超越的エネルギーの差異共振的多元変換の図式:Mediaとしての差異と

超越的エネルギーの差異共振的多元変換の図式:Mediaとしての差異と差異共振シナジー創造


テーマ:プラトニック・シナジー理論


先に、宗教に関連させて、超越的エネルギーの多元変換について述べたが、ここで、その様相を図式的に解明したい。

同一性1ー差異1ー同一性2ー差異2ー同一性3ー差異3ー・・・

これを、現象界における、同一性=物質と差異=超越性との関係図式としよう。

例えば、同一性1は化学であり、同一性2は生物学である。

物質科学では、分子的に、あるいは、遺伝子的に両者を関連させるだろう。つまり、差異1は、ここでは、物質的同一性に否定されて、消滅している。

即ち、同一性1(化学)=物質=同一性2(生物学)である。

しかし、例えば、ここで、「気」を考えてみよう。

即ち、同一性1(化学)ー差異1(「気」)ー同一性2(生物学)

となるだろう。ある気功師が、ある植物Aに「気」を放射し、同種の植物Bには「気」を放射しないとしよう。

すると、AはBよりよく成長したという結果が出たとしよう。

すると、同一性1と同一性2による物質科学では、差異1(「気」)をなんとか説明しようとするだろう。

観測した結果、差異1(「気」)に電磁波が観測されたとしよう。

この「気」の電磁波が、植物によい影響を与えたというように考えられよう。

そうすると、「気」は物質の一種として考えられるかもしれない。

しかしながら、「気」は気功師の精神や身体と深く関係しているものであり、ここで、物質科学は、少なくとも、精神に遭遇することになるのである。

物質と精神との関係をどう説明するのか。精神を電磁波だけで説明していいのか。

もし、精神=電磁波とするなら、気功師の主体性をどう考えるのかという問題が発現するだろう。

結局、精神と物質の二つの領域を、伝統哲学におけるように、置くのが妥当なのである。

物質=同一性であるから、精神=差異と置くのが正当である。

これで、物質ー精神ー物質ー精神ー物質ー・・・

という精神-物質現象図式が生まれる。

結局、本テーマに入ると、この精神を介して、物質が多元的に共振して、創造的なシナジーが発現すると考えられよう。

精神を介して、物質と物質とが共振シナジー化するのである。

そして、この場合の精神は、《メディア》である。メディア・ポイントであり、メディア領域であり、「メディア界」であり、「メディア中間子」である。

重要な点は、これが、超越的エネルギーを内包していることではないだろうか。

あるいは、確率性をもっていると言えるだろう。そう、メディア確率空間と言ってもいいのかもしれない。

とまれ、「気」メディアの場合は、明確に超越的エネルギーを内包しているということである。

(ここで、普通のメディアという言葉から区別するために、暫定的に、Mediaと呼ぼう。)

そう、超越的メディアと言ってもいいだろう。Transcendental Mediaである。簡略化して、Trans-Mediaトランス・メディアである。超メディアである。

これまでの物質科学、唯物科学は、超越的メディア、トランス・メディアを明確にしてこなかったと言えよう。しかしながら、相対性理論量子力学は、実は、超メディア、トランス・メディアを対象にしてきたと言うべきであろう。

とりわけ、量子力学は、トランス・メディアを物質主義的に、量子として扱ってきたと考えられるのである。

非局所的長距離相関という「現象」は、正に、トランス・メディアとしての「量子」の振る舞いと言えよう。つまり、トランス・メディアとしての「量子」は、超越領域において、本来存しているのであり、それが、現象的観測によって、非局所的長距離相関として理解されるのである。

そう、「量子」とは、本来は、もはや、物質ではなく、超越的メディア、超越的エネルギーをもつMediaなのである。有り体に言えば、イデア的メディアなのである。イメディアImediaと呼んでもいいかもしれない。

ということで、一例を挙げたに過ぎず、その点では、不十分ではあるが、基本的論点は提示できたと信ずる。

後で、検討を続けたい。