不連続的差異論とプラトニック・シナジー理論について:メディア界と

不連続的差異論とプラトニック・シナジー理論について:メディア界と差異共振シナジー様相との違い


テーマ:PLATONIC SYNERGY


後で述べたいが、メディア界と差異共振シナジー様相とを明確に区別する必要があると考えられるのである。何故なら、前者は、フッサール的に言えば、自然的態度を形成するからである。つまり、連続・同一性・自我構造を自然発生させるからである。仏教的に言えば、無明を発生させるからであるし、プラトン的に言えば、洞窟の仮象を生むからである。
 しかるに、後者、差異共振シナジー様相とは、メディア界の差異を不連続化して、連続・同一性・自我構造から脱却し、その根を切断した、不連続的差異の純粋に共立・共振する様相であるのである。親鸞の思想を借りて、喩えて言えば、不連続的差異論とは、往相回向なのであり、プラトニック・シナジー理論とは、還相回向なのである。方向が正反対なのである。
 後で、さらに説明を続けたい。

p.s. ここで、スピノザ哲学(『エチカ』)について言及すると、能動的観念とは、差異共振シナジーを、意識的に形成する有力な方法であると考えられる。つまり、能動的観念とは、同一性・自我のもつ否定性を克服するものであるからである。差異共振シナジー性を知的精神的に、創造するものであるのである。ただし、問題は、能動的観念が、明確に、連続・同一性・自我構造から切断されているかどうかである。私の考えでは、実質的に、切断されると思われるが、意識化はされないと思うのである。だから、あいまいさが残っていると考えられるのである。不連続的差異論によって、この切断が意識化されて、決定的になると考えられる。しかし、スピノザ哲学は、ニーチェ哲学、フッサール哲学と並ぶような、不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論の本質的な基礎を構成すると考えられるのである。この点についても、後で、さらに検討したい。