同一性資本から差異資本へ:量的経済から質的経済へ:トランス・モダ

同一性資本から差異資本へ:量的経済から質的経済へ:トランス・モダン差異共生経済へ


テーマ:差異通貨・貨幣論


サブプライムローンという現代の金融工学を駆使して造られたローンであるが、実質は、貨幣の古典的形態の問題から出ていないと考えられるのである。つまり、リスクを分散させて証券を多発したのであるが、結局、目指しているのは、交換価値=量的価値の増加・肥大化に過ぎないのである。古典的な貨幣の仕組みから脱皮していないのである。小手先の技術が発達しただけなのである。
 さて、そこで、サブプライムローン問題に関係させて貨幣について、新たに、プラトニック・シナジー理論から考察してみよう。
 私は、サブプライムローンは、シェイクスピアの『マクベス』の魔女の予言とマクベスの関係と類似していると直感した。これは何を意味するのかと言えば、構造として貨幣が喚起する、期待の地平(投機の地平)があるのであり、この期待の地平(魔女の予言の地平)において、同一性(連続的同一性)である貨幣(資本)が拡大・成長・肥大化するのである。
 この拡大・成長・肥大化は、当然、量的増加であり、同一性構造における増大である。なぜ、この期待の地平において、増大化するのかと言えば、それは、同一性構造が自我の構造であり、端的に、自我欲望の構造であるからということになる。
 貨幣(資本)は、同一性構造=期待の地平において、自我欲望と結合・融合しているのである。ここでは、投機と妄想は区別がつかないだろう。だから、「魔女の予言」なのである。
 近代合理主義においては、合理的な投機と妄想的投機の区別がつかないのであり、バブルが必然的なのである。ここでは、合理性と妄想が同次元なのである。
 なぜ、合理性と妄想が同次元になるのかと言えば、端的に、同一性構造=期待の地平が基盤にあるからである。同一性構造とは、抽象・一般的構造、抽象的量的構造であり、同一性(=貨幣)は無限に拡大しうるのである。つまり、抽象・一般・量的価値=近代合理性が無限に増加しうるという妄想を生むのである。
 このような近代合理主義的貨幣論に留まっているので、金融工学を駆使しても、サブプライムローン問題という古典的なバブルが発生するのである。
 この問題は、結局、貨幣における交換価値という同一性価値の増大に留まっていることから発しているのである。差異的価値へと転換しないために、同一性の量的価値の無限の拡大を志向して、バブル化して、崩壊するのである。
 金融資本の投資家が、量的価値しかもっていないから、このようなことが起きるのである。差異的価値へ盲目なのである。ここで、現代哲学を考えてみると、ポスト・モダンは、脱同一性=差異を志向した。これは、単純に言えば、貨幣の同一性(近代合理主義)からの脱却を意味している。
 しかしながら、これまで述べたように、ポスト・モダン哲学は、同一性を生み出す連続性から真に脱却できなかったのである。思うに、リスクを細分化して、拡散させる金融工学は、ポスト・モダン哲学と同じではないかと思えるのである。リスクの細分・拡散化とは、同一性的差異(連続的差異)の形成を意味するのではないだろうか。連続的差異をたくさん作っても、結局は、微分に過ぎず、同一性自体は変わらないのである。元の木阿弥である。
 結局、純粋な、絶対的差異(超越的差異)へと転換できないことから、現代の資本主義の混沌が生まれていると考えられるのである。トランス・モダンへと転回できないでいるのである。
 絶対的差異への転換、これは、量的価値(交換価値)から質的価値への転換を意味する。そして、プラトニック・シナジー理論からは、差異は即非・共振性をもつので、差異共生主義へと転回することが考えられるのである。これは、新共同体(新共生体)を意味するのである。
 貨幣・資本は今や、新たな共同体・共生体形成へと振り向けられる必然性があるのである。成長という用語を使うならば、量的成長から質的成長へとパラダイム・シフトすべき時に至っているということである。比喩的に言えば、蛹から蝶へと成虫化すべき時に至っているのである。
 貨幣・資本は、同一性価値に基づく量的成長から差異的価値に基づく質的成長へ変換するために、投資される必要があるのである。この差異的価値への転換のために、差異的経済価値の法律が必要となると考えられるのである。差異共振性・差異共生性のために使用される投資は優遇されるように法律化すべきなのである。
 私は、単なる寄付ではいけないと考えられる。寄付=贈与は、実は一種の負債である。というか、根源的な負債であろう。寄付される方は、負い目があり、寄付する方は寄付される方に対して、権力をもつのである。あるいは、逆の関係となろう。どちらにしろ、主従関係である。
 ということで、近代合理主義/ポスト・モダン=魔女の予言(サブプライムローン)からのエクソダスとして、トランス・モダン=差異共振主義へとパラダイム・シフトする必然性があるということである。


toxandriaの日記へのTB
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