イデア界・ガウス平面における不連続的差異の一回転の意味について:

イデア界・ガウス平面における不連続的差異の一回転の意味について:Ver. 1


半田広宣氏から本件について質問があったので、ここで、現時点での私の考えを述べたい。
 イデア界・ガウス平面における不連続的差異=イデアの回転の問題は、いろいろ試行錯誤を続けてきて、これまで、3回の1/4回転で、現象界が発現し、そこから反転して、6回目の1/4回転でイデア界、即ち、出発点に戻ると考えてきた。この考えからみると、一回転は、4回目の1/4回転を意味し、それは、現象界からメディア/現象境界への反転を意味することになる。
 だから、この考えからみると、一回転はあまり意味をもたない。6回の1/4回転で、出発点、X軸へと回帰することになる。
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以上が、半田氏の質問に対する答えとなるのであるが、半田氏の鋭い質問を受けて、もう一度再考したいと思う。 
 6回の1/4回転でワン・サイクルという考えは、3回の1/4回転で、現象界へ達するのであるが、その考えをもつ以前は、2回の1/4回転で現象界へ達すると考えていた。確かに、後者の方が、構造的には、より整合的になりうるのである。なぜなら、4回の1/4回転、即ち、一回転で、出発点の原イデア界、X軸へと回帰するからである。
 では、問題点はどこにあるのだろうか。それは、ODA ウォッチャーズ氏が指摘した垂直へ捩れる事態・事象をどう捉えるかである。このことが、本件におけるいちばんのポイントと言えよう。1回目の1/4回転で、不連続的差異(以下、元素差異ないし元素イデア)が、Y軸上へ回転移動する。このとき、元素差異のX座標はゼロになっているのであり、これが、ゼロ化・ゼロ度化の事象を意味し、それが、メディア界を発出させるのである。このとき、垂直に捩れるので、元素差異の座標は、(0,Y、Z)となる。即ち、立体座標に転換するのである。ガウス平面上では、回転移動した元素差異は、(0,1)ないし0+iであるが、イデア/現象境界としては、(0,y、z)になると考えられるのである。 
 問題は、このZ軸の発現の意味である。これは、1回目の1/4回転で発生すると考えられそうである。この考えで展開すると、2回目の1/4回転で、(−1、0,z2)となるだろう。このとき、元素差異は、原イデア界(X軸)の対蹠点にある。即ち、ゼロ化が解消されるのであるから、発生したメディア界の差異(以下、メディア差異)は、消滅するだろう。つまり、元素差異はいわば、マイナス元素差異、反元素差異となると考えられる。ならば、1回目の1/4回転がメディア差異の生成を、2回目の1/4回転がメディア差異の消滅を意味する。つまり、(−1,0,z2)の座標において、メディア差異が消滅しているのである。つまり、この座標はいわば、《空》(くう)になるのである。
 さらに、この考えを展開すると、3回目の1/4回転では、再度ゼロ化により、メディア差異が再生成する。イデア界・ガウス平面の座標は(0,−1)であり、元素差異が垂直に捩れるが、座標がどうなるのかが問題である。単に1回目の1/4回転と対称となる位置、即ち、(0,−y,z)となるのだろうか。これならば、永遠に、同位置でのメディア差異の生成消滅が起こるのであり、おそらく、陰陽だけの世界で、現象界が発生しないだろう。だから、考えられるのは、3回目の1/4回転で、メディア差異の座標が(0,−y、3z)となることである。つまり、ODA ウォッチャーズ氏が指摘したように、時間軸をZ軸として見ることである。即ち、1回目の1/4回転は、Z軸(時間軸、T軸)でT1経過するのであり、2回目の1/4回転で、T2経過し、3回目の1/4回転で、T3経過すると考えれるのである。また、さらに、4回目の1/4回転では、元素差異は、元のX軸へと回帰するが、メディア差異は再消滅してその、《空》の座標は、(1,0,4z)になるだろう。これが、一回転の事象となる。
 そして、回転がさらに続いて、不連続的に螺旋形状のメディア差異の生成消滅が起こることになる。メディア差異の生成消滅の進展的反復である。有と無との螺旋的反復である。また、−X軸もあるから、メディア差異の生成消滅は、対(つい)生成消滅となるだろう。
 では、こうすると、現象界の発生はどういうことになるのであろうか。それを考察する前に、メディア差異の様相について確認しておこう。元素差異は、X軸上に共立している。だから、これが、メディア差異に転化するとき、1回目の1/4回転(以下、第1回転)のとき、イデア/メディア境界が発生するが、それは、いわば、線である。しかし、回転移動の過程の領域を考慮すると、第1回転では、X軸からイデア/メディア境界(以下、メディア軸)への回転領域が生起するだろう。それは、いわば、捩れた平面ではないだろうか。そして、これが、メディア平面となるのではないだろうか。そして、このメディア平面とイデア界・ガウス平面とで「構築」される立体が、現象界ではないだろうか。そして、第2回転では、メディア差異の消滅プロセスとなり、いわば、突如、現象事象が消滅するのではないだろうか。しかし、正に、ここで、《差延》が発生して、徐々に消滅するのではないだろうか、ちょうど、『不思議の国のアリス』のチェッシャ猫の笑いのように。そして、第3回転では、第1回転と同様に、メディア差異が生成して、現象が発現する。そして、回転自体は無時間、無限速度で発生するのであるが、《差延》で、徐々に生成すると考えられる。おそらく、現象の形成は、この《差延》事象に拠るのではないかと思われる。例えば、植物の生長が典型的であろう。種があり、発芽し、葉と茎が螺旋的に生長し、花をつけ、実をならす。種子は、おそらく、第一回転に当たるだろうし、発芽が、第2回転等々となると考えられるのではないだろうか。(この点について、別稿で、詳しく検討したい。予見的に言えば、生命体だけでなく、鉱物の発生も同様ではないだろうか。)
 以上のように作業仮説して、検討を進めると、大きな問題は次元である。回転により、垂直的捩れが発生して、それが、メディア差異と現象を構築する。メディア差異は連続的差異=微分であり、それが、積分されたものが現象界と言えよう。ドゥルーズの言う異化である。確かに、イメージとしても、メディア差異が積もった様態として現象が理解される。とまれ、この現象体は、立体である。しかし、実際は、メディア差異の《差延》であるから、立体ではないだろう。ここでも作業仮説して言えば、メディア平面(おそらく、メディア円ではないだろうか)の積分として、現象立体が発現(仮現)するのだろう。だから、2次元が3次元を発現(仮現)させるのである。
 では、次元の問題に戻ると、3次元までは、構築できたが、現象時空四次元性にまでは達していない。ここで、超越論的主観性の視点を考察しないといけない。これは、正に視点である。これは、元素差異の主観・認識・意識であり、直観である。直観知性である。これが、メディア界においては、想像力的になる。そして、現象界においては、言語と結合して、同一性、同一性自我となるのである。これは、自我の他者への同一性関係と言い換えることができる。すると、現象界は、この同一性次元が入ることになるのである。3次元+同一性次元=4次元である。丁寧に考えると、元素差異の志向性が回転の原動力である。これは、垂直/水平志向性である。そして、これが、回転して、メディア差異となるのである。元素差異と元素差異とが共振して、メディア差異となるのであるが、このとき、平面を形成すると考えられる。これは、垂直/水平志向性原動力の展開と見ることにしよう。そして、メディア差異(メディア平面)の《差延》=積分として、現象界が発現するのであるが、この立体3次元の内部に同一性の視点が入っていると考えられる。おそらく、Z軸が、同一性の視点となり、深さや高さの次元となり、立体次元を発現(仮現)するのである。これで、空間3次元の説明がつくが、時間次元はどこにあるのだろうか。それは、この垂直の捩れ自体が時間次元ではないだろうか。だから、立体空間3次元からは、時間次元が見えないのである。捩れた空間3次元の、言わば、捩れ次元に時間次元があるのではないだろうか。これで、現時点において、暫定的に、本件の問題に答えたこととしよう。