イデアと魂:あるいは、「わたし」とは何か:イデアとMedia Pointと

イデアと魂:あるいは、「わたし」とは何か:イデアとMedia Pointと物質的身体


テーマ:新霊性new spirituality


先に、もし、イデアだけしかなかったら、個体性、単独性・特異性、そして、「わたし」が存在しないと言った。この点を詰めたいのである。これは、輪廻転生問題とも関わる。そして、これは、フッサールの志向性とソシュールシニフィアンシニフィエにも関係するだろう。
 自己認識方程式i*(-i)⇒+1の左辺は、イデア界の事象を意味する。ここでは、差異、二つの差異iと-iは、対極的な様相にはあるが、まだ、エネルゲイア化していない。デュナミス様相であると考えられる。
 しかし、対極的な潜勢力が、動態化すると考えられる。これが志向性である。差異から差異への志向性である。ここにおいて、Media Pointが発生するのである。そして、「わたし」の原点があるのである。つまり、不連続性と連続性との即非共立としてのMedia Pointが発生する。連続性において自我が、同時に、不連続性において自己が発生すると考えられるだろう。つまり、個体性、単独性・特異性、「わたし」の発生である。
 精緻に言えば、イデア界においては、超越的差異の即非様相があるが、それは、可能性としての差異の即非様相であり、連続性も可能性として存するのであり、前物質的な様態にあると言えよう。しかし、いったん動態化すると、志向性は連続化を目指す。ここにおいて、Media Pointが形成される。それは、物質化の原点である。精緻に言えば、原物質性がそこにある。同一性・物質・自我構造である。
 ということで、イデア界においては、魂、「わたし」、自我/自己は存在しないということではないだろうか。Media Pointにおいて、それらが発生すると考えられるのである。
 では、Media Pointを魂と考えていいのだろうか。ここでは、魂は、プラトンが使用した意味のものである。否、そうではなくて、先に、私はそのように考えたのである。その妥当性はいかに。
 イデアは霊spiritと考えられるので、魂soulをMedia Pointとするのは考えられることである。問題は、イデア界とMedia Pointの関係である。端的に言えば、Media Pointとは、永続的なものなのか、それとも、現象時間的なものなのか。私の考えは前者に傾いている。
 正確に言えば、Media Pointは、永遠的なものと現象時間的なものの交点である。不滅のものと死滅するものとの交点である。この不滅のものが問題なのである。Media Pointにおける不滅のものとは、イデアないしは霊spiritなのだろうか。
 私は違うと考えている。やはり、魂soulである。ここにおいては、連続性の構造が内包されていて、これが、不連続性とともに、永続的な魂soulを形成していると思えるのである。連続性の構造があるので、当然、イデア・霊spiritとは異なるのである。
 この考え方に拠れば、死とは、魂が物質体である肉体を離れて、Media Pointへと回帰する(p.s. 回帰という言い方は不正確である。本来のMedia Pointに還元されることである。)ことだろう。そして、そこで、イデア界・「霊界」の純粋ヴィジョンを観照するということではないだろうか。イデア界は涅槃である。そして、イデア界・涅槃のヴィジョンを充電して、Media Pointとしての魂soulは、現世・物質界へと転生するのではないだろうか。今はここで留めたい。