質料と物質に関して:ジョルダーノ・ブルーノの『原因・原理・一者に

質料と物質に関して:ジョルダーノ・ブルーノの『原因・原理・一者について』から


テーマ:自己認識方程式(i)*(-i)⇒+1関係


私は、先に、形相と質料は同じものを異なった視点から見たものであると述べた。同じものとは、差異共振シナジー事象である。これを簡単に、差共相ないし差共態と呼ぼう。だから、差共相を形式から見ると、形相であり、内容から見ると質料である、ということである。
 ここでより精緻化すると、差共相とは正に、i*(-i)であり、これが、デュナミス(可能態)であり、そして、活性化・賦活されて、現実態(エネルゲイア)となるのであるが、エネルゲイアとは、志向性と同一である。即ち、エネルゲイア=志向性である。
 形相は、差共相の共振様態において、発生しているだろう。つまり、可能態(デュナミス)の共振の形態が形相であるということであり、これは、また、原型=イデアであると推察される。そして、質料とは、可能態(デュナミス)の共振の潜在エネルギーではないかと思われるのである。即ち、差共相ないし可能態の共振様相の、主に形態面が形相であり、主に力動面が質料であるのではないかととうことである(真相としては、形相と質料は不可分であろう。なぜなら、形相は力動的であるからである。つまり、力動的な形相なのである。だから、正確に言えば、差共相の純粋形態面が形相であり、純粋力動面が質料ということになるのではないか。)。もっとも、これは、可能態(デュナミス)における形相/質料相補性なので、潜在態である。つまり、可能態=潜在態である。わかりやすく言えば、ポテンシャル・エネルギーとしての形相/質料である。
 さて、問題は、ここから、現実態(エネルゲイア)化して、現象化(終局態・エンテレケイア)する点である。つまり、志向性=エネルゲイアの発生の問題である。これまでの検討では、差共相(差異共振シナジー態)が発生・過程的に現象化すると考えたのである。つまり、i→-iという志向性=エネルゲイアの発生・過程的発現を考えたのである。そして、この志向性=エネルゲイアは、連続的同一性志向性(=エネルゲイア)であった。言い換えると、自己否定的な志向性である。即非態にある自己を否定し、また、対象の他者を否定して、連続的同一性化するのである。
 だから、現象的個体ないし個物の発現とは、連続的同一性志向性・エネルゲイアに拠るものであると言うことができる。そして、これは、虚次元から実次元への変換、垂直次元から水平次元への空間次元変換なのである。超越的内部から外部への空間変換でもある。これも、1/4回転と言ってもいいのではないか。これは、2回目の1/4回転、第2段階の1/4回転であると、作業仮説しているものである。とまれ、この第2段階の1/4回転によって、現象的には、視覚的には、差異の否定・排除・隠蔽された空間が発現したのである。連続的同一性個体・個物が万象万物を形成している様態である。木は木であり、木は木以外のものと対立関係にあるのである。(私がいう個体・個物は特異性であるというのは、木と木以外の対立関係を超えた、ある木独自の様相を意味しているのである。)
 この連続的同一性個体・個物が、物質と呼ばれるものと言えるだろう。そして、この連続的同一性志向性・エネルゲイアが、物質のエネルギーであろう。即ち、E=mc^2がその公式であろう。つまり、エネルギーとは、連続的同一性志向性・エネルゲイアのことであり、質量もそれと同質である。そして、光速、あるいは、光であるが、それは、思うに、連続的同一性志向性・エネルゲイアの振動ないし波動ではないかと思われるのである(E=hν)。ついでに、粒子、微粒子、素粒子とは何かということであるが、それは、連続的同一性志向性・エネルゲイアによって形成された物質の仮定された最小単位ではないか。つまり、理念上の物質の最小単位であると思うのである。それは、結局、イデアである差異を示唆する仮説上の存在(ヴァーチャルな存在)だと思われるのである。以上、質料と物質について考察したが、次に、諸形相(原型・イデア)と差異的同一性について考察しよう。
 諸形相(原型・イデア)であるが、それは、今は、簡単に作業仮説して言うと、複数の差異が共振して形成されるものではないだろうか。そして、この差異の複数性とは、生物・生命体で言えば、遺伝子ないしゲノムに関係するのではないか。i*(-i)は、極性結合を生成すると考えられるから、例えば、DNAの対立・対称性を形成すると考えられるし、また、ガウス平面上の差異回転によって、垂直に捩れて、らせん形状を発現させると考えられるので、DNAのらせん形状も説明できるだろう。二重らせんの二重性であるが、それは、思うに、iを一方の極にしたとき、-iを他方の極にしたときに発生するように推量されるのである。
 ここでついでに、主体iと他者-iの関係について見ると、先に志向性に関して述べたことであるが、主体から他者への志向性と他者から主体への志向性の双方向志向性があると見ていいだろう。そして、優越感/劣等感の二重性であるが、それは、この双方向志向性から発生すると再確認しておこう。主体から他者への連続的同一性志向性は優越感をもたらすが、他者から主体への連続的同一性志向性は劣等感をもたらすのであると言えるだろう。
 さて、最後に、差異的同一性についてであるが、これは、最近の考察から簡単に説明ができるのである。即ち、差異即非態i*(-i)の可能態=潜在態(デュナミス)から志向性=現実態(エネルゲイア)が発生するとき、起点・始点・iと終着点・終点-iを考えると、前者は即非態であり、いわば、差異態であり、後者は連続的同一性態である。即ち、連続的同一性という現象は、主体の根源においては、差異態であるのである。これは、私の考えでは、特異性・特異態とも呼べる。だから、連続的同一性という現象個体・個物は、根源・起源においては、差異態・特異態なのである。これが、差異的同一性というものである。