検討問題:個とイデア:イデア界=元個/メディア界=個/現象界=自

検討問題:個とイデアイデア界=元個/メディア界=個/現象界=自我?


テーマ:プラトニック・シナジー理論


この問題は、難問の一つである。端的に言えば、輪廻転生があるのか、否かである。

しかしながら、思うに、個は、差異即非様相=イデアに還元されて、輪廻転生はもはや意味がなくなるのではないだろうか。

端的に言えば、死後は、i*(-i)=神=仏になるのだと思う。正に、成仏である。成神である。

問題は、記憶である。

現象界の記憶は、果たして、イデア界に残るのか、否かである。

メディア・ポイントのいわば、マジックがあると思う。現象的知覚は、メディア・ポイントにおいて、永遠界に連続するような錯覚をもつのである。幻影である。

だから、輪廻転生はないと思われるのである。

しかしながら、問題は、⇒-1と⇒+1である。前者は、無明=自我の様態である。後者は、自己認識の様態である。前者が、輪廻転生を考えるのだろう。では、後者は、どうなのだろうか。後者は、即身成仏ではないだろうか。ここには、仏陀が説くように、輪廻転生はないと思う。親鸞で言えば、往相回向還相回向があるだけではないのか。

しかし、それでは、後者は輪廻転生ではないのか。

⇒+1は、永遠回帰ではないのか。そして、⇒-1は、輪廻転生ではないのか。

+1が精神で、-1が自我/肉体の二元論ではないのか。

前者は、ブラフマンアートマンではないのか。

滅びるのは、前者であり、後者は、永遠の自己知ではないのか。

現象界は、確かに、実数軸であるが、同時に、-1の物質界と+1の精神界をもっているのでないのか。

では、i*(-i)と+1の関係は何だろうか。

前者が神で、後者が、個ではないのか。

イデア界・叡知界・神界は、+1の様態をもつのではないのか。

+1は現象界というよりは、メディア界ではないのか。-1が現象界ではないのか。

思うに、このメディア界において、記憶が残るのではないのか。

  • 1が無明であり、+1が明知である。あるいは、ほぼ、意識と無意識と言えるだろう。

大乗仏教で言えば、±1が阿頼耶識であり、+1が如来蔵である。

問題は、やはり、-1と+1の関係である。

当然、相互関係、相関性があるだろう。

思うに、-1の強度が、+1へと反射するのではないのか。いわば、エネルギー保存則である。

ならば、-1の現象界の事象の知覚は、+1のメディア界の永遠の記憶に残るのではないのか。

そう、+1が個の起源であろう。そして、i*(-i)が元個ないし神=無・空であろう。

このように見ると、ある種の輪廻転生・永遠回帰はありえると思う。

後で再検討したい。