アナクシマンドロスの断片:不連続的差異論との比較

「・・・また永遠なるものから温かいものと冷たいものを生むものがこの世界の生成にあたって分離し出され、そのものから焔の球のようなものが大地の周囲の空気の回りに、「樹皮」が木を取り巻くように生じたという。その球が破裂して、いくつかの環のようなものに閉じ込められたとき、太陽や月や諸星が配置されたのである。」
(強調は引用者)
『初期ギリシア自然哲学者断片集1』日下部吉信編訳 ちくま学芸文庫 p.79〜p.80)

「ところで、アナクシマンドロスタレスの弟子であった。アナクシマンドロスはプラクシアデスの子でミレトスの人。彼は諸存在の原理は無限定なある自然であり、それから天界とその中にある世界は生じたという。それは、永遠で年を取らないものなのであって、それがまた全世界を取り巻いているのである。彼はまた、生成や存在や消滅には一定の時が定められいるというように、時間を語っている。彼は「無限定なるもの」(ト・アペイロン)が諸存在の原理であり、元素であるといったが、この原理〔アルケー〕という名称を口にした最初の人である。またそれに加えて永遠の運動が存在し、その中で天界は生成してくることになるといった。大地は何ものによっても支えられていないが、すべてのものから等距離のところにあるがゆえに、宙に浮いているという。そのかたちは湾曲していて丸く、石柱に似ている。その平面の一方にわれわれは乗っているのであり、他方は対象の位置にある。諸星は火の輪であり、宇宙にある火から分離し出されたもので、空気によって包み込まれている。それには管状の息を吐くための孔が備わっていて、それを通して諸星は現れるのである。それゆえその呼吸孔が塞がれると触が生じる。月は、孔が閉ざされるか開かれるかによって、ある時には満ちたものとして現われ、ある時には欠けたものとして現われる。・・・」
同書 p.80〜81

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コメント:

アナクシマンドロスの「永遠なるもの」、「無限定なもの」、原理(アルケー)を、イデア界として、そして、「宇宙にある火」も、イデア界ではないか。そして、「諸星は火の輪」というのは、イデア・メディア境界を指しているのではないか。ここの「孔」から諸星が現われるというのは、メディア界ー現象界の事象ではないか。
 先に、メディア・ゼロ度のゼロ度を穴と考えたが、差異と差異との「空孔」を通して、イデア界の「太陽」が照射するというのは、考えられるのではないか。今、作業仮説的に言えば、差異1/差異2が、差異1φ差異2となるが、このφによる連続化が、生成消滅を意味するのではないか。つまり、有限性である。有限エネルギーである。そして、差異1/差異2に回帰するのではないか。後で、考察したい。