次元について:Media Point Planeと現象三次元空間:ディオニュソス

次元について:Media Point Planeと現象三次元空間:ディオニュソスとアポロ


テーマ:トランス・モダン・コスモス


この問題は、アポリア(難問)である。今の段階で、最高の理論的難問である。今日、昼間、考えたことから考察したい。
 これまで、三次元空間を前提にして、次元形成の問題を考えてきたが、一番のポイントは、第三次元ないしは奥行きの次元にあると思われる。というのは、奥行きの次元は、遅れて発生したと考えられるからである。つまり、遠近法の形成は、近代の出来事であり、それ以前には、存在しなかったからである。そこで、三次元を前提にするのではなく、直感から次元問題を考察しよう。
 コスモスと言うとき、それは、森羅万象が一体となっている様態である。例えば、私は列車の窓外の真っ白な雪を頂いた立山連峰を見ているとしよう。列車は立山連峰に近づいてきて、窓外には、巨大な連峰が聳え立ち、私はその存在に圧倒される。私と立山連峰は一体となり、宇宙的なシンフォニーが奏でられる。ブルックナーの第八交響曲のようである。
 コスモス的体験とは、端的に、Media Pointの体験である。ここにおいて、心ないしは心身は垂直的経験をして、森羅万象とつながるのである。つまり、差異共振化するのである。
 そう、この体験の次元を問題にしたいのである、先ず。ここでは、他者と私は一体(一如)であるから、遠近法が成立たない。つまり、通常の距離感が消滅しているのである。だから、三次元空間はないことになる。直感では、二次元である。平面空間があると思う。思うに、これが、ガウス平面をつながるのではないだろうか。
 何故ならば、Media Pointにおいて、垂直的共振によって、私は他者(差異)と一体であるという体験をすると考えら、また、私の視線は、窓外の巨大に聳え立つ雪の衣を着た立山連峰、即ち、外的対象を捉えているので、実軸の出来事と考えられ、結局、垂直と水平との重なりの空間(=コスモス)があり、それは正に、二次元平面空間としてガウス平面と通じると推測されるからである。これを作業仮説としよう。
 つまり、現象発生論的に見ると、三次元空間ないしは四次元時空間の発現以前に、Media Pointの事象があるのであり、それは、二次元空間であると考えられるのである。
 では、次に、奥行き、遠近の発生の問題である。Media Pointにおけるコスモス的体験(ディオニュソス的体験とも言えるだろう)を鎮まると、主客分離が生起して、私と立山連峰は別々の存在になる。ここににおいて、遠近・奥行きが発生すると言えよう。それまでは、上下・左右が存在したが、これに前後が付け加わるのである。つまり、三次元空間が発生するのである。ニーチェの言葉で言えば、アポロ的なものが形成されるのである。これで、三次元空間の発生は説明がつくだろう。
 では、時間はどうなるのだろうか。Media Pointにおける私と立山連峰との一体感におけるコスモス体験において、私は、宇宙的シンフォニーが奏でられると言ったが、音楽の発生に注意すべきである。これは、正に、時間的なものが発生しているのである。エネルギー(エネルゲイア)が発生していると考えられるのである。つまり、コスモス体験とは、三次元時空間を意味すると考えられるのである。
 そして、Media Pointから物質的現象化によって、三次元空間が発現するのであるが、隠れたMedia Pointにおいて時間次元(=エネルゲイア次元)が潜在しているのと言えよう。これで、四次元時空間としての現象時空間が説明できよう。
 さらに考察すると、Media Pointにおける三次元時空コスモスと物質的現象界における四次元時空間との関係をどう見るべきなのだろうか。前者の方が高次元であるのに、次元数が少ないのはおかしいと言えよう。どう考えるべきなのか。換言すると、平面空間から立体空間への変化をどう考えたらいいのか。
 問題点は、どうして、遠近・前後・奥行きを付け加わるのかという点にあるだろう。それは端的に、Media Pointの垂直次元・超越的次元が消失するからであろう。その換わりに、同一性の遠近法が発生するということになるだろう。つまり、差異と差異との共振次元が消えて、同一性の次元が発生して、それが、遠近・前後・奥行きの次元になるのではないだろうか。
 思うに、この同一性の次元の発生が、純粋な三次元空間(近代的物理空間)の発生を意味するのではないだろうか。それまでは、上下は天地の次元であり、天は神の領域であり、地は被造物の領域であったし、また、左右も左は悪しき方向(英語の「邪悪な」のsinisterは語源では「左手の」を意味する)で、右(英語でrightは、右であり、正しいを意味する)が正しい方向であったろう。
 とまれ、Media Point的空間(ディオニュソス的空間)から同一性的空間(アポロ的空間)へと転換して、遠近・前後・奥行きが発生したと言えよう。イタリア・ルネサンス絵画の遠近法(背後に風景が描かれる)の発生である。
 だから、平面空間(三次元時空間)から立体空間(四次元時空間)への転換に関する問いに答えるならば、Media Pointにおける平面空間とは、超越次元をもつ平面空間であり、現象空間とは同一性に基づく立体空間であり、両者において、次元の意味が異なっているので、量的な比較は意味がないということになるだろう。
 正確に言えば、Media Pointの空間とは、量的な、同一性的な二次元空間ではなく、超越的な二次元空間である。言い換えると、超越的な平面空間が同一性的な立体空間へと転換したということである。言い換えると、超越的垂直が、同一性的垂直(上下)と同一性的遠近(前後:思うに、時間的前後ではないだろうか)を発生させたということではないだろうか。
 では、左右はどうなのだろうか。今のところは、作業仮説として、垂直から水平への転換において、最初に発生するのが、左右的水平性であるとしておきたい。つまり、Media Point Plane(Media Point平面)において、超越的垂直(超越的上下)と水平(左右)の平面空間が発生したと考えるのである。つまり、ガウス平面の発生そのものと言えるのではないだろうか。
 最後に、ドゥルーズガタリの共著において、共立平面ないしは存立平面という概念がよく使用されていたが、思うに、この平面は、正しくは、Media Point Plane(メディア・ポイント平面)ではないだろうか。そうした方が、差異の共立・共振を明確に考えることができるのである。何故なら、ドゥルーズガタリの連続的差異の共立の考え方では、差異の同一化がもたらされてしまうからである。
 今はここで留めておきたい。