「思考実験:XYZNの直交4次元座標」のコメント

以下は、「思考実験:XYZNの直交4次元座標」
http://ameblo.jp/renshi/entry-10012934213.html#c10021770421
のコメントを独立させたものです。


虚数空間が現時点では、あくまで、比喩であること

ヌース理論の半田広宣氏の説明は、一つの比喩として捉える方が、より半田氏の考察を有意義にすると考えています。
不連続的差異論誕生の当初、私の教え子で、数学オリンピックの選考に残った青年のことを書いたように思いますが、彼も、「平面のカラーリング、色づけ」という表現を用い、さらに、それを「ウェイト」と見る手法を語っていました。
ここで言う、ウェイトとは、「力」「エネルギー」「傾向」というような意味だと思います。
 思考実験的に考察すると、実軸に居るというイマジネーションを得るには、虚軸に居るイマジネーションが必要であり、虚軸の想起には実軸の想起が必要になる。
 人間の認識構造の、この『ジレンマ』をエポケーに入れて、これを「ゼロ」に還元するしか、現在の哲学は進んでいない。
 つまり、「カフカの『審判』の無実の逮捕である。」
ODA ウォッチャーズ (2006-05-28 00:47:03)

■“受胎告知の形象化”を連想しました

ダニエル・アラスの著書『なにも見ていない』の問題提起の一つは“形象不可能なるものの形象への降臨”こそが“受胎告知図”という画家の仕事だ、ということのようです。
toxandoria (2006-05-28 06:50:18)

■第三の複素平面(1)

お久しぶりです。わたしの拙い思考内容を取り上げていただき感謝しています。ODAウォッチャーズ氏のおっしゃる通りですね。

意識の様々な特性を幾何学的に形式化していくには、複素空間における多様体が最も適している材料であると思っていますが(ドゥルーズも内在平面をn次元多様体と表現していましたね)、現時点では、メタファーの域を出ていないのは確かです。今後、量子論の確率解釈や、観測者問題などを含めた上での細かい検討が必要になってくるでしょう。個人的には、比喩ではなくそのものだとなるように、論理のクラルテを磨いていくつもりです。
半田広宣 (2006-05-28 14:52:20)

■第三の複素平面(2)


>思考実験的に考察すると、実軸に居るというイマジネーションを得るには、虚軸に居るイマジネーションが必要であり、虚軸の想起には実軸の想起が必要になる。

全くその通りだと思います。そうしたイマジネーションのトポスがC^3にあると考えています。

 プログで取り上げていたC^2上においては、虚軸を認識するための虚軸(虚軸に直交する虚軸)は存在していません。その意味でも、対象と主体の分離を表現することが不可能なんですね。こうした他者なき世界、自他なき世界としての「知覚野そのもの」として世界の在り方をC^2上におけるSU(2)対称性(4 次元空間における回転対称性)と見なすのがヌース理論の考え方です。つまり、ここが「無人島」なわけです。

 SU(2)は3次元球面S^3のことでもありますから、コンパクト化が可能で、4次元時空上では、文字通り〈差異化=微分化〉の領域として、分子機械として作動するようになります。

 このミクロな機械内部に広がる連続的な内在面に排他的な離接を用意させてくるのが、第三の複素平面を加えたC^3ということになると思います。対称性で言いますとSU(3)です。「アンチ・オイディプス」的に言えば、原始土地機械から専制君主機械への相転移ラカン風に言えばファルスのトポスの発現。モーゼの登場というか、脱エジプト的事件がここで起こるわけです。(現代宇宙論がいう「自発的対称性の破れ」がこれに当たります)。

 この C^3において、双対力(SU(2))として実現していた不連続的差異のゼロ度のシステム(+−+−)である聖霊領域は、(++,−−)という父(象徴界)と母(想像界)へと偏曲し、SU(2)によって実現されていたゼロ度のシステムそのもの(現実界)は、その間に眠るメディア界として潜在化させられてしまいます。カバラのいう器の破壊がここに起こるわけですね。

 かなり大まかで申し訳ないのですが、こうした考察からすると、いわゆる左右方向からの視線を持つイマジネーションと、それとともに奥行き方向に侵入してくる乖離感覚がこの第三の複素平面の虚軸と実軸に相当しているのだと思います。イデア構成にこうした第三の複素平面が加わることをヌース理論では「オイディプス化」として説明しています。
半田広宣 (2006-05-28 14:53:47)

■半田広宣様 詳しい解説、感謝します

私自身は、幼い頃から数的に考える「癖」をもっていることと、いつも、文字の「曖昧性」に怯える性質から、余りに端的に表現しすぎる「癖」があります。この点で、的確にポイントを突いて頂いてのコメント、とても感謝しています。
まさに、
「比喩ではなくそのものだとなるように、論理のクラルテを磨いていく」
ことに、私自身も貢献したいと考えています。
さて、「c^3」(勿論、c^2からの連想)についてですが、やはり、「光」が「自然対数のe」と同じ正確を有すると考えることがポイントになるような気がします。高校で習った時から、そんな気がしていました。
この点について、何か、閃きが御座いましたら、御教授ください。
ODA ウォッチャーズ (2006-05-28 18:07:17)

■toxandoria様 とても示唆に富む文章です。


次の文章、とりあえず、当方のブログの巻頭に置いて、毎日、黙考します。
http://blog.kaisetsu.org/


ダニエル・アラスの著書『なにも見ていない』の問題提起の一つは“形象不可能なるものの形象への降臨”こそが“受胎告知図”という画家の仕事だ、ということのようです。
Kaisetsu of ODA ウォッチャーズ (2006-05-28 18:12:14)

■コメント感謝します:C^2=メディア界の幾何学へ向けて
半田広宣さま

ご執筆でお忙しいとき、TBでお邪魔して、少しは気にしています。
どうも、不連続的差異論に沿った、丁寧な解説ありがとうございます。とても、明快です。
C^2とC^3は、明確に、不連続的差異論のメディア界と現象界(ないしメディア/現象境界)に相当することが、わかりました。この点で、ヌース理論と不連続的差異論は、まったく同じことを記述していますね。
 とまれ、「オイディプス化」とは、見事な命名ですね。私は、父権制化ないし近代的自我化と見ています。左右感覚と奥行き感覚の乖離の事象がとても気になります。C^2=メディア界では、乖離せずに、一種未分化的に合一しているわけですが、この空間は、球面として見ていいのでしょうか。ここは、量子論の《空間》です。私は、まだ、量子論幾何学が明確に描けずにいますが。
 とまれ、ODA ウォッチャーズ氏の指摘にありましたように、虚軸と実軸の対極性が、C^2=メディア界にあり、それが、オイディプス化=現象化によって、奥行きと左右に乖離するという風に考えていいようにも思えるのですが。C^2=メディア界の複素平面から現象空間に転化するときに、虚軸(虚軸と実軸の対極性)が、無限から有限になり、単なる前後になると見ていいのでしょうか。
 とまれ、おかげで、私なりに、幾何学化のイメージが出てきました。C^2=メディア界(=メディア平面、内在平面?)は、現象界において、潜在化していて、これが、時間軸と関係していると思います。そして、この時間軸とエネルギーが関係しているのでしょう。相対性理論は、C^2=メディア界をオイディプス化=現象界から定式化していて、また、量子論は、なんとか、それを、相補性等で把捉しようとしていますが、まだ、オイディプス化=現象界のへその緒、つまり、唯物論に囚われていると思います。
 いろいろ、アイデアが浮かんできます。本文で書いてみます。