温首相が池田名誉会長に聞きたかったこと:政治と宗教:超越的エネル

温首相が池田名誉会長に聞きたかったこと:政治と宗教:超越的エネルギーとトランス・モダン多元変換


テーマ:トランス・モダン社会の創造・構築


思うに、新しい社会秩序と宗教・倫理/道徳とは、深く関係している。もちろん、教育問題とも関係している。

この点でも、現代的理論を、PS理論は、提供する。

とまれ、近代主義パラダイムを構築したエネルギーが、「ポスト・モダン」エポックということで、新たに、剥き出しに、放出されていると言えよう。

この放出されたエネルギーを、トランス・モダン・パラダイムの構築へと変容させるべきなのである。

確かに、放出されたエネルギーは、超越的エネルギーであり、宗教性を帯びよう。しかし、今日、科学、哲学・思想の発展と整合化する超越的エネルギーの変容・変換が必要とされているのである。

PS理論では、超越的エネルギーは、多様な様態で変容されうるのである。理事無碍から事々無碍へである。

日々の生活も超越的エネルギーの変容の一つであると言える。

ただし、近代主義パラダイムに囚われている限り、超越的エネルギーは反動化し、傲慢、暴力、狂気等に変容するだけである。

このような意味では、スピノザの能動的観念の思想は、超越的エネルギーの積極・肯定的変容を意味するだろう。おそらく、差異共振性を含むのである。(スピノザ哲学の問題点は、以前述べたように、連続性と不連続性が曖昧な点である。)

結局、現代・今日、放出された超越的エネルギーは、多様な知・科学・叡知・精神へと変容されると見るべきであり、宗教へと特化するのは、一面的であり、危険でもある。(因みに、中沢新一の「宗教」が危険なのは、グノーシス主義的で、現象破壊を意図するルサンチマンをもっていることだと推察されるからである。彼がオウム真理教を評価したのは、この破壊的ルサンチマンで、共感したからと考えられるのである。中沢は、自分がオウム真理教と関係したことをどう考えているのか。彼は、狡猾に逃走・逃亡して、社会的・公的に処分を受けていない。)

とまれ、少し、超越的エネルギーのトランス・モダン的変容を整理すると、先ず、超越的エネルギーは、本来、不連続的である。ここでは、デリダ的に言えば、超越的エネルギーの現前は批判・否定されて、脱構築されなくてはならない。

この超越的エネルギーは、個においては、i*(-i)の様相であり、これは、実体化できない。量子力学は、物質的範囲ではあるが、この不確定な様相を捉えているだろう。不確定性の原理である。これは、即非の論理・ロゴスでしか知的には捉えられない。

この不連続な超越的エネルギーであるが、それは、現象性においては、差異共振シナジー・エネルギーへと変容するだろう。

考えるに、これは、知性や共感性(倫理性)を発展させるのである。

つまり、理事無碍である。

そして、この事的知性や事的共感性は、他の事物や精神と共振シナジー化して、創造的になるのである。つまり、事々無碍である。

即ち、超越的エネルギーは、現象界において、差異共振シナジー的知性・倫理となるということである。共創造的になるのである。(思うに、スピノザ哲学の核である能動的観念は、PS理論の差異共振シナジー創造性へ発展吸収されるだろう。)

そう、ここでは、超越的エネルギーは、観念化しているのである。この観念化が必要なのである。唯物論だと、当然ながら、観念は物質に従属しているのであるが、ここでは、観念の主体・優越性があるのである。

だから、超越的エネルギーは諸観念へと変容すると言えよう。

これが、トランス・モダン的パラダイム変換の意味であろう。

近代主義において、反動化した悪の力を解体・脱構築して、肯定的な共創造的観念へと変換するのである。

これこそ、プラトニック・シナジー理論のトランス・モダニズムの積極的意義である。

そう、宗教に関して言えば、トランス宗教trans-religionになるだろう。宗教の核は同質ではあるが、それが、トランス・モダン的に多元変換しているのである。

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温首相が池田名誉会長に聞きたかったこと

もうひとつ知りたかったのは、なぜ中国の首相が日本の創価学会の名誉会長に会うのかということだ。実はこの会見は隠密にやろうとしたが、途中でマスコミに露呈して創価学会側は非常に怒った。にもかかわらず中国側の強い要望で会談が実現したと聞いている。

温首相は、何を池田名誉会長に聞きたかったのか。

日本の外務省側は、今の国会運営において自民党公明党頼みなので、平和主義者の池田さんに、安倍さんが靖国に行かないよう、クギをさしてもらうために会ったのではないかと言っている。いくつかの新聞もそういうニュアンスのことを書いている。

それもあると思うが、僕は違う理由もあると思う。

安倍さんに靖国に行かないで欲しいと公明党に頼むことは、政教分離に反するということを、中国側も分かっているはずだ。温首相は宗教について、もっと本質的なことを聞きたかったのではないか。

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/tahara/070419_8th/index4.html


駐日大使出演交渉で分かった温家宝首相「来日の意図」

中国はマルクス主義なので無神論である。何事においても計画経済、統制経済で細かく規制されていた。ところが今、経済が自由主義になって、マルクシズムで押さえ込んできた規律や秩序が弾け飛んでしまった。
日本が中国に求めるもの、中国が日本に求めるもの

今、中国は“腐敗天国”である。官僚たちの腐敗が日本の比ではない。腐敗は官僚に限らず、国民や政府にも広がっている。そんな状況の中で、中国の国民は新たな秩序を求めていて、宗教に深い関心を持っている。

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/tahara/070419_8th/index5.html


田原総一朗の政財界「ここだけの話」