心の問題

心の知情意とはよく言われることであるが、いったい心の構造はどうなっているのだろうか。
 これまで、差異と同一性の視点から、自我について考察してきた。近代的自我=狂気という見解を展開してきたのだが、差異と同一性を知情意に関係させるとどうなるのだろうか。
 とまれ、ここでは、近代的自我において考えてみたい。差異を否定している近代的自我(以下、自我)において、近代合理主義という知と意志が結びついている。この、いわば、知意志は、同一性中心主義である。
 この知意志=同一性知性は、対象との差異共振性を否定している。主体の知において、同一性の面が顕在的であり、差異又は差異共振の面が、同一性の面によって否定される様態で、潜在化しているのである。
 差異(以下、差異共振をも含める)を否定する同一性という知意志は、感情的には、当然否定的感情を帯びるのである。それは、嫌悪であり、憎悪であり、嫉妬であり、等々の否定的感情である。(感情には、欲望も含める。)
 同一性の知意志、これは、正に、自我である。他者と同一化している自我であり、他者を嫉視するのである。同一性の投影が支配しているのである。
 では、問題は、否定され潜在した差異はどういう様態になっているのだろうか。それは、無意識の領域にあると言える。この無意識の差異と同一性(自我)の知意志=意識の関係はどうなっているのだろうか。
 同一性の知意志(自我意識)は、差異を否定しているのであるが、その否定を意識しているのであろうか。これは微妙である。同一性の意識にとっては、本来、差異は認識できない。認識できないから、否定もしないのではないだろうか。
 否、差異のエネルゲイアに対して、それを理解できない異質なものとして、排除するのであるから、否定しているのである。しかしながら、何十回と既述したように、差異はそれ自体の認識性をもっているのである。つまり、主体(自己)とは、本来、同一性認識と差異認識の両面をもつのであるが、一般には、前者が先行して、後者を否定するが、その後、後者を肯定するようになると言えよう。
 しかしながら、近代的自我のように同一性中心主義になると、後者が徹底して排除される。このとき、後者はどうなるのかである。
 以前は、賦活された差異のエネルゲイアが反動的に狂気となり、自我意識を襲うと述べたが、差異認識という考え方から見ると、近代的自我は分裂化するのである。(最近は、統合失調症という名称を使うが。)即ち、同一性意識(自我意識)と差異認識とが分裂するのである。前者は後者を抑圧するが、後者は潜在するだけでなく、活動するので、ここにおいて、両者の相克が発生すると考えられるのである。
 簡単に言えば、同一性は差異を否定し、差異は同一性を否定するのである。これは、精神病である。近代的自我的精神病である。今日、うつ病、自己愛的人格障害統合失調症、等と言われるものは、これが起因であると思われるのである。
 結局、自己とは、同一性の極と差異の極の両極があるのであるが、近代主義は、差異の極を無視したために、自己は自我となり、狂気化しているのである。
 PS理論から言うと、自己はMedia Pointを根源としているので、当然、エネルゲイア=電磁波をもつのである。私は先に精神電磁波と呼んだ。結局、自我の電磁波があり、それは差異を否定する否定的電磁波=毒気・瘴気である。差異の電磁波があり、それは、肯定的電磁波であり、いわば、差異共振的生気である。(シュタイナーのエーテル体やアストラル体は、ここと関係するだろう。)
 自我は、差異の肯定的電磁波を当然否定する。ここで、対人関係において、ストレスが発生するのである。自我=否定的電磁波と自己=肯定的電磁波の相克があるのである。狂気と正気の相克である。そして、現代日本において、狂気が正気を凌駕しているのである。
 問題は、このような精神病日本は、当然、亡国なのであるが、これは、さらには、滅亡へと向かうのではないだろうかということである。

p.s. 後半、知情意の視点が抜けてしまったが、同一性=自我には、否定的感情があり、差異=自己には、肯定的感情があるということになる。これは、ほぼスピノザの悲しみと歓びの二つの感情の視点と同じである。

p.p.s. 結局、近代的自我の問題とは、感情に対して無意識であるということではないだろうか。差異は感情に関係している認識であろう。つまり、感情を認識して、感情を陶冶・コントロールするのである。同一性=自我によって、否定的感情(嫌悪・憎悪・慢心等)が発生するが、差異的感情認識がなければ、自己の否定的感情に気がつかない。自己盲目である。そう、これが、現代日本人の精神病の意味することではないだろうか。
 また、感情とは身体に密接に関係しているのであるから、感情身体が喪失しているとも言えよう。そう、差異感情身体の喪失である。(Media Pointは、同一性的知と差異感情身体の中間にあるだろう。)
 差異感情身体を否定しているので、日本人の精神は病的であり、非創造的なのである。