サブプライムローン問題を哲学する:同一性価値と差異関係体:資本主

サブプライムローン問題を哲学する:同一性価値と差異関係体:資本主義の超崩壊と差異共振経済の創造


テーマ:金融・為替・株式・債券・通貨・税


サブプライムローン問題であるが、素人の考えでは、そして、私の住宅ローンの経験から言えば、資本主義的金融は、仮定・想定・見込みの数字が、基礎・土台となって、借り手という他者(差異)を考慮していない、同一性中心主義・同一性機械主義である。簡単に言えば、同一性量の増加を見込む金融ということであり、この増加の獲得のために、競争をする。しかしながら、物件の値上がりの見込み(speculation:思弁、投機)から、ローンを組み込むというのは、実に根拠が薄いものである。これは、科学ではなくて、予想ないしは希望的観測である。つまり、願望が入っているのである。英語で言えば、仮定法である。これは、反現実的事象の表現である。そう、非科学的な金融ということになるだろう。具体的に言えば、競争があるのだから、販売も壁にぶつかり、当然、物件の値上がりという仮定が根拠薄というか、反現実的なのである。だから、反科学的な、反合理的な金融ということになるのである。
 また、さらに言うと、上記したように、借り手という他者=差異を資本主義的金融は認識していない点に大きな問題があると思う。借り手を数値化して、同一性価値にしているのである。ここでは、同一性としての個体としての借り手が存するだけである。方程式の、xやyである。数値化(数量化)=同一性によって、他者=差異を否定するのであるが、その時、何が問題になるか考えよう。
 結局、端的に、言えば、差異価値と差異共振性が否定されるということになるだろう。量による質の否定と言ってもいい。つまり、信用度の低い借り手の社会層(下層)があるだろう。これらは、単に、個体として独立して存在しているのではなく、それなりに差異価値、差異共振性として存在しているのである。ここで、有機体という概念が思い浮かぶが、有機体というよりも、もっと複雑な関係体として存在していると考えられる。とりあえず、他者=差異の関係体を差異関係体と呼んでおこう。
 これらは、単に、下層だけでなく、中層や上層と経済的に結びついているのである。だから、差異関係体とは、単に、下層関係体だけではなく、社会全体にあてはまるのである。
 結局、差異関係体において、サブプライムローンが作用するということになるのである。ここで、個体1,個体2,個体3,・・・個体nという個体を考えると、個体は、数値化されると同一性となる。すると、個体同士の相互関係(ある意味で、差異共振価値と言えよう)が見えなくなる。単に、個体1の数値、個体2の数値等が、個々独立して、見えるだけであり、ここでは、加減乗除が行なわれるのである。連続的計算である。
 そこでは、個体同士の相互関係、すなわち、差異関係体(差異共振性)が無視されているのである。相互関係の無視があるのであり、そこにおいて、サブプライムローンによって競争すれば、当然、個体の相互関係に響いてくるのである。例えば、個体1が得すれば、個体2が損するということになると考えられるのである。つまり、±ゼロである。作用・反作用の法則である。これを無視して、全体が利益を得るというのは、正に、ユートピア思想である。資本主義的金融ユートピア主義である。金融ユートピア主義である。これを、サブプライムローンは犯してしまったのである。
 また、金融工学によって、細分化して、リスクを小さくした証券であるが、これは、確かに、個々に見れば、独立した個物である。しかしながら、これが、差異関係体に投入されれば、個々の独立性が完全に失われて、関係体に属するようになるのである。つまり、証券は、関係体(「差異共振価値」)となるのである。つまり、サブプライムローン証券は、いわば、差異関係体証券(「差異共振価値」証券)になるのである。即ち、個々のリスクは小さくなったが、実質、リスクは差異関係体全体に及んだと言えるだろう。言い換えると、社会全体にリスクが及んでいると言えよう。サブプライムローンをガン細胞とすると、全身に転移しているということになるのである。これは、明らかに、社会体は御陀仏である。
 「資本主義」の超崩壊であろう。私はこれまで、ポスト・ユダヤキリスト教西洋文明を唱えてきたが、どうやら、サブプライム問題が引き金になったようだ。これは、当然、日本にも打撃が及ぶ。アメリカ経済の崩壊が起れば、日本崩壊である。そう、新世界大恐慌である。もう、ケインズの手法は使えない。というか、既に使っているのである。結局、同一性(市場経済)を包摂した差異共振経済、トランス・モダン経済、トランス・キャピタリズム、Kaisetsu氏の市場化された場における共同体主義へと試行錯誤していくしかないだろう。
 近代の悪夢からエクソダスするときである。


p.s. 以上は素描なので、後で整理したい。


p.p.s. 結局、社会主義路線(国家社会主義)が戻ってくるだろう。金融機関の国有化が考えられるだろう。これは、全体主義の危険が伴うのである。そう、一気に戦前回帰である。


3p.s. 結局、超過剰資本(マネー)とは、何を意味するのだろうか。差異共振価値(差異)から超過剰資本(同一性)が生まれるのである。つまり、高度情報資本主義において、差異共振価値が質的に進展した結果、超過剰資本が生じているのであるが、その超過剰資本という同一性のエネルギー(力・暴力)が、差異(差異共振価値)のエネルギーを否定するという自己矛盾が発生しているということではないだろうか。換言すると、物質エネルギーが超越エネルギー(精神エネルギー)を抑圧していると考えられるのである。同一性構造(近代主義/ポスト・モダン)が壁になっているのである。
 結局、超越差異共振エネルギーの再生・新生へと超過剰資本をフィードバック・還流させるべきだと考えられる。


4p.s. 本文に関してだが、差異と差異との関係を差異関係体としたが、どうして、同一性関係体と言わないのか、という疑問が起こるだろう。つまり、借り手を差異としても、同一性としても、関係体においては、同じではないのか、という疑問が浮かぶだろう。
 問題は、同一性となった借り手の場合である。例えば、個体1は年収が300万円であり、借金が残っていて、返済が終わっていないとしよう。金融機関は、個体1にローンを提供するとしよう。リスクの小さいローンである。同様に、似たような経済状態の個体2に、ローンを提供するとしよう。これが、いわば、足し算されると考えられる。
 これが、借り手が同一性になった場合である。しかしながら、借り手と貸し手の相互関係があり、それが、多数の場合、複合化するのである。つまり、複合的関係がそこにはあるのである。しかし、この複合的関係が、同一性の視点からは見えないのである。盲点である。
 しかしながら、借り手を差異と捉えれば、貸し手である差異(ないしは同一性)との関係が生じる。つまり、借り手を同一性としたとき、そこには、同一性の和が発生するだけであるのに対して、借り手を差異とした場合、差異的関係が発生すると考えられるのである。つまり、相互関係が発生するのである。これが、上述した差異関係体になると考えられるのである。言い換えると、もし、他者が同一性ならば、そこには、同一性の連続性・反復があるだけであり、関係はない。他者が差異であれば、そこには、差異(同一性)と差異との関係、対話・交流が発生するということである。換言すると、差異と差異との関係とは、差異共振性ではないだろうか。貸し手と借り手との差異共振性ではないだろうか。
 とまれ、差異関係体(差異共振体)が生じると、リスクは関係体にあることがわかるようになるだろう。同一性の集合では、リスクは個別化して、分離しているが、関係体では、リスクは連動するのである。和と積との違いと言えるのかもしれない。


参照:


渡辺喜美金融・行政改革担当相:(サブプライム問題の)本質的な構造は・・・流動性危機の背景にソルベンシーの問題があり、個々の金融機関の問題というより金融システム全体の問題である可能性がある
2008.02.05 Tuesday
◆ウェブ世界からの現実世界への影響力を推し量る具体的な手法が見つからないことが、「恐怖」を生んでいるのである。一番、必要なことは、ウェブ世界、つまり、「精神世界⇒電磁作用世界」に「身体」(哲学用語)を与えることであり、金・銀本位制を復活することである。
参考:市場化された場に於ける共同体主義 (Commune principle in the dimension of perfectly privatized market)


(『市場化された場に於ける共同体主義』に関する海舌の例示:
不動産の公有化、公的統制、不動産の動産化、不動産の徹底的流動化、動産価値の飛躍的高騰化、動産流通コスト(運賃、運送費)の徹底的低廉化・無料化、ソフトウェアーの動産化、精神的価値の直接的動産化(芸術価値の飛躍的高騰化)、金・銀本位制、中間的職種の解体・廃止など)
 by 海舌
http://blog.kaisetsu.org/?eid=628017
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu


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サブプライムローン問題で分かりにくいところ


 国内外の株価が急落した。米国のサブプライムローンの焦げ付き問題が原因と報じられているが、何割くらいの人が、どのような形で、原因と結果の結びつきを理解しているかが気になるところだ。「アメリカの住宅ローンの問題で、なぜ日本の株価まで下がるのか」と、ふに落ちない方もいらっしゃるだろう。

 金融関係者には常識でも、こうした問題に直接的な関心を持っていない人にとって、分かりにくい点がいくつかあるような気がする。筆者自身、いくつかのメディアの取材を受けて説明を試みたが、「ああ、ここが伝わりにくいのか」と後から気付く点が、少なくとも二つあった。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/yamazaki/at_ya_07082401.htm

山崎流マネーここに注目


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中には借り手を欺くような、丁寧に言えば説明義務を果たしていないものも報道されている。例えば、65歳のおばあさんには3万6000ドルを貸し付け、返済期間は15年というローンを組ませた。おばあさんには「毎月300ドル強支払えばいいです」と融資担当者は言う。当然、おばあさんは15年後の 80歳には完済になると思う。ところがこのローンは、80歳になっても実は元本分の返済が済まないという代物だった。


65歳のおばあさんに貸し付けたローンは80歳でも完済せず

 このおばあさんは返済途中で、そのことに気づき、ローンの支払いを拒否すると、家を取り上げられた。さすがにこの件は裁判所に持ち込まれ、元々おばあさんが80歳になった時点で、返済できるわけがないことを知りながら貸し付けた「貸し手責任」を問われ、おばあさんには損害賠償として1万4000ドルが支払われたという。

 これらのローンが組まれる前提は「買った家(貸し付けた家)が値上がり続ければ、すべての問題は問題ではなくなる」というものだった。サブプライムが伸び始めた当初、住宅価格が値上がりを続けたので、前提通りに物事が進んだ。ところが世の中、そんなに甘くない。住宅価格の騰勢は止まり、多くの地域で値下がりし始めた。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070326/121720/
サブプライム問題に見る米国の病魔

* 2007年3月30日 金曜日
* 神谷 秀樹