共一性+1と同一性-1について:Media Pointは魂=モナドである:一即

共一性+1と同一性-1について:Media Pointは魂=モナドである:一即多のMP


テーマ:自己認識方程式(i)*(-i)⇒+1関係


同一性の仮象の問題について検討したい。先の考察は、だいぶ混乱している。http://ameblo.jp/renshi/entry-10101712150.html
しかし、直近のものはかなり修正された。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10101857699.html
 私が勘違いしていたのは、自己意識のことである。「わたし」には、共一性と同一性がある。差異共振的自己認識とは、共一性である。それが、「わたし」である。問題は、果たして、これを仮象と捉えていいのだろうかということである。同一性-1は、確かに、仮象として捉えていいいと思う。
 共一性+1は確かに現象であるが、仮象であろうか。ここで、単純に、自然・天然の事象を考えればいいだろう。磁石である。それは、端的に、差異共振現象であり、磁力・磁気は、共一性である。(つまり、私は、自然現象にも、自己認識があると広義に考えているのである。この点については、後で検討したい。人間の認識の問題である。)磁石にとって、生死があるだろうか。そう、ただ、差異共振イデア現象がそこにはあると見るべきではないだろうか。
 そう、磁石とは、いわば、永遠回帰を現象していると言えるのではないだろうか。イデア即非・現象である。とまれ、ここには、同一性はないと考えられる。
 では、人間の場合、どうなるだろうか。共一性である自己認識は、仮象なのか、それとも、差異共振現象なのか。
 しかし、この疑問は愚問である。何故なら、人間の場合、共一性と同一性が同時生起すると考えられるからである。そして、人間は、一般に、同一性に傾斜しているので、トランス同一性としての共一性に進展することは、有意義なことである。
 仮象とは同一性のことであり、共一性は差異共振現象である。人間のエンテレケイア(目的)とは、自己認識を、同一性から共一性へと変換させることにあるだろう。動物等の自然は、差異共振現象そのものであるが、自己認識はないと考えられる。人間は、同一性から共一性へと変換することで、差異共振自己認識を形成するのだと思う。
 さて、端的に、共一性+1とは、仮象なのか、否かである。それは、現象である。仮象ではない。だから、共一性としての「わたし」は端的に現象、差異共振現象、イデア現象である。
 では、先に「わたし」の死後の問題に返るが、共一性としての「わたし」は死後、どうなるのだろうか。
 先には、±1は消滅すると言った。つまり、同一性の「わたし」だけでなく、共一性の「わたし」も消滅すると言った。そして、(+i)*(-i)の根源的イデア極性である超越的大我になると言った。果たして、それでいいのか。
 +1は意味が重い。これは、超同一性、トランス同一性である。端的に言えば、差異共振性として自己を認識したことを意味するのである。
 この共一性認識とは、端的に、イデア極性認識である。差異共振認識である。果たして、+1は、死後消滅するのか。
 先には、それは消滅すると述べて、(+i)*(-i)の超越的大我に回帰すると言った。そうすると、個はなくなるのではある。しかし、その結論は、それまでの考察とは齟齬を来す。何故なら、私は、生における経験がなんらか死後も持続すると考えているからである。生の経験の記録がMedia Pointにおいて記録されると考えられるからである。
 思うに、Media Pointこそ、魂ではないだろうか。これが、個の原型ではないだろうか。思うに、無数ないしは多数のMedia Pointがあるのであり、そこの個々のものが魂ではないだろうか。ならば、植物にも魂があることになるのではないだろうか。推測するに、植物にも、可能性としての魂はあると思われる。ただし、人間のように同一性がないので、魂は稀薄であろう。
 Media Pointは特異点・特異性である。これは、多数・複数性を意味するだろう。これが、魂であろう。すると、多数・複数の魂があるのである。根源の差異共振性は、一(いつ)であるが、現象へと展開する時、Media Pointを形成するが、それが、多数・複数であると考えられ、それが、魂ではないかと考えられるのである。
 思うに、Media Pointは、ライプニッツモナドと言ってよさそうである。そして、それは、共一性+1と同一性-1の両義性を表現するのである。そう、Media Pointは一であり、多である。
 ということで、先の考察は訂正されて、魂、霊魂、霊は存することになるのである。プラトンは正しいのである。

p.s. 後で、整理したい。


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イデア極性=差異共振性と差異一致=差異排他:自然(じねん)と同一性


テーマ:自己認識方程式(i)*(-i)⇒+1関係


最近の考察は、イデアイデア極性と捉え、Media Pointを介して、±1が同時生起するというものになっているが、問題は、イデア極性の極性の力学である。私の考え方は、牽引だけでなく、反発をそこに含めているのである。これは、単純素朴に考えてみて、極性の考え方に矛盾しているだろう。そこで、この根本的な問題を検討したい。
 問題は、復習になるが、(+i)*(-i)とは何かである。私はこれを最近は、イデア極性と呼んでいる。端的に、極性(対極性・両極性)である。極性については、昔、十分に考察した。例えば、N極とS極、+と−との極の関係である。そう、それらは、明らかに対立している。N≠S、+≠−である。しかし、同時に、両者は牽引する。対立的牽引、これが、極性関係であろう。
 その観点から、イデア極性を考えると、+iと-iは対立しつつ、同時に、牽引している。これを差異共振性と呼んでいるわけである。だから、私がイデア極性に牽引と反発を見るのは、正しいだろう。ただし、対立と反発を同じものとみているのだが、それでいいだろうか。そう、極性とは、単純に牽引ではないだろう。もし、単純に牽引しかなければ、極性はなく、単に、一元性があるだけであろう。一(いつ)である。だから、極性は、やはり、反発と同時に牽引があるということでいいのだろう。以前、差異の分立性と水平性の二重性を述べたことを想起する。
 では、そのように確認して、イデア極性=差異共振性について戻るとどうだろうか。問題の中心はやはり、1/4回転、Media Pointにあるだろう。
 自己認識で言えば、原自己+iと原他者-iが共振して、自己認識+1が形成される。これを私は共一性と呼んだ。しかし、この+1には、既に、牽引と反発が含まれている。そして、先に私は、牽引を+1に、反発を-1として、分離して考えたのである。これは、明らかに、不整合、齟齬である。
 私のイメージでは、イデア極性において、一致する志向性と排他する志向性の二つの志向性があるのではないのか、ということである。この考え方は、極性自体の様態とは異なる。つまり、そこでは、極限を考えているのである。対立が一致する極限と、対立が排他する極限の二つである。
 しかしながら、両者は一致するだろう。何故なら、両者共に、同一性化であるからだ。対立の一致とは、+i=-iであり、(+i)*(+i)⇒-1、対立の排他とは、(+i)*-(-i)⇒-1となるだろう。そう、-1が同一性である。ないしは、同一性主義である。
 では、ここには、何が起きているのだろうか。イデア極性=差異共振性とは、自然(じねん)、天然である。1/4回転とは、このことである。これは、至上に美しい。夾雑物がなく、純粋である。
 問題は、同一性の発生の意味である。それは、本来、あり得ないことである。何故なら、対立の一致からわかるように、それは、微分であるからである。それは、近似値に過ぎないのである。虚構である。
 鏡像が起るならば、それは、+1と-1の間ではなく、+iと-iとの間であろう。原自己+iは、原他者-iを認識しようとするが、それを原自己+iに変えてしまうのである。鏡像自我である。
 ここに、人間存在の秘密・秘奥があるだろう。ここにおいて、人間は、明らかに、自然・天然を逸脱しているのである。
 本来、対立の一致や排他はないのに、それらが存すると錯誤・誤認する人間の認識とは何だろうか。同一性認識とは、明らかに、錯誤認識である。
 この説明はこれまでしたように、人間の内的本性の傾斜、同一性への傾斜で説明できるだろう。しかし、今の考察においては、同一性の傾斜とは言えず、原自己への傾斜と言わなくてはならないだろう。
 言い換えると、イデア極性において、原他者に対して、原自己への傾斜があるということである。強度の違いと言ってもいいだろう。原自己の強度>原他者の強度である。
 自然・天然では、バランスがあるので、差異共振は、+1と現象する。しかし、人間では、不均衡なので、差異共振は、不均衡な様相になるということだと考えられる。
 不均衡な差異共振性が生じると考えていいだろうか。不均衡ではあれ、極性であるから、均衡差異共振性+1が発生するだろう。しかしながら、同時に、不均衡な対立一致ないしは対立排他力学が働くだろう。
 均衡且つ不均衡力学が生じるだろう。つまり、+1と-1が同時生起するということではないだろうか。
 ここで文化史的に言うと、母権・母系文化においては、女性が中心的であったので、不均衡ではなく、均衡が支配的であり、+1が中心化して、-1を抑えていたと考えられる。原始フェミニズムが男性性を制御していたと考えられるのである。そう、原始母権的差異共振社会が考えられる。原始共同体である。思うに、超古代・原神道日本社会はそのようなものであったと思われる。
 そう見ると、やはり、占星術的な文化史・文明史を想定したくなるのである。イデア極性コスモス史があるように思えるのである。ある時は、イデア極性のバランスがとれて、母権・母系制となるが、あるときは、イデア極性が傾斜して、父権・父系制となるように思えるのである。
 簡単に言えば、父権制文化とは、イデア極性の原自己が優位になるような傾斜の時に発生したのである。占星術で言えば、牡羊座文化期であろう。魚座文化期は、それに対して、原他者が発現するが、原自己の優位は変わらない。西洋文明である。そして、次には、原他者が十分に発動して、原自己と新たに共振化するように思えるのである。水瓶座文化期である。これは、易でも説明できる。陰陽文化史である。
 とまれ、そう見ると、イデア極性周期があることになる。そう、回転である。太極図を想起するのがいちばんわかりやすいだろう。このイデア太極力学については、後で検討したい。
 今はここで留める。

参照:
太極図
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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太極図(たいきょくず)とは、太極 から始まる宇宙生成を描いた図をいう。『周易 』繋辞上伝にある「易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀四象を生じ、四象八卦 を生ず(易有太極、是生兩儀、兩儀生四象四象八卦)」に由来し、宋易(宋代 から興起した朱子学 系統の易学)や道教 において重視された。

太極図は歴史上、下記のようにさまざまに描かれてきた。ただし、どの図においても太極自体は○(円 )で表された。

五層
周氏太極図
周氏太極図

太極図が文献として確認されるのは北宋の周敦頤 の著した『太極図説 』(11世紀)が最初である。『易』繋辞上伝における「太極 - 両儀 - 四象 - 八卦 」にもとづきつつ陰陽 五行 や『老子 』の無極 を取り入れて万物化生にいたる宇宙生成モデルを表した。一番上の太極(=無極)から陰陽 、五行 、乾 坤 男女、万物と生成される過程が描かれている。南宋朱熹は太極=理 と定義してこの図を重視し、『太極図説解』を著して朱子学 を補完するための基礎文献とした。

この太極図の由来については周敦頤の創作とする説と先行する道教 系統の図があったとする両説がある。周敦頤作とするのは友人潘興嗣が撰した『濂渓先生墓志銘』にある「尤も善く名理を談じ、易学に深く、『太極図』『易説』『易通』数十篇を作れり」という記述がもとになり、朱熹もこれを信じた。一方、周敦頤作を疑うのは南宋 初の朱震 の「陳摶 は「『先天図』を以て种放に伝え、放は穆脩に伝え、穆脩は李之才に伝え、之才は邵雍 に伝う。…穆脩は『太極図』を以て周惇頤に伝え、惇頤は程邕 ・程頤 に伝う」という発言にもとづいており、早くには陸九淵 がこれにより「朱元晦に与える書」において懐疑を提示している。朱子学 を批判し、考証学 を重んじた清代 の儒学者たちは「太極図」は周敦頤の作ではなく、道教に由来すると主張した。朱彝尊 は『太極図授受考』において「漢 以来の儒者たちには『易 』について語っても太極図についての言及はなく、ただ道教の『上方大洞真元妙経』が太極・三五の説を著し、唐 玄宗 御序・東蜀 衛蒞注の『玉清無極洞仙経』に無極・太極の図がある」と述べた。また黄宗炎 は『太極図説辨』『図書辨惑』などにおいて周敦頤太極図は五代 末の道士陳摶の伝えたという3つの易図の一つ「無極図」に由来するとし、また陳摶無極図の第3層「五気朝元図」は『周易参同契 』(内丹 の基本経典)に基づく「三五至精図」に、第2層の「取坎填離図」は『参同契』の「水火匡廓図」に由来するとして方士の錬丹術 にもとづいているとした。現在では、この清朝の学説を踏襲する人も多いが、周敦頤太極図が先行し、道教で無極・太極の概念を教義に取りこんでいく過程で逆にこれらの諸図が作られていったとする説も有力である。

[編集 ] 陰陽魚
陰陽魚太極図
陰陽魚太極図

この形をした太極図は、陰陽太極図、太陰大極図ともいい、太極のなかに陰陽 が生じた様子が描かれている。この図は古代中国 において流行して道教のシンボルともなり、今日では世界中に広まった。韓国の国旗 にもなっている。白黒の勾玉 を組み合わせたような意匠となっており、中国ではこれを魚の形に見立て、陰陽魚と呼んでいる。黒色は陰を表し右側で下降する気を意味し、白色は陽を表し左側で上昇する気を意味する。魚尾から魚頭に向かって領域が広がっていくのは、それぞれの気が生まれ、徐々に盛んになっていく様子を表し、やがて陰は陽を飲み込もうとし、陽は陰を飲み込もうとする。陰が極まれば、陽に変じ、陽が極まれば陰に変ず。陰の中央にある魚眼のような白色の点は陰中の陽を示し、いくら陰が強くなっても陰の中に陽があり、後に陽に転じることを表す。陽の中央の点は同じように陽中の陰を示し、いくら陽が強くなっても陽の中に陰があり、後に陰に転じる。太極図は、これを永遠に繰り返すことを表している。魚眼の位置は下記で述べるように古来のものでは左右に置かれていたが、現在流行のものは上下に置かれることが多い。これを陽極まれば陰に転じ、陰極まれば陽に転ずることを表しているとするのは画像:Ken.png 乾 ・画像:Kon.png 坤 を上下に配する先天図 による説明様式であり、陽中の陰、陰中の陽とするのは画像:Ri_.png 離 ・画像:Kan.png 坎 を上下に配する後天図による説明様式である。これは次項の来知徳太極図の影響を受けていると考えられる。

この陰陽魚の太極図の作者は分かっていない。その起源となる図[1] [2] [3] について早くに言及したものに明 初の趙縑謙『六書本義』がある。しかし、そこでその名称は太極図ではなく、「天地自然之図」または「天地自然河図」であった。これは伏羲 が天地自然に象って八卦 を作ったという伝説や黄河 から現れた龍馬の背にあった河図 にもとづいて八卦を作ったという伝説による。趙縑謙はこの図を蔡元定 (朱熹 の弟子)が蜀 の隠者から得て秘蔵していたもので、朱熹も見たことのなかったものだと述べている。その後、章潢の『図書編』において「古太極図」の名で収録され、また趙仲全『道学正宗』ではこれに円内を八等分する四線の入った図を「古太極図」として収めた[4] 。清代 になると考証学 が隆盛し、胡渭 は『易図明辨 』を著して宋学 の図書先天の学 を攻撃し、これらの図は道教 に由来して儒教 のものではないとする論を展開した。そして、「古太極図」は五代 末の道士陳摶 が伝えたという3つの易図の一つ「先天図 」であり、錬丹術 の基本典籍『周易参同契 』に由来するとした。これによりこの図は「陳摶先天図」「先天太極図」などとも呼ばれるようになった。

現在のものは魚頭が幾何学的な半円になっているが、これらの図では円の中央で反対側まで細長く伸び、互いに食い入る形になっている。また魚眼は古い図では円形ではなく、滴状であった。円で太極を、黒白の色で陰陽 を、黒地と白地の配置で八卦 を表し、これ一つで『易 』繋辞上伝の「太極 - 両儀 - 四象 - 八卦」の生成論をすべて含んでいる。ここで円内の白黒の配置は伏羲先天八卦に対応しており、円の外側に八卦が一緒に描かれる図もある。このことは円内を8等分する4つの直線が描かれた趙仲全の「古太極図」で分かりやすく、扇状の領域内で円側から尖端に向かって初爻 (下爻)、第2爻(中爻)、第3爻(上爻)の陰陽が表されている。画像:Shin.png 震 ・画像:Ri_.png 離 ・画像:Da_.png ・兌 画像:Ken.png 乾 というように陽気が東北(左下)から始まり南で最も盛んとなる様子は、白地が外側から内側に段々広がっていき、中心から真上にかけてすべてが白地になる様子で描かれ、画像:Son.png 巽 ・画像:Kan.png 坎 ・画像:Gon.png 艮 ・画像:kon.png 坤 というように陰気が西南(右上)から始まり北で最も盛んになるのは、黒地が外側から内側に段々と広がっていき、中心から真下にかけてすべてが黒地になることで描かれる。問題があるのは西(右)の画像:Kan.png 坎と東(左)の画像:Ri_.png 離であるが、胡渭は互いの魚頭魚眼が中央に入り込んでいることを『周易参同契』で戊 己 (坎離の納甲 )が中宮にあることと関連させ、外側の領域を無視して中央東側の黒中白点が坎を表し、中央西側の白中黒点が離を表すとした。これに対して張恵言 は二卦だけが東西逆転するのはおかしく、他の六卦と同様、外側から下中上の爻に対応し、魚眼は坎・離の中爻(陰中の陽、陽中の陰)ではなく各上爻の変形としている。

[編集 ] 円図
来氏太極図
来氏太極図

明 の来知徳 (号は瞿唐、1525年 -1604年 )が作った太極図で円図とも呼ばれる。円環状に描かれ、内円中の空洞が太極を表し、円環内の黒白の色が陰陽両儀を表す。円環内を上下に貫く黒白の2線は、陰が極まれば陽が生じ、陽が極まれば陰が生じることを表し、円環全体で気が生生して息まず、永遠に循環することを示している。古太極図を研究して作ったといわれるが、古太極図で気が外側から生じ内側へ向かって広がっていくのに対し、この太極図では内円の太極から気が生じ外側へ向かって広がっていく。

来知徳はこの図が聖人 (伏羲 ・文王 )が『易 』を作った原理を表し、理 気 象数 、陰陽老少、往来進退、常変吉凶、すべてこの内に備えられているとし、この図を使って様々な事象を説明した。例えば、「伏羲八卦太極図」では円環内の角笛状の4つの領域を画像:Taiyang.png 太陽・画像:Shaoyin.png 少陰・画像:Shaoyang_4.png 少陽・画像:Taiyin.png 太陰の四象 に当て、外円の外側に伏羲先天八卦を配すことで「太極-両儀-四象-八卦」(繋辞上伝)の生成論を表した。また「文王八卦太極図」では外側に八卦を文王後天八卦方位に配し、黒線を陽中に陰がある離、白線を陰中に陽がある坎とし、「帝、震より出ず」(説卦伝)といった東に配された震から始まる東西南北、春夏秋冬の循環、およびその属性である木火土金水の五行 相生を表した。その他に十二時辰 や二十四節気 を円外に配して一日気象の明暗を説明する図や一年気象の寒暑を説明する図なども作られた。

[編集 ] Unicode

太極図は「U+262F」にコードポイントが割り振られている (☯)。Unicode ではほかに「U+0FCA」(チベット 語表記用記号)で代用できるともされている。

[編集 ] 関連項目

* 太極
* 易経
* 八卦
* 河図洛書
* 先天図
* 大韓民国の国旗 (太極旗)
* ニールス・ボーア - 理論物理学者。自身の紋章として太極図を選定。

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