂、ソーカル事件について:モダンとポストモダンの戦争

遅ればせながら、話題としては、とうに過去のものであるが、『「知」の欺瞞』(日本語訳:2000年)を読み出した。「1.はじめに」を少し読み、所謂、ソーカル事件が、モダンとポストモダンとの、近代主義とポスト近代主義との、戦争・闘争であると直観した。近代的合理主義者であるアラン・ソーカルは、近年流行したポストモダン思想に、当然、否定的見解をもっていたと考えられるのである。ポストモダンは、近代的二元論を否定するし、また、相対主義であり、近代的科学を、一つの「神話」や「物語」に変えるのであるが、それを、近代的合理主義者のソーカルらは、当然、否定したい欲望をもつのである。これは、新旧闘争である。この点を見ないと、この事件は、理解できないだろう。勿論、ポストモダン思想は、あいまいな叙述があるのは確かであるが、しかし、それは、近代主義の超克としての明確な理論性をもっているのである。これは、否定出来ない確固としたものと言える。
 思うに、ソーカルらは、自らの近代的合理主義の立場から、ルサンチマン的に、ポストモダン理論を否定すべく、策略の論文を書いたのである。しかし、彼らはデタラメと言っているが、しかし、説明を少し見たが、デタラメではなく、ポストモダン思想としての正当な意味をもっていると思われるのである。ソーカルらは、ポストモダン理論を認めたくないために、単純に、短絡的に、全否定しているに過ぎないように思える。
 後で、読み続けて、明確にしたい。