連続的同一性化とは何か:二つの零度ないし差異共振シナジー

ここで、問題点を整理しよう。


1) 二項対立、優劣的二項対立の力学
2) 連続的同一性の力学
3) 現象化の力学


いちおう、この三点をあげておこう。私は、この三点をいっきょに説明しようとしているのである。このときのポイントは、当然、i*(-i)の変換である。これが、⇒+1となれば、真正な自己認識である。そして、−1となれば、倒錯的自己認識である。この変換力学を解明する必要があるのである。問題は、*にあるだろう。これを、⇔でも表記しよう。即ち、i*(-i)=i⇔(-i)である。*=⇔である。これは、自己と他者との即非関係の認識である。
 それに対して、i⇒(-i)ないし(-i)⇒iの場合がある。これが、連続的同一性化と考えられるだろう。つまり、一面化ないし一方化なのである。だから、⇒は、否定、マイナスである。結局、他者はi化されるのであり、i*iとなるのである。このときは、当然、差異共振事象は崩壊する。これをどう考えるのか。これまでの考え方で言えば、エネルギーの発生、対エネルギーの発生と考えられるだろう。ゼロ度の差異共振シナジー様相において、対エネルギーが発生するということである。プラス・エネルギーとマイナス・エネルギーである。
 そうならば、問題は、この連続的同一性化/エネルギー化と現象化との関係である。作業仮説として、プラス・エネルギーを「光」、マイナス・エネルギーを「闇」と考えよう。ならば、零度差異共振シナジー様相は何になるのであろうか。原光ないし玄光であろう。とりあえず、玄光と呼んでおこう。だから、玄光から、光と闇が発生するということになるのである。無や空は、この玄光と同じであろう。キリスト教の無からの創造とは、この玄光からの創造であろう。ならば、キリスト教も仏教も等しい。また、ユダヤ教イスラム教も等しい。(因みに、脱線するが、創世記の神の息吹と水との関係であるが、それは、先に言ったように、i*(-i)のことと考えていいだろう。神の息吹がiであり、水が-iである。)
 そうならば、現象の光は、このプラス・エネルギー=光ということではないだろうか。ただし、これは、玄光が源泉なので、内在超越的に、玄光の成分を内包していると考えられるのである。だから、思うに、太陽光線を知覚するとき、暗みを感じるのではないだろうか。真夏の太陽を知覚したときに、暗みを感じるのは、そのためではないだろうか。つまり、現象光を知覚するとき、同時に、内在超越している玄光を漠然と感覚するのではないのか。D.H.ロレンスが言った黒い太陽dark sunとは、この玄光のことなのではないのか。あるいは、『老子』の玄牝とは、このことではないのか。また、現象する太陽であるが、それは、実は、プラス・エネルギーである光の源泉である玄光を指しているのではないだろうか。有り体に言えば、端的に言えば、太陽とは、玄光なのであり、玄光のプラス・エネルギー的側面ではないのか。換言すると、玄光の陽が太陽であるということである。だから、玄光の陰の部分があることになるのである。マイナス・エネルギーの闇である。これは、比喩的には、月であろう。
 ということで、プラス・エネルギー=光は、i化の連続的同一性化であり、マイナス・エネルギー=闇は、-i化の連続的同一性化である。(ダークエネルギーは、後者であろう。) 
 では、問題は、プラス・エネルギーと現象化の関係である。思うに、プラス・エネルギー=光によって、現象化が生起すると考えられるのである。 光は、他者を否定し、自己を反射・投影する。つまり、iは-iを否定して、iの光で対象を満たすのである。本来、花は、花であり、且つ、花ではない(差異的同一性・即非的同一性)のであるのに、現象化は、花は花であり、花以外の何ものでもないことを意味するのである。つまり、現象化とは、闇を否定・排除・隠蔽して生起しているのである。光は、闇を否定・排除・隠蔽しているということである。だから、有機化は、同じことを意味するだろう。闇を排除した光による結合である。プラス・エネルギー=光によって、他者が連続的同一性化されて、連結されて、有機化されるのではないだろうか。つまり、差異1*差異2*差異3*・・・*差異nが、差異1⇒差異2⇒差異3⇒・・・⇒差異nとなり、連続的同一性1=連続的同一性2=連続的同一性3=・・・=連続的同一性nとなるのではないだろうか。今は、ここで留めておこう。(p.s. ここで、述べていることは、不十分である。ここで述べている闇と同時に、玄光を否定・排除・隠蔽していると言わなくては、十分ではないと言えよう。)
 以上の作業仮説に立って、近代主義を考えると、それは、一神教的思想の帰結と見ることができるだろう。プラス・エネルギー=連続的同一性=光の帰結化・終極態・終着点である。ならば、ポスト近代主義とは何なのだろうか。
 私流に言うと、トランス・モダン(超越・近代主義)とは何か。近代主義は、結局、光と闇の二元論となるだろうし、そこには、対極・即非性が欠落しているのである。東洋思想が欠落しているのである。しかし、相対性理論量子力学によって、連続的同一性主義が破綻したのである(もっとも、自然科学は、それら以降の進展が乏しい。また、最近、 a theory of everythingが注目されているが。)。結局、トランス・モダン理論とは、差異共振シナジー様相=玄光を対象としているということになるのである。スピノザ的に言えば、永遠の相である。ウスペンスキー的には時間空間軸である第四次元である。これは、差異力学的には、どういうことなのだろうか。1/4回転により、零度差異共振シナジー様相が発生する。それは、作業仮説的に言えば、垂直に捩れて、対エネルギー発生を行なうのである。X軸をイデア軸、Y軸をメディア軸(差異共振シナジー軸)とすれば、Z軸として、エネルギー軸が考えられるだろう。そして、これが、現象界の発生であるから、これは、現象軸、あるいは、光軸とも言えるだろうし、さらには、闇軸とも言えるだろう。つまり、+Z軸が光軸であり、−Z軸が闇軸である。あるいは、連続的同一性軸とも言えるだろう。
 そのように見たときに、トランス・モダンとは何を意味するのか。ゼロ度で、差異共振シナジーが発生し、また、現象化が生起したのである。これまでの思考実験に拠ると、さらなる1/4回転が生起して、ゼロ度が解消したことが考えられるのである。思うに、対生成から対消滅ではないだろうか。つまり、パラドクシカルではあるが、ゼロ度へと回帰するのではないのか。つまり、最初の1/4回転では、垂直に捩れて、エネルギーが対生成したのであり、ゼロ度は、連続的同一性化へと転化したのである。しかるに、さらなる、1/4回転によって、ゼロ度が解消し、エネルギーの対生成が消滅する。つまり、エネルギーの対消滅がここでは生起するのであり、それが、ゼロ度を形成すると考えられるのである。つまり、最初は、ゼロ度が、±エネルギー=連続的同一性化を発生させたが、今度は、+と−が結合して、ゼロ度となるということである。プラスマイナス・ゼロである。この±・ゼロが、新たな差異共振シナジー様相であると考えられるのである。これは、最初のように、連続的同一性=現象へとは転化しないのである。
 では、このゼロ度への回帰(永遠回帰永劫回帰)は、何をもたらすのか。思うに、それは、脱現象化であろう。あるいは、脱物質化であろう。(ここで、SF 作家アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』を想起する。そこでは、精神化が起っていた。) これを霊化と呼んでいいのだろうか。霊化と呼ぶと、オカルティズムと間違えられるので、この用語は使用しないことにする。おそらく、差異イデア化と呼ぶのがいいのではないだろうか。あるいは、単に、イデア化である。精神化と呼んでもいいが、精神が物質(連続的同一性体)の根源であるという意味においてである。だから、アニマ(霊魂)化でもいいのであるし、また、伝統的には、霊化でいいことになるだろう。そう、聖霊・精霊化でもいいだろう。あるいは、神化(テオーシス)とも言えよう。因みに、ここで、自己が何であるのか判明すると言えるだろう。やはり、ウパニシャッド哲学が言うように、「汝はそれなり」であるから、自己とは、差異共振シナジー様相・i*(- i)⇒+1ということになるだろう。
 ということで、連続的同一性の問題を、いちおう、解明したこととしよう。結局、今日、とりわけ、日本は、近代主義の大反動の時代なのである。それは、回帰している差異共振シナジーを排除しようとする反動暴力なのである。そう、光の暴力、アポロの暴力と言えよう。(p.s. 光の傲慢、狂気、凶暴さでもある。)
 最後に、イシス・オシリス神話について簡単に言及すると、イシスは、玄光であり、オシリスは光である。すると、闇が無いことになる。オシリスの弟セトが、闇かもしれない。すると、セト/イシス/オシリスの三層となる。ついでに、古事記の三柱の神であるが、これは、同様かもしれない。ここで、易経について言えば、それは、玄光に対して、陰陽の両極・対極性を形成している、根源的な「科学」ではないだろうか。プロト・サイエンスではないだろうか。あるいは、プラトニック・サイエンスではないだろうか。さらに敷衍すると、原点の問題があるだろう。おそらく、この原点が究極のポイントであろう。玄点である。すると、計7次元になるだろう。あるいは、四次元である。


p.s. ニーチェのアポロとディオニュソスであるが、それは、以上の光と闇で説明がつくかもしれない。しかし、やはり、違うだろう。ディオニュソスは、イシスに相当し、アポロが、オシリスだろう。そして、「ツァラトゥストラ」とは玄光ではないだろうか。