生命とは何ぞ哉:原生命としての超越的差異の振動と物質化された生命

生命とは何ぞ哉:原生命としての超越的差異の振動と物質化された生命体:西洋医学東洋医学の融合


テーマ:生命科学/遺伝子問題/医学・医療


食事をされる方には、尾籠不躾で、申しわけない話であるが、最近、大腸の検査をしたので(幸い、ポリープ等何も異常はないということであった)、トイレに行って排泄すると、なにか人間の体が機械のように思えてくる。食料を口から入れて、胃腸等で消化吸収して、要らなくなったものを、肛門から排泄するというメカニズムがよく感じられるようになったからである。そう、人間の体はチューブであり、そのある一つの先端に食べ物を入れて、反対の先端から排泄物を出すというメカニズムである。
 機械としての人間の物質的身体という発想を強くもったのであるが、これは、お馴染の近代科学の機械論的物質的身体論である。物質主義的身体論である。しかしながら、この発想は物質主義という観点に限定するならば、ほぼ正しいだろうし、現代医療の多くは、この観点から成立しているのである。(最近は、漢方医療や代替医療が増加しているが。)
 とは言え、身体が物質的なものであるならば、身体を動かしている動力源、源泉は何かと思ったのである。例えば、心臓は何が動かしているのか。単に物質が動かしているか。遺伝子が動かしているのか。私の直感的仮説は、物質自体ならば、生命を営むことはできないだろう、何故なら、物質は、エントロピーを増加させるのであり、消滅へと単純に向かっていくと考えられるからである。
 そこで、私は、プラトニック・シナジー理論(PS理論)における、超越的差異、即ち、(+i)*(-i)、いわば、超越的双極差異が、生命の力の真の根源であり、この振動が、Media Pointを介して、物質的身体へのエネルギーとなり、物質的身体、すなわち、生命体を維持しているのではないのかと思った次第である。
 超越的双極差異(+i)*(-i)の振動は、Media Pointにおいて発生しているのであり、これが、(+i)*(-i)⇒±1を発生させているのである。⇒+1が本来の自己であり、⇒-1が自我、ないしは近代的自我であるが、物質的身体を考えると、それは、本来の自己と同じ形式から発生しているのではないだろうか。即ち、(+i)*(-i)⇒+1、これが、物質的身体の生命方程式ではないだろうか。(p.s.  ⇒-1が自我、近代的自我であるならば、これは、⇒+1の物質的身体を阻害するのではないだろうか。つまり、⇒ー1とは、差異、差異共振性という生命の原動力を否定するのであるから、当然、物質的身体を阻害するということになるだろう。ここで、霊的医療の是非の問題が出てくる。これ重要な問題なので後で検討したい。)
 つまり、原動力は、左辺にあり、それが、Media Pointを介して、右辺という物質的身体を形成し、維持しているのではないだろうか。心臓の鼓動・パルスとは、左辺の振動の現象ではないだろうか。(思うに、心臓と心とを結びつけた前近代的思想は、この点から正しいのではないだろうか。Media Pointは、宇宙で言えば、太陽系の太陽に当たるし、人間で言えば、身心の要である。そして、それが、心臓として現象化していると考えるのは正しいのではないだろうか。では、脳はどういうことになるだろうか。脳が、Media Pointの現象化ではないのかと思われるかもしれない。しかしながら、脳は、心臓の派生ではないだろうか。というか、私には、脳とは、同一性の物質的身体器官ではないだろうかと思えているのである。心臓が、差異の物資的身体器官ではないだろうか。ここで、シュタイナーの言葉を想起する。脳の論理は利己主義で、ハートの論理が人類を結びつけると。)
 心臓の鼓動は右辺の+1であり、この規則正しさが、物質的生命体のリズムではないのか。また、敷延していうならば、+1は、太陽系の惑星の周期・リズムにも関係するだろう。この一定秩序があるので、太陽系の惑星運動が保持されているのではないだろうか。
 さて、左辺のエネルギーは原エネルギー、エネルゲイアであり、これが、Media Pointで右辺のエネルギー、物質的エネルギーに変換されるわけである。(これを光のエネルギーと見てもいいだろう。)ということで、生命とは、根源的には、超越的差異、超越的双極差異の振動と見るべきであり、それは、単に、(+i)*(-i)であるというよりは、Media Pointと見た方がいいのではないだろうか。つまり、(+i)*(-i)⇒=Media Point=原生命である。
 そうすると、生命とは自己とまったく同じことになるが、これは、前近代的、魂と呼ばれていたものと等しいだろう。西洋哲学で言えば、プラトンが魂(霊魂)の不滅を説いたが、それは、超越的差異、超越的双極差異のことだろうし、また、アリストテレスが『心とは何か』で述べている心は、ここで述べた Media Pointにぴったり重なるだろう。また、当然ながら、日本人の伝統的思想である、「タマ」や「モノ」、すなわち、アニミズムシャーマニズムも、 Media Pointに関係すると言えよう。現代科学的には、電磁波と言えるだろう。(因みに、電磁波とは物質ではないのである。光は物質ではない。)ついでに言えば、「悪霊」とは、悪しき電磁波、差異共振していない、差異不協和な波動の電磁波のことではないだろうか。
 次に、生命体、とりわけ、人間の生命体の形成について言うと、超越的差異、超越的双極差異に根源があるが、その振動の複合体が生命体の青写真、設計図、原型、イデア・エイドスではないだろうか。遺伝子とは、振動複合体の単なる物質的表現に過ぎないのではないだろうか。つまり、遺伝子と呼ばれるものは、根源の振動複合体、超越的双極差異の複合体は、正確には、表現していないのではないか。なぜなら、原生命=原自己である超越的双極差異複合体は、単純に物質ではないからである。高次元的なものである。つまり、高次元双極差異複合体なのである。(この複合体については後で検討したい。)
 最後に、生命の中核としてのMedia Pointについて補足的に考察したい。以前、心身論で、Media Pointとは、心なのか、身体なのか、それとも、心身なのか、と迷ったことがあり、まだ、最終的な結論が出ていない。
 今の考察から新たに光が当てられるだろう。結局、Media Pointとは、自己の中核でもあるのである。つまり、Media Pointとは、自己、及び、生命の中核である。自己とは心、精神である、そして、生命とは、終局態(エンテレケイア)としては、物質的身体である。つまり、自己と生命とは、エネルギー体であり、それも、知的エネルギー体であり、それの発現として、自己と生命があるということになるだろう。つまり、同一体である、知的エネルギーの発現・顕現として、一つは自己・心があり、一つは生命・身体(物質的身体)があるということになる。
 だから、Media Pointとは、端的に、知的エネルギーであり、心と身体の根源的基盤であるということになる。心身論はこれで解決することになる。Media Pointは、心であるのか、身体であるのか、それとも、心身であるのか、という問題はこれで解明されたことになる。即ち、Media Pointとは、心の基盤であり、身体の基盤であり、心身の基盤である、ということである。
 これで、また、スピノザの心身平行論を乗り越えたことになるのである。スピノザは、デカルトを継承して、心という属性と身体という属性の二元論から心身平行論を立てて、神=自然=実体を説明しようとした。心と身体を繋ぐものはなかったのである。しかしながら、今は、Media Pointという心と身体との中核的基盤が明らかになり、今や、心身平行論は不要になったのである。さらに言えば、気功等の代替医療は、このMedia Point生命論によって、解明されるだろうし、西洋医学東洋医学(その他の民間医療を含めて)との融合・調和・統一はこれによって為されるだろう。プラトニック・シナジー理論的医学ないしは、Media Point医学である。