日本女性は、従軍慰安婦か:母権主義と父権主義:トランス・モダン・

日本女性は、従軍慰安婦か:母権主義と父権主義:トランス・モダン・ジェンダー共振主義へ向けて


テーマ:日本再生・東洋ルネサンス計画


従軍慰安婦問題が、注目されている。そこで、ずっと昔に(約30年前頃か)思ったことであるが、日本女性は、従軍慰安婦かという問題等を考えたい。

つまり、従軍慰安婦問題は、外交問題だけでなく、日本国内、日本社会の問題であると私は考えるのである。日本におけるジェンダーの問題である。

私は、日本社会はジェンダー的にひどく捩れた、また、歪んだ社会だと思っている。

中心は、父権主義であるが、裏には、母権主義があると思っている。

今は作業仮説的に言うだけだが、どうも、日本社会は、似非父権主義であり、母権主義の堕落した形態にあるのではないだろうか。

問題は、個の独立の問題でもある。

父権主義とは、実は、母権からの自我ないし自己の独立を意味すると考えられる。

この点は実に難しい点である。

これまでの、検討では、自我とは、差異を否定・排除・隠蔽したものであり、連続的同一性自我である。そして、二項対立によって、男尊女卑のヒエラルキーが形成される。(p.s. 後で、別稿で整理したい。)

私の考えでは、日本における男尊女卑は、日本古来のものではなく、封建主義や近代になってから生じたものである。

それまでは、女性は尊重されていたはずである。なにせ、平安時代は、世界的に珍しい女性作家が生まれたのであるし、また、もともと、卑弥呼や天照女神の国であるからである。

つまり、母権主義の国である。

おそらく、古代エジプトに近い国である。

基盤が母権主義である。しかし、ここに、父権主義的発想が大陸から入ってくる。儒教が中心である。儒教的父権主義が日本に入ったのである。

おそらく、ここに日本社会・文化の混乱が生じたのである。(p.s. 江戸時代や武士の問題である。社会科学的問題である。)

つまり、自己本来の母権主義を見つめずに、父権主義イデオロギーを日本男性は取り入れたのである。

そう、ここで、日本男性における意識の欺瞞性が生じたように思えるのである。

基盤は母権主義であるのに、意識は父権主義であろうとしたのである。

ここで整理するため、母権主義的意識とは何かと言っておこう。

当然ながら、母権主義とは、女性中心主義である。女性は女神的であり、崇拝の対象である。(この代表的表現は、谷崎文学にあるだろう。)

理論的に言うならば、母権主義とは、感情的共振主義である。

共感主義と言ってもいいだろう。ここには、知的分離はなく、森羅万象はつながり合っていたのである。D.H.ロレンスが説くコスモスは、そのようなものだろう。感情共振主義は、差異共振主義ではない。後者には、個と個との分離が前提であるからである。

とまれ、母権主義とは、感情的共振主義、感情的共感主義であり、コスモス的共振主義であるとしよう。

そう、これが、神道文化の基幹にあると思われるのである。ここに大乗仏教が入り、宇宙的感情的共振主義が完成した言えるだろう。神仏融合文化である。換言すれば、日本母権主義文化の完成である。

このような母権主義は、当然、衰退するのである。つまり、社会や文化の進展のためには、新しい発想が必要となるのである。思うに、日本的コスモス主義には、西洋的個人主義が欠落していた。これは、現象界的個人主義と言うべきである。確かに、日本の個人主義はあった。しかし、それは、超越的個人主義であり、現象主義的ではなかった。

とまれ、日本母権主義が衰退する中で、儒教的父権主義が導入されて、日本人の意識は分裂するのである。自己を内省せずに、舶来の思想を崇拝したのである。

ここには、虚栄心、利己主義があるだろう。内在的な母権主義への内省を欠いた、父権主義が、日本の男尊女卑の特徴であろう。

これが、私が思う、日本文化・社会のジェンダーの捩れや歪みの本質だと考えられる。

つまり、本体・基盤は、母権主義なのに、自我意識は父権主義志向なのである。

即ち、感情的共振主義がベースにあるが、それを認めず、意識は父権主義的自我なのである。

この分裂が、日本男性の意識の本質であろう。

きわめて、虚栄心に満ちた自我である。幼児的な甘えのある自我である。

当然、精神は未熟であり、傲岸不遜なのである。無教養・野蛮なのである。

これが、日本父権主義の正体であろう。

周囲を見れば、これらの精神的幼児の傲慢な男性が棲息・跋扈しているのがわかるだろう。

そして、この日本的父権主義は、とりわけ、政治家や役人等に存しているのである。

だから、従軍慰安婦問題に正対せずに、誠実に認めようとしないのである。

とまれ、本稿の問題は、日本女性は従軍慰安婦かということである。

幼児的精神の父権主義は、極めてたちが悪く、女性に依存して、女性を利用すると言えよう。

幼児であるから、女性に甘えるのであり、また、利己主義なので、女性を利用するのである。

当然、男性権力社会において、女性は、男性のための慰安婦になるのである。

正に、企業社会従軍慰安婦である。

【思うに、D.H.ロレンスは、問題的作品(『恋する女たち』や『チャタレイ夫人の恋人』等)において、イギリス社会における父権主義の問題をえぐり出しているのである。】

そう、母権的父権主義という捩れた、歪んだジェンダー社会・文化の問題の根は深い。

日本が生まれ変わるために、この問題を直視する必要があるのである。

先に、日本の希望は、女性にあるのではないかと示唆したが、思うに、日本人の精神を測深すると、根源的母権主義に突き当たるだろう。そして、それは、感情的共振主義である。そして、それが、日本的特異性である。しかし、他方において、知的意識がある。感情的共振主義と知的意識とを結合させる必要がるのである。

そして、この「錬金術」をプラトニック・シナジー理論が為すことができるのである。感情的共振主義を不連続化することで、それは、超越性となるのである。そして、その超越的エネルギーが知的意識を精練し強化するのである。

超越的エネルギーをもった知的意識は多元変換能動性をもち、同一性の壁を超えて、差異共振シナジー化へと創造的に進展するのである。

おそらく、プラトニック・シナジー理論は、女性の方が男性よりも、よく理解できるのではないだろうか。

従軍慰安婦としての日本女性からトランス・モダン的ヤポネシア女性へと転換しうるのである。

p.s. 大事なことを書くのを忘れていた。日本男性を批判したが、返す刀で、日本女性を批判しないといけない。つまり、幼児精神の日本男性を批判せずに、溺愛の母親のように、そのような悪しき日本男性を認めている点である。きちんと、個として、日本男性の野蛮さを批判する必要があるのである。それをしないということは、日本女性の意識において、なにかが欠落していると考えられるのである。日本男性の没精神性を批判しないということは、日本女性において、精神性の自覚が欠落しているということになるだろう。

確かに、人権意識は重要であるが、その基本となる精神の意識がなくてはならないのである。日本的イシスの意識が必要だと考えられるのである。新イシスとして、生まれ変わる必要があると考えられるのである。


参考:
日本の知識層はマクドゥーガル報告の意味を理解していない。
2007.04.29 Sunday
マクドゥーガル報告

マクドゥーガル報告は、これより以前に報告されたクマラスワミ報告 を受けて、九八年八月、国連人権小委員会(差別防止少数者保護小委員会)が採択した報告「武力紛争時における組織的強姦(ごうかん)、性奴隷及び奴隷類似慣行」のことをいう(報告者は、米国のゲイ・J・マクドゥーガルさん=女性)のことである。

ここには、次のような趣旨の報告がなされている。

⇒〇第二次世界大戦中、日本政府・軍隊は、二十万人を超える女性を「慰安所」で強制的に性的奴隷とした。この犯罪は、人道にたいする罪としてのみ適切に表現できる。

〇日本政府は、賠償問題は平和条約や賠償協定で解決ずみとの議論をしているが、日本政府は、軍の関与を認めることを最近まで怠り、アジア各国と平和、賠償の交渉時、この点で沈黙していた。日本が責任消滅のため、平和条約に依拠することは許されない。

http://blog.kaisetsu.org/?eid=544376
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 『New Platonic Synergy Theory』