資本主義経済の問題点:不連続的差異政治哲学と差異共生資本:共生支

商品経済とは何か。すべては、商品となるのか。近代的資本主義は、ユダヤキリスト教的であった。それは、憎悪主義的自我合理主義である。想像力・直観力を排除している。「もの」の経済であった。
 現代資本主義、ポストモダン資本主義、想像力・直観力資本主義において、「もの」と「こころ」がいわば融合化し、一如である。つまり、芸術化しているのである。コストと品質が重要である。品質が「こころ」である。
 問題は、コストである。価格とは何か。これは、基本的には市場主義的である。売り買いである。生産者と消費者の売買である。新自由主義理念は、市場の自由化である。それは、形式として認めよう。国家社会主義は、財政赤字や非効率性をもたらすからだ。
 しかし、新自由主義は、経済原理の問題であり、社会の問題とは切り離される。社会形成のための原理が必要である。それが、差異共存共創主義と考える。つまり、政治において、経済と社会との均衡を取る必要があるのである。D.H.ロレンスアレゴリー哲学を借りれば、政治は、「王冠」であり、「獅子」である経済と「一角獣」である社会とのバランスをとる必要があるのである。新自由主義と差異共存共創主義(差異共生主義、略して、差共主義ないし共差異主義 condifferencism)とのバランス・均衡がなくてはならない。結局、新自由主義は、経済原理に過ぎず、社会原理ではないのである。  
 この「王冠」哲学とは、政治哲学となる。これは、不連続的差異論的政治哲学である。不連続的差異論は、経済的には新自由主義を肯定するだろう。しかし、他方、社会的には、差異共生主義(差共主義)を肯定するのである。
 思うに、差異共生主義的な企業がこれから、注目され、また、評価されるだろう。差異共生主義的企業が、市場でも評価されるであろう。
 とまれ、差異共生主義社会のための、資本が必要である。これは、どこから得られるのか。差異共生資本はどこから得られるのか。後で、検討したい。

p.s. 共生主義的資本主義があるはずである。憎悪・他者排除的資本主義とは別に。地域活性化には、共生主義的発想が必要だろう。利己主義的資本主義では、地域零落となる。地域共生主義的資本主義である。

p.p.s. 新自由主義と差異共生主義とのバランスを取るには、このための政治理念・戦略が必要である。不連続差異政治哲学ではあるが、戦術として、差異共生主義のための資本を提供する企業にその分控除するのである。共生控除である。ここから、差異共生資本が捻出されるのである。共生主義が、これで、生命・血を得ることになろう。新自由主義と差異共生主義との結合である。「王冠」結合である。