Media Pointとハイデガーの存在:Media Point=「存在」=空=量子=

Media Pointとハイデガーの存在:Media Point=「存在」=空=量子=心


テーマ:メディア・ポイントMedia Point


本件に関して、直感で感じていることを言おう。
 ハイデガーの存在とは、PS理論のMedia Pointにほぼ相応するように思う。つまり、イデアと物質との中間態である。量子である。そして、PS理論では、Media Pointに虚軸と実軸との交叉を見ているので、イデア界的であり、且つ、現象界的であることが明瞭である。換言すると、言わば、虚的存在(非存在)と実的存在(存在)との不連続な波動(粒子と波動の相補性)がある。
 しかるに、ハイデガーの『存在と時間』においては、確かに、存在の時間性が捉えられているようだが、PS理論におけるような虚的存在(非存在)=イデアを捉えているのだろうかという疑問がある。思うに、それは、無において、捉えられているようである。ならば、ハイデガーの存在は、仏教の空とした方が明快であるように思える。なぜなら、存在は、無であり、且つ、有(存在者)であるからである。
 そう、今は、粗略に言うが、Media Point=「存在」=空=量子=心である。物質と超物質の中間態である。思うに、ここでは、量子=心となっているが、これは、物質(同一性物質)=心と捉えられるべきではないと思う。そうでないと、オカルティズムの霊的唯物論が発生してしまう。心=量子論である。そして、これは、仏教の心と通じるだろう