ハイデガーの存在論とPS理論:ハイデガーの存在と志向性とメディア・

ハイデガー存在論とPS理論:ハイデガーの存在とは、メディア・ポイントMedia Point、とりわけ、実数軸(現象軸)的メディア・ポイントであると思われる


フッサールの志向性は、超越的な志向性であるが、それが、本来、他者・差異への志向性であることまで、フッサールは把握できずに、相互主観性・間主観性に留まったと考えられる。言い換えると、ノエシスを、同一性に留めてしまっていると思えるのである。だから、ノエマは、同一性の観念である。そして、ノエシスノエマの外部に差異・他者が存するのであるが、それを、フッサールは、相互主観性において把捉しようとしたのである。
 私見では、相互主観性とは、差異共振性に近づいているのであるが、フッサールは同一性から差異へと飛躍できなかったので、相互主観性に留まったと考えられる。おそらく、なんらかの差異共振性をフッサールの相互主観性には、潜在していたとは思えるのである。
 これを、PS理論から見るとどう解明できるだろうか。自己認識方程式i*(-i)⇒+1の視点から見ると、フッサールの志向性は、⇒である。そして、⇒ の終点ないし先端を相互主観性としたのである。このとき、この終点・先端は、連続=現象的メディア・ポイントである。ここは、否定・連続的同一性へと志向するのである。この先端の志向性を否定・連続的同一性志向性、簡略化して、連一的志向性と呼ぼう。本来の⇒の志向性とは、差異的同一性(差一性)の志向性であると言えよう。つまり、志向性は、本来、差一性志向性であり、連続・現象的メディア・ポイントにおいて、連一性志向性に転化するのである。
 しかしながら、実際は、複雑である。連続・現象的メディア・ポイントにおいて、志向性は、差異共振性と連一性へと自己分裂するのである。簡単に言えば、差異と同一性に分裂するのである。西洋史を見ると、ルネサンスとは、連続的ながらも、差異共振性に基づく同一性の展開であったと考えられるのである。ネオ・プラトニズムとは、差異共振性と同一性との連続的結合に基づくであろう。
 そして、初期近代は、デカルトに見られるように、差異という個に基づいた同一性哲学が生まれたのである。コギト・エルゴ・スムとは、差異は同一性であるということである。つまり、差異的同一性を説いていると考えられるのである。しかしながら、デカルトは、心・精神において、差異的同一性を説いたが、身体・物質を分離させたままで、統一することはできなかったのである。そして、スピノザライプニッツの登場となる。デカルトの差異的同一性であるが、それが、近代的合理主義の理性、言い換えると、連続的同一性理性へと還元されたことに問題があったと言えよう。つまり、デカルトは、差異にある連続的同一性しか見なかったと言えよう。そして、差異を進展させたのが、スピノザであり、ライプニッツであったと言えよう。
 とまれ、デカルトは、初期近代の差異を連続的同一性化させたと言えよう。差異から同一性である。まとめると、初期近代における志向性による差異と同一性の分裂において、デカルトは、差異から同一性へと方向付けたと言えよう。
 そして、同一性は、周知のように、近代的合理主義、近代的自我を生んだのである。そして、同一性が進展するが、差異は取り残されたままであったのである。ここで、反近代主義や非合理主義が生まれることになったのである。しかしながら、根源は共通である。志向性の終点のメディア・ポイントの二重性である。だからこそ、イギリス・ロマン主義は、啓蒙思想とは、切り離せないという事態が生起したのである。
 さて、近代において、結局、志向性は、メディア・ポイントにおいて、差異と同一性に分裂し、それが、近代の多様な分裂・混乱を生んだと言えるのである。そして、カントが差異と同一性を切断して、同一性を批判・規定する。そして、ヘーゲルが、同一性から統一論を立てたのである。そして、その後は、西洋哲学史の教科書にあるような展開をしたのである。シェリングキルケゴールニーチェ、初期マルクス等の反抗は、差異の奪回・復帰であったのである。それも、特異性や超越性に基づくものであり、不十分とは言え、超越的差異に達していたと考えられるのである。(これまで、マルクスの精神性については述べてこなかったが、マルクス【初期であれ、中・後期であれ】の共産主義には、差異共振的精神が存していると考えられるのである。単に、唯物論ではないのである。)
 とまれ、彼らは、同一性近代に対して、鋭敏な、あるいは、鋭敏過ぎる批判を提起したのである。なぜなら、近代の超越の視点を与えたからである。
 さて、その後、フッサール現象学が出現して、意識の根本様態を定義したのであり、また、その後、ハイデガー存在論/実存論が出現した。ハイデガー存在論/実存論とは、結局、志向性の先端における差異と同一性の分裂性をもつ、連続・現象的メディア・ポイントにおける差異と同一性の混交・混合・混濁様態において、差異が連続的同一性にもたらす主観的様態を説くものであると思われるのである。即ち、連続・現象的メディア・ポイントにおける差異と同一性との混合様態における、差異が同一性にもたらす主観的様態の哲学である。これが、存在論的様態と呼ばれうるものであろう。つまり、ハイデガーの存在とは、実は、差異、しかも、連続・現象的メディア・ポイントにおける差異であったのである。換言すると、連続的差異であったのである。この点で、ベルクソンドゥルーズの差異=微分哲学と共通なのである。違いは、ハイデガーが、差異の同一性への主観的様態を説いたのに対して、ベルクソンドゥルーズは、連続的差異の構造性を説いた点にあるだろう。言い換えると、両者、志向性の先端=連続・現象的メディア・ポイントを説いているのであるが、ハイデガーは、その主観的様態を説き、ベルクソンドゥルーズは、客観的形式を説いたと考えられるのである。換言すると、両者、フッサールの志向性の先端の形式と内容を問題にしていたと言えよう。だから、実存主義構造主義の関係であるが、共通の連続・現象的メディア・ポイントの内容と形式との関係にあると言えよう。
 とまれ、以上で、本稿の問題は終えたこととしよう。ここで、広義のポスト・モダンの問題について言及すると、結局、19世紀の脱近代の巨人とフッサール現象学との関係の整合性にあったと言えよう。
 一方は、超越的差異(共振性)であり、他方は、超越的志向性である。ポスト・モダンは、差異の理論によって、近代的同一性を乗り越えようとしたのであるが、結局、ドゥルーズガタリフッサールの超越的志向性を理解できずに、構造主義に留まったのである。そして、デリダ脱構築理論であるが、それは、現前批判、ロゴス中心主義批判、二項対立批判を行い、志向性の先端である連続・現象的メディア・ポイントの様態をもつ理論を批判して、現代的な脱構造性を示唆しえたのである。言い換えると、フッサールの志向性⇒の始点を示唆しえたのである。それは、いわば、直観であったろう。直観として、デリダには、超越的差異を感得したのであろう。しかし、ロゴス中心主義を批判するデリダは、差異と同一性の共立する矛盾態を論理・ロゴス化することは、当然、禁じられていて、袋小路に陥ったのである。デリダは、プラトンパルマコンやコーラを提起して、なんとか、差異と同一性の共立矛盾態を捉えようとするが、論理・ロゴス化をタブーにしたので、反合理主義に留まったのである。デリダ日本哲学神秘主義者のウスペンスキーの思想に接していれば、差異と同一性の共立矛盾態が、即非の論理、絶対矛盾的自己同一性、偶然性の論理、又は、「第三の論理」として、結論が出ていたことを発見したであろう。
 では、どうして、デリダは、それらに触れなかったのであろうか。それは、デリダ自身の西洋ロゴス中心主義の限界ではないだろうか。東洋・日本哲学、ロシア神秘思想に接すれば、結論が出ていたことを発見したはずである。ここに、デリダの西洋自民族中心主義があると言えよう。あるいは、西洋哲学のアカデミズムの限界があると言えよう。あるいは、フランスの中華思想が原因であろう。(後で、脱構築理論について、PS理論から整理する予定である。)
 結局、デリダは、連続・現象的メディア・ポイントを超えて、志向性の始点・起点を示唆したのであり、また、そこに留まったのである。
 後は、不連続的差異論、そして、それを質的に進展させたプラトニック・シナジー理論の創造の説明になるのである。以上の論点から見ると、前者は、志向性の始点・起点を脱構築理論以上に明確化したことにあるだろう。即ち、不連続的差異という志向性の始点・起点を提起したのである。そして、PS理論であるが、これは、不連続的差異論を、超越的差異共振イデアを数学的に提起することで、はるかに凌駕したのである。