思考実験:XYZNの直交4次元座標

思考実験:XYZNの直交4次元座標


ヌース理論の半田広宣氏は、以下のように述べている。


「ヌース理論では奥行き方向を虚空間の方向と考える。というのも、奥行き方向は知覚が世界へと降り立ったときに生じる干渉場のようなものであり、3次元の中で人間の現実が息づく唯一の方向性でもあるからだ。その意味で、奥行き方向は左右方向や上下方向とは絶対的な差異を持っている。その差異の方向を実軸(左右や上下)の手前側への90度回転と見立て、虚軸として考える――。筋書きとしては至って簡潔である。実際に、そこには一つの直線が息づいてはいるのだが、その直線は目で見ることはできない。それがゆえに、それは「虚」の次元であると考えてみようということだ。。奥行きを実の1次元として、左右・上下と無理矢理、同一化させて見ている現在の空間認識よりも、心理的には極めて自然な空間解釈と言えるだろう。  この考え方でいけば、モノを中心に自他が向かい合った状態では、二本の虚軸が奥行き方向に重なり合って存在しているということになる。知覚正面に十文字に実の2次元平面が広がり、奥行きに二本の虚軸が重畳する――これがヌースが21世紀の人類に向けて提言するこの存在空間のベーシックな描像だ。」
《最終兵器C^2》
http://noos.cocolog-nifty.com/cavesyndrome/2006/05/c2_99a2.html


これをヒントにして、不連続的差異論の1/4回転による虚軸の様相を、再考しよう。
 半田氏は、虚軸を奥行きの方向であると述べている。不連続的差異論では、虚軸Y軸は、メディア界が形成される軸である。ここでは、差異(不連続的差異)は、ゼロ度共振連結するのである。そして、メディア界の差異は、垂直に捩れて、Z軸を形成する。ここで、立体空間が発生するが、Z軸を境界ゼロ度軸とすることができるだろう。そして、境界無軸N軸(Nはnothing)を考えよう。すると、XYZN軸直交座標の4次元空間がある。
 問題は、時間軸をどこに設定するかということである。Y軸にするのか、Z軸にするのかである。ここでは、Z軸を時間軸と仮定しよう。Z軸は、量子軸と言ってもいいかもしれない。ここでの、時間とは、光速に関わる時間だろう。境界ゼロ度の量子時間である。ならば、結局、XYNで、空間三次元を形成するということになり、Zが時間一次元である。
 ここで、半田氏の考えを借りると、X軸が左右軸、Y軸が前後軸(奥行き)、N軸が上下軸となるだろう。不連続的差異論では、Y軸虚軸は、境界ゼロ度を形成する軸であるが、イデア界とメディア界の境界、即ち、イデア/メディア境界ではないだろうか。完全な境界ゼロ度軸は、Z軸と考えたい。(因みに、YZNの三次元が、メディア立体空間であろうか。ドゥルーズガタリの内在平面とは、YZ平面かZN平面のことではないだろうか。それとも、ガウス平面のことなのだろうか。)
 虚軸は、イデア/メディア境界とここでは、考えたい。ここは、正に、不連続的差異の特異性と差異の共振共感的連続性とが、混淆する領域であるが、直観では、「魂」の領域である。ここで、心身的な無限が発生するのである。そう、虚軸は、「魂」・心身的無限を意味しているように思えるのである。ここは、深度の軸と言ってもいいのかもしれない。深みである。そして、これが、上下に適用されて、高さ、深さが発生するのではないだろうか。確かに、半田氏が説くように、虚軸は、奥行きの軸なのかもしれない。無限軸と言ってもいいだろう。おそらく、ここに、森羅万象の核心があるのではないだろうか。だから、実軸(左右)ー無限軸(虚軸:前後)ー時間軸ー現象軸(無軸:上下)となるだろう。
 そして、この無限軸が、上下左右に向けられるのではないだろうか。ここで、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』を想起するが、鏡は、正面にあるのであり、無限軸を意味するだろう。そこでは、特異性と差異の対極性が併存している「カオスモス」の世界のはずであるし、実際、時間の可逆性(差異の対極性)があるし、また、特異性の人物が跋扈しているだろう。また、宇宙論では、特異点が問題になるが、それも、無限軸のことではないだろうか。いちおう、ここで、留めたい。


p.s. 現象界ないし近代的自我・近代合理主義は、虚軸を無視しているのだろう。というか。現象軸から時空間認識をしているのだろう。だから、虚軸が、単なる前後軸になるのだろう。つまり、無限性を喪失しているのである。無限性を抑圧・排除して、反動暴力化しているのである。『不思議の国のアリス』で言えば、「コーカス競走と長い尾話」のネズミの話の「フュアリー」(やくざ犬)である。カフカの『審判』の無実の逮捕である。