日本の滅亡:精神・人倫の喪失による日本の死

日本の滅亡:精神・人倫の喪失による日本の死


日本の老人の増加、未婚率の増加、出生率の減少、等々、今や、人口的に滅亡へと向かっている。
 とまれ、これは、単に人口政策で対処できる問題ではない。根本において、崩壊があるのだ。
 私は、学生の頃、今から、30年以上も前になるが、憂国の気持ちに囚われた。同年代の学生たちの言葉にある、身勝手な響きに、あきれた。今から思えば、「魂」を失っているのだ。(「魂」とは、メディア界のことである。)そう、人間存在の核心になるべき、人倫が欠けていたのだ。三島由紀夫の激烈な自死は、数年前にあった。そう、三島由紀夫の『文化防衛論』に「断絃の時」があったと印象的に述べられていた。私が言いたいことは、この一言に集約される。「断絃の時」である。コスモスとの繋がりを失ったのである。プロトモダン(原近代)を喪失して、近代主義になったのである。
 私が、同年代の学生の言葉に感じたものも、これである。コスモス宇宙との繋がりの喪失である。勿論、今から考えての判断である。とまれ、それにより、憂国の気分にとらえられたのである。
 それは、実に、日本の死であった。死後硬直は始まっていたのだ。そう、音楽の死である。
 私は、また、70年代の末期か、80年代初め、日本は静かに崩壊していると、述懐した。結局、それから、バブルになったのである。
 日本の死は、コスモス宇宙の喪失による。これは、戦後に起こったと言えよう。明治近代は、天皇ファシズムを生んだが、それでも、日本人の精神にコスモス宇宙=宇宙音楽があったと思われる。しかし、敗戦して、日本人の精神が崩壊し、アメリカ化が始まる。そう、よく言われるような日本人のアメリカ化ではなくて、それ以前に日本人の精神は、敗戦で崩壊したのだと思う。折口信夫は、日本の神の敗北と捉えたのであるが、それは、的確である。神=精神であるからである。このとき、日本人の精神は、虚無化して、物質主義化・拝金主義化したのだと思う。アメリカの存在は、外的影響に過ぎない。日本人の精神が既に滅びていたのである。だから、唯物論化したのである。もし、アメリカ化するならば、キリスト教を受け入れていたであろう。
 結局、日本人の精神の死が、戦後起こったのだ。その後は、死後硬直であり、それから、私は、憂国の精神に囚われたのである。精神の新生、ここにしか、日本の復活はありえないだろう。精神の死を体現する日本人、虚無を体現する日本人。この精神の死が、出生率の最高の低下等をもたらしているのだ。
 精神の死せる国、日本。亡国。現首相は、この帰結である。無精神の首相である。