現象メディア・ポイントについて:差異共振性=特異性と連続的差異:

新訳 ハムレット (角川文庫):超越界と現象界:ミメーシスとプラトン主義


久しぶりに、『ハムレット』を読んだ。本屋でちらと見て、直観で、いい翻訳に思えたので、買ったのであったが、正解であった。

実に、ヴィヴィッドな、歯切れのいい、訳である。

とまれ、この新訳の『ハムレット』を読んで、スピード、速度のエネルギーを強く感じた。

とにかく、スピードである。エネルギッシュなスピードである。疾風怒濤である。

これについては、後で考察しよう。

また、明確に感じられたのは、ハムレットの意識のもつ、「永遠の相」、あるいは、形而上学、超越性の次元である。

確かに、これまで、なにか神秘的な次元の示唆を感じたが、なにか、作品世界における、単なる枝葉の部分だと思ったが、今、その次元が明確に作品世界を構成していることが感じられた。

さる故人から、シェイクスピアとダンテの比較を、ずいぶん昔に示唆されたことがあるが、そのときは、まったくピンと来なかった。両者異質なものと考えていたからであった。

しかし、今や、はっきりと、シェイクスピアの作品世界を構成する層として、宗教的次元、超越的次元、形而上学的次元があることが了解された。

やはり、ルネサンスの作品である。そして、また、プロテスタンティズムの倫理がエネルギーになっているのを感じるのである。

後で、さらに考察を行いたい。

p.s. やはり、文学作品の翻訳は、訳者の日本語能力がものを言う。河合祥一郎氏は、福田恆存氏、小田島雄志氏というこれまでのシェイクスピアの名訳者を超えたと言えよう。

シェイクスピアは、もう現代には合わず、古くさくなってしまったと思っていたが、このような名訳によって、シェイクスピアは、蘇ったと言えよう。

ところで、作品世界であるが、『夏の夜の夢』は、妖精の次元と人間界との二重構造であり、前者が後者を支配している構造になっているが、この超自然的次元と、『ハムレット』における宗教・超越的次元とパラレルであると考えられるだろう。

p.p.s. ハムレットの有名な「リアリズム」論(芝居は時代の鏡である)であるが、この超越的次元と「リアリズム」(ミメーシス)の関係を見なくてはならない。いわゆる、写実主義ではない。超越的次元を基盤として、現象界を、シェイクスピアは観察しているのである。内省的観察なのである。そう、シェイクスピアは、プラトニストだと思う。イデア論的発想が見られるのである。ルネサンスの新プラトン主義の影響を当然考えられるが、それよりは、シェイクスピアの特異な視点として、イデア論的意識があると思われるのである。プラトニストとしてのシェイクスピアである。この視点によって、おそらく、シェイクスピアの作品が解明されるのではないだろうか。ケルト文化とプラトン主義、ここにイギリスの秘密があるのではないだろうか。イギリス経験論は、ロックやヒュームだけではなく、超越性が入っていると思うのである。超越的経験論ないし超越的現象学である。イギリス文学の美術性は、どうも、ここに関係するのではないだろうか。


新訳 ハムレット (文庫)
ウィリアム シェイクスピア (著), William Shakespeare (原著), 河合 祥一郎 (翻訳)
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