正反対な二つの近代:イタリア・ルネサンスとプロテスタンティズム:

正反対な二つの近代:イタリア・ルネサンスプロテスタンティズムユダヤキリスト教批判と聖霊


テーマ:ポスト・キリスト教


以下は、次の論考の後記の一部を独立させたものです。

『「わたし」とは何か:超越自我と現象自我:精神現象界としての自然と差異共振シナジー資本主義ver2』
http://ameblo.jp/renshi/entry-10015690267.html


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 思えば、イタリア・ルネサンス(=プロトモダン)とは、後の宗教改革に伴う現象資本主義ではなくて、メディア資本主義、差異共振シナジー資本主義であったと言えるだろう。プロテスタンティズム現象資本主義がグローバリゼーション資本主義の正体であろう。
 問題は、プロテスタンティズムとは何かである。これについては、拙論を重ねているが、ユダヤ教との関連から見る必要があるだろう。プロテスタンティズムとは、直観で言えば、ヤハウェ主体の超越神信仰であり、イエス・キリストは、ヤハウェの、言わば、従者、傀儡、仮面だと思う。つまり、プロテスタンティズムは、キリスト教ユダヤ教面化ではないかと思うのである。アメリカ建国のイデオロギーであるピューリタニズム(清教徒主義)は、一種メシア主義であろう。あるいは、強く、ヨハネ黙示録的なヴィジョン(最後の審判)をもった信仰である。
 そうなると、問題は、ユダヤ教云々ではなくて、ゾロアスター教的側面が問題となるだろう。そう、ユダヤキリスト教の背景のゾロアスター教善悪二元論、ここに、プロテスタンティズムの本質があるのではないだろうか。
 では、ゾロアスター教とは何かである。拝火教とも呼ばれるもので、現在でも、信徒はいるのであるし、なかなか経済的に豊かなようである。《日=火=緋=霊(?)=一(ひい)=秘(?)=魅(?)=・・・(姫は、日女で、卑弥呼、日巫女、日見娘ではないだろうか。つまり、天照大神である。》
直観で言うと、善神のアフラマズダとは、差異共振シナジー総体ではないだろうか。それに対して、悪神のアンリマンユとは、連続・同一性現象自我のことではないだろうか。つまり、今日の、我々の自我である。だから、筋としては、その直線的歴史観を除けば、プラトニック・シナジー理論と通ずるだろう。つまり、再び、差異共振精神が甦るという考え方である。これは、正しいだろう。
 では、この考え方が、そのまま、ユダヤキリスト教に伝承されたのかと言うと、違うだろう。創世記の「光あれ」の光は、ゾロアスター教の光だろうか。これは、単純に考えて、違うだろう。なぜなら、前者は、現象界の光であり、後者は、善の光明であり、いわば、プラトンの善のイデアに通じるものであると考えられるからである。だから、ゾロアスター教ユダヤキリスト教では、光に関して、視点がまったく異なると言えよう。的確に言えば、正反対である。善と悪が入れ替わっているのである。言わば、前者の悪が後者の善となっているのである。つまり、ゾロアスター教の悪神であるアンリマンユが、ユダヤキリスト教ヤハウェになっていると考えられるのである。グノーシス主義は、創造神デミウルゴスは邪神であると言ったが、創造神デミウルゴスに当たるのがヤハウェである。そうすると、ゾロアスター教グノーシス主義の観点を併せてみると、ユダヤキリスト教の神とは、邪神、悪神、魔神、悪霊、悪魔であることがわかるのである。そう、堕天使のルシファー(光を運ぶ者?)は、これに当たりそうである。ルシファーとしてのユダヤキリスト教の神である。悪魔信仰・崇拝としてのユダヤキリスト教である。もっとも、この点は、二年前に既述したのであるが。ついでに言えば、この点から言うと、イエス・キリストとは、邪神の現象界の子であるから、連続・同一性現象志向性であるヤハウェの現象化を意味する。だから、悪魔の権化がイエス・キリストである。悪魔の顕現がイエス・キリストなのである。私は、以前、超悪魔と、イエス・キリストを呼んだのである。超悪魔はともかく、イエス・キリストは、悪魔的であるのに間違いないだろう。
 結局、ユダヤキリスト教の系譜は、邪神・魔神・悪魔の系譜なのである。だから、プロテスタンティズムは、当然、邪神・魔神・悪魔主義なのであるから、現在のグローバル資本主義は、悪魔資本主義なのであり、ブッシュ/小泉は、悪魔の手先である。邪悪なのである。
 最後に、イエス・キリストをバランスよく理解するなら、ユダヤ教の系譜では、邪神の現象・人間化を意味するが、他方、母権宗教、「異教」、東地中海の女神宗教の観点から見ると、イエス・キリストとは、イシス・オシリス信仰のオシリスに当たると言えるのである。女神・母権信仰の太陽神である。
 ということは、イエス・キリストにおいて、邪神・父権的宗教の系譜と女神・母権的宗教の系譜が重なっていることである。私は、学生の頃から、新約聖書を読んで、分裂性を感じていて、結局、イエスとは、父権宗教の中の母権宗教を意味すると考えたものであった。運命の悪戯か何かわからぬが、イエス・キリストという人物像には、途方もない矛盾が結合していると考えられるのである。悪魔と天使が矛盾結合しているのである。そう、思えば、かつて、歴史において、最大の難問がキリスト教である、もっともわけのわからぬもの、最大の謎がキリスト教であると思ったものであるが、今や、その謎が解明できると思うのである。邪神・悪神の系譜と善神・女神の系譜とがいわば、絶対矛盾的自己同一の様態にあるのである。言わば、精神分裂症のイエス・キリストである。
 だから、イエス・キリスト教の解体が必要なのである。そこから、邪神・悪神の系譜を取り除き、善神・女神・母権の系譜だけを与えるのである。そうすると、イエス・キリストは、オシリス・イエスとなり、差異共振シナジーの「光」=原光となるだろう。ポスト・キリスト教である。それは、「聖霊キリスト教である。「聖霊」とは、差異共振シナジー・エネルギーのことである。


参考:ゾロアスター教
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%95%99
http://search.yahoo.co.jp/bin/search?p=%A5%BE%A5%ED%A5%A2%A5%B9%A5%BF%A1%BC%B6%B5&fr=moz2&rls=org.mozilla:ja-JP:official
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%BE%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%95%99&start=0&hl=ja&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8&client=firefox&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official