貨幣論:続き:同一性・自我・物質・交換価値・資本のハイパー・モダ

貨幣論:続き:同一性・自我・物質・交換価値・資本のハイパー・モダンと差異のトランス・モダン


テーマ:差異通貨・貨幣論


「同一性資本から差異資本へ:量的経済から質的経済へ:トランス・モダン差異共生経済へ」
http://ameblo.jp/renshi/entry-10048167048.html
先に、上の論考を行なったが、今一つ整理がされていないので、ここで、丁寧に再考したい。
 

 私が問題にしたいのは、同一性ー自我における欲望の様態についてである。問題は、同一性ー自我という欲望において、貨幣の交換価値が深く結びついていることである。ここでは、差異ー自己は抑圧されて、隠蔽されている。
 私は、交換価値は抽象的一般的価値であり、無限的であると言った。つまり、同一性ー自我ー交換価値の欲望は無限増加を目指すと考えられるのである。そう、なぜ、無限増加を欲望するのか。資本主義は、この無限増加を駆動させるシステムであると考えられる。
 同一性ー自我ー交換価値(貨幣)ー資本の無限欲望システムということになる。そして、これに物質を加えることができる。
 同一性ー物質ー自我ー交換価値(貨幣)ー資本の無限欲望システムである。近代合理主義、自然科学・テクノロジーは、この経済システムと融合している。
 これは、ユダヤキリスト教西洋文明が生み出した恐るべきシステムである。もっとも、現代、その欠陥・破綻が明瞭になっているのである。
 問題は、差異のシステムの構築・創造にあると言える。言い換えると、トランス・モダン社会システムの構築・創造である。そして、プラトニック・シナジー理論は、その基本的概念を提示しうると考えられるのである。
 とまれ、差異を救うことが必要なのである。以上の同一性システムにおける抑圧・隠蔽された差異を先ず考えよう。これは既述であるが、再論すると、初めは、同一性の発現が行なわれ、その後、差異が発動するが、同一性は差異の賦活を抑圧する。ここに、同一性と差異との闘争が生起するのである。近代合理主義は、同一性(自我・物質)によって、賦活された差異(精神・想像力等)を否定し、抑圧する。しかし、差異の賦活は脱近代主義を志向する。ポスト・モダンは、脱近代主義の運動であるが、近代主義から脱却はできずにいた。
 問題は賦活された差異の抑圧としてのハイパー・モダン(過剰近代)の問題が、今日生じているのである。(思うに、これは、ポスト・モダンの問題と捉えてもいいのかもしれない。)
 つまり、差異は賦活されてエネルギーをもっているが、それに対して、同一性ー自我はそれを肯定できずに、強く否定して抑圧しようとする。しかしながら、賦活された差異のエネルギーはなんらかの発現を求めている。ここで、病的な、狂気的な衝動が発動すると考えられるのである。先に、Kaisetsu氏は、大澤真幸氏のアイロニカルな没入論を卓抜に捉えたが、このアイロニカルな没入という事象が、この病的な、狂気的な衝動と関係すると思われるのである。
 即ち、ハイパー・モダンとしてのポスト・モダン事象が現在、発現していると考えられるのである。そして、これが、現代資本主義、金融工学をもつグローバリゼーションと連関していると考えられるのである。
 つまり、賦活された差異のエネルギーの倒錯的な駆動が、現代資本主義のエネルギーになっていると考えられるのである。つまり、反動エネルギーが世界資本主義を駆動させていると考えられるのである。
 例えば、サブプライムローンにおける融資の異常性であるが、それは、同一性の反動として考えられるのである。魔女の予言を信じるマクベスのspeculation(思惑・憶測・投機)である。
 同一性(交換価値)に対する病的な思惑・欲望が支配していると考えられる。この病的な思惑・欲望は、抑圧された差異のエネルギーに駆り立てられているのではないかと考えられるのである。
 もし、なんらかの差異の意識・認識があれば、サブプライムローンの融資は、極めて危険であると判断できたはずである。しかし、ハイパー・モダン/ポスト・モダンにあっては、差異は反動化して、アイロニカルな没入を行い、同一性強化へと作用すると考えられるのである。
 何が言いたいのかと言えば、ハイバー・モダン/ポスト・モダンにあっては、アイロニカルな没入が諸事象に浸透するのであり、同一性(交換価値)は、同一性自体で自己増殖するようになると考えられるのである。つまり、反動化した差異のエネルギーは、狂気(パラノイア)となり、同一性の意識(近代合理主義)を麻痺させるのであり、同一性自体が目的化して、肥大化すると考えられるのである。これは、狂気(パラノイア)から発動しているので、超同一性の衝動が支配して、バブルへと邁進すると考えられるのである。
 先の考察では、同一性ー自我の欲望によって、交換価値の無限化が追求されると言ったが、現代においては、単にそうではなくて、反動化した差異の倒錯したエネルギーが狂気(パラノイア)となり、同一性=交換価値の無限的追求が為されると考えるべきであろう。
 ということで、差異、不連続な差異、絶対的差異、超越的差異、そして、即非的差異を取り戻さないといけないのである。トランス・モダンへとパラダイム・シフトする必要があるのである。
 同一性資本主義から差異資本主義へと変容するのであるが、これは、人類世界の進化を意味するだろう。私は、ポスト・ユダヤキリスト教西洋文明としての新世界文明を意味すると考えている。以上は、プラトニック・シナジー理論による解明である。


toxandriaの日記へのTB
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070921/p1