表意文字と不連続的差異論:表意文字の共存性・理念性と表音文字の対

表意文字と不連続的差異論:表意文字の共存性・理念性と表音文字の対立性・現象性


漢字の「山」や「川」であるが、これは、自然の現象を直観で捉えた文字であろう。「山」は、三角形であり、あるいは、3つの峰であろう。これは、直観的抽象能力である。では、想像力とどう違うのか。

 思うに、これは、アレゴリーとシンボルの違いに相応するのではないだろうか。前者は、理念形象的な表現であり、後者は、理念情緒的表現ではないだろうか。換言すると、理念知性的表現と、理念情動的表現ではないか。ここでは、とりあえず、簡単に、直観力とは形象知性とし、想像力とは形象情動力としよう。ここで、形相という言葉を考えると、それは、前者に通じるだろうし、また、「イデア」であるが、花のイデアと言った場合の「イデア」であり、それは、当然、前者である。

 ここで、整理すると、表意文字象形文字、絵文字等は、アレゴリー、形相、「イデア」的である。しかし、この「イデア」であるが、それは、不連続的差異論の3層構成では、どの領域にあるのだろうか。

 ここで、同一性の問題がある。「山」は、個々別々の「山」を抽象している。だから、同一性でもある。しかし、ここでは、表意文字で考えているのである。表音文字の場合、mountainとbountainは、音素mと音素bの対立構造・弁証法構造によって、対立するのである。つまり、表音文字の場合は、同一性構造が機能して、否定・排除的になるが、表意文字の場合は、同一性が発生するが、それが、構造とはならないと言えるだろう。例えば、「山」と「川」であるが、イメージ的には、似た面がある。「川」の下部に横棒を入れれば、ほぼ「山」になるだろう。だから、「山」と「川」とは、対立しているかと言えば、それは、表音文字のような対立にはならない、なりえないだろう。なぜなら、「川」を1/4回転すれば、位相的には、「三」となり、差異や変異が、2項対立・二者択一・排中律にならないで、共存・共立・共生しているからである。

 さて、問いに戻ると、どこに、「山」が位置しているのかと言えば、それは、少なくとも、メディア界に位置していると言えるだろう。それに対して、表音文字は、メディア/現象境界に位置している。換言すると、表意文字は、メディア差異的であり、表音文字は、メディア/現象境界的である。また、さらに言えば、表意文字は、自然の発生を捉えていて、先にも触れたが、イデア/メディア境界を指示ないし示唆していると思うのである。つまり、表意文字は、1/4回転の事象を指示ないし示唆しているのである。そして、表音文字は、現象界を指示・示唆しているのである。近代主義が西欧で発生したのは、この点から考えられるのである。