4つの力とダークエネルギー:現代物理学と不連続的差異論

先に、x軸のプラス領域の1/4回転で、4つの力が発生し、マイナス領域で、それらに対する反の4つの力が発生するような考え方をした。だから、+弱い力と−弱い力、等々である。
 ここで、直観から述べよう。1/4回転で、(0,0,z)の「特異点」が発生する。ここでは、+の力と−の力が、「結合」している。本当は、虚構の結合である。結合のシミュラクルであるが。ドゥルーズガタリが述べた「カオスモス」とは、この事象のことだ。また、D.H.ロレンスが、『エトルリアの地』で述べた壁画に描かれた「卵」も、これを意味するだろう。太極もこれを意味するだろう。そして、ダークエネルギー、暗黒エネルギーも、ここから発するだろう。
 問題は、プラスとマイナスの関係である。これは、道教易経のように、陰陽としていいだろう。プラスが陽、マイナスが陰である。そして、敷延すれば、マイナスが、暗黒物質ダークマターに関係するだろう。問題は、4つの力のことである。つまり、それらと、プラスとマイナスとの関係はどうなのかである。
 ここでも、直観から考えよう。プラスとマイナス、陰陽は根源的な対極的力学である。それらは、均衡性をもつだろう。原点を中心に、プラスとマイナスは、均衡しているのである。通常、プラスとマイナスは牽引するが、この場合は、プラスのベクトルとマイナスのベクトルのような関係ではないだろうか。即ち、
プラス=→、マイナス=←で、マイナス・←・原点・→・プラスとなる。しかし、同時に、やはり、マイナスとプラスは、牽引するだろう。一種反作用である。だから、
マイナス・⇔・原点・⇔・プラスとなる。
 さて、作業仮説として、ガウス平面において、これらの内在的力学が、x軸方向だけでなく、y軸方向にもはたらくと考えられるだろう。すると、イデア界の不連続的差異には、四方向の力がはたらくことになる。即ち、x軸の排斥力、牽引力、y軸の排斥力、牽引力である。これが、始原的な4つの力ではないか。明快にするため、便宜的に、排斥力を+に、牽引力を−にしよう。すると、【±x、±y】が、不連続的差異に作用していることになる。そして、これを、4つの力の起源としよう。弱い力は、x軸の排斥力、+xであり、強い力は、x軸の牽引力、−xとしよう。そして、光は、y軸の排斥力、+yであり、重力は、y軸の牽引力、−yとしよう。これで、一応、4つの力の起源を説明できるだろう。
 ここで、注意すべきは、この4つの力と全体・総体の力とを区別しなくてはならないことである。全体の力⊃4つの力である。そして、このことは、1/4回転して、ダークエネルギーカオスモス)が発生したときにも、適用される。つまり、4つの力では、ダークエネルギーは説明できないということである。
 また、さらに、問題は、x軸の+座標と−座標があることである。+座標の1/4回転と−座標の1/4回転が区別されるのである。つまり、陽の4つの力と陰の4つの力が形成されると考えられる。そして、両者の全体がメディア界のエネルギー(エネルゲイア)=ダークエネルギーであろう。つまり、ここには、鏡の対称性のような2つの世界が発生しているのである。世界と反世界と言ってもいいのかもしれない。思うに、この陰陽極性が、生物の根源的「性差」であろう。牽引と排斥が両面があるのである。(D.H.ロレンスが、『死んだ男』で表現した、イシスの巫女と死んだ男との女男の共立はこのことを意味しているのだろう。)
 ならば、光に対して反光が、重力に対して反重力があるのである。つまり、太陽に対して、反太陽が。反太陽とは、陰であり、おそらく、月ではないだろうか。太陽⇔月である。太陽・太陰である。また、反重力とは、例えば、植物や造山運動の垂直力ではないか。これは、らせん運動と関係するのだろう。というか、ダークエネルギーカオスモス=(0,0,z)において、現象化するときに、らせん的顕現化をするということであろう。渦巻星雲が代表的なものであるし、また、宇宙全体がそうであろう。おそらく、太陽系もらせん的ではないだろうか。(フィボナッチ数や黄金分割は、このダークエネルギーカオスモスの形相・法則であろう。)
 結局、万象の根源は、4つ力を包摂した第5の総体力であると言えるだろう。これを、仏教は、空としたのである。ヒンドゥー教は、ブラフマンとしたのである。思うに、ロレンスが述べた、暗黒の神(dark God)も、これを指すだろう。また、神話学者のジョセフ・キャンベルが説いた「神」も、これであろう。
 考察を展開すると、問題は、メディア界とイデア界の関係である。例えば、浄土教で言う、阿弥陀如来の無量光とは、何かである。あるいは、ロレンスのコスモスは何であるか、である。問題は、メディア界は、イデア界に通じていることである。イデア・メディア境界があるから、メディア界→イデア界である。プラトンのように、善の太陽を把捉できるのである。この問題は、イデア・メディア境界問題、IM境界問題と呼べるだろう。ここは、つまづきの領域である。ドゥルーズは、ここで、つまづいたのである。とまれ、メディア界を介して、イデア界をなんらか感知することができるのである。例えば、光を介して、イデア界を直感するのである。コスモスというとき、思うに、イデア界とメディア界の両方が意味されているように思われるのだが。だから、空海両界曼荼羅がありうるのだろう。また、初期ギリシアの哲学者の宇宙論にも、そのような区別が見られるのである。
 とまれ、哲学や宗教等では、イデア界が感知されているが、自然科学においてはどうなのだろうか。相対性理論量子力学の融合によって、メディア界的コスモスは説明できるだろう。しかし、今のままでは、根源界を説明できないのではないか。真空のエネルギーをどう説明するのか。真空の無限のエネルギーをどう説明するのか。ビッグバン以前をどう説明するのか。あるいは、もっと、根本的に、精神、心、感覚等の成立をどう説明するのか。真空に関しては、不連続的差異論は、ゼロ度の空間で説明できるし、ビッグバン以前は、イデア界で説明できるし、また、精神、心等に関しても、イデア界=直観智、メディア界=理性・想像力、現象界=主客二元論、二項対立力で説明できるのである。