個体性と輪廻転生:Media Pointと個体性

個体性と輪廻転生:Media Pointと個体性


テーマ:新輪廻転生仮説


輪廻転生について考える前に、Media Pointの構造について、さらに究明しておかなくてはならない。
 Media Pointにおいて、先に、同一性構造を見た。それは、主客的空間性を発生させるものであり、カントの超越論的形式に類似したものである。もっとも、それにハイデガーの気遣い・関心を加えたようなものであるが。だから、超越論的同一性構造である。
 さて、問題は、差異としての個体性である。直前の記事で、同一性を包摂した差異ということを述べた。では、その差異はMedia Pointにおいて、どういう位置を占めるのだろうか。私は先に超越論的差異と超越的差異を区別して述べた。ハイデガーの存在を前者と考えた。まだ用語や考え方の問題がないではないが、同一性に対する否定としての差異は、おそらく、超越論的差異である。それに対して、同一性を包摂する差異が超越的差異であると考えられる。
 だから、差異としての個体性とは、後者の超越的差異であると考えられるのである。これは、Media Pointの虚軸性である。(問題は、実軸のゼロは何かということである。それがハイデガーの存在ではないだろか。そうすると、超越論的同一性構造はどこに位置するのかということになる。それは、同一性と同じ-1でいいのではないだろうか。何故なら、-1とは同一性を示す様相構造でもあるからである。)
 ということで、本来の差異である超越的差異が連続的同一性=自我を包摂している個体性が把捉された。この個体性とはMedia Pointの現象的実相と言えるのではないだろうか。これが差異の生の実相であると思われる。死の場合は、同一性ー自我が消失するが、同一性構造を包摂した超越的差異が存続するのではないだろうか。つまり、連続化される以前のMedia Pointである。
 ここで述べたいのは、Media Pointが個体としての「霊魂」ではないのかということである。それとも、同一性構造を含まない超越的差異が、つまり、虚軸的差異がそれなのだろうか。
 虚軸的差異とは、端的に、「イデア」であり、これは、同一性を含まない。だから、個体性は存在しない。しかしながら、Media Pointになると、実軸を含むので、個体原理が発生すると思えるのである。そう、単独性・特異性である個体の原理である。このMedia Pointの個体原理が、輪廻転生する「霊魂」のように思えるのである。「霊魂」、「魂」、「霊」という言葉はいろいろ含みがあるので、Media Point的超越的個体性、ないしは、端的に、超越的個体性(超個体性)と言ってもいいだろう。
 ここで、用語・術語を整理しよう。超越的差異というとき、それは、虚軸的差異を意味するが、Media Pointにおける超越的差異もあるのである。これを明快に区別しないといけない。超越的個体というのは、Media Pointにおける超越的差異のことであり、虚軸的差異全体を含むわけではない。しかしながら、虚軸的差異であれば、Media Pointにおける超越的差異になるのではないだろうか。
 否、そうではないだろう。虚軸的差異ないしは超越的差異であるからと言って、必ずしも、Media Pointにおけるそれではあるということではないだろう。なぜなら、Media Pointにある超越的差異とは、エネルゲイアとしての超越的差異であり、イデア界の超越的差異はデュナミスであると考えられるからである。
 ということで、区別して呼ばないといけない。暫定的に、Media Pointの超越的差異をMP超越的差異としよう。そして、イデア界のそれをイデア超越的差異としよう。ということで、輪廻転生する個体は当然、MP超越的差異・超越的個体となる。

 ところで、今日、池袋のリブロで立ち読みしていたら(久しぶりに、池袋に行ったが)、ルドルフ・シュタイナーは、個我が輪廻するのであり、仏教は、個我を否定しているとしたが、シュタイナーは唯識論を知らなかったようである。阿頼耶識が輪廻するのである。それは、Media Pointの超越的差異=超越的個体であると考えている。