黄金比と不連続的差異論:1

黄金比と不連続的差異論:1

黄金比の問題は、難問なので、もっと準備を行う必要があるが、ここで、簡単に、今イメージしていることを述べよう。
 物理学の4つの力と地水火風をアナロジー的に対応させることは、とり合えず、見合わせた方がいいだろう。それよりは、不連続的差異論から考えられる垂直・水平の4つの力との関連を考えた方がいいだろう。
 ここで、直観から述べていこう。イデア界は、即の世界であり、多数・無数の不連続的差異が、境界を隔てて、即「一」の状態にある。鈴木大拙の用語で言えば、即非である。あるいは、西田哲学の絶対矛盾的自己同一である。もっとも、この用語は、メディア界にもあてはまるのである。思うに、西田哲学の用語は、メディア界に限定した方がいいだろう。イデア界の即一・即非とは、メディア界の様態の矛盾的同一ではなくて、共立的同一、共立的一である。多が多のまま、一になるのである。
 とまれ、イデア界において、垂直対極(2つ)、水平対極(2つ)、そして、総合力(1つ)の5つの力・虚力が考えられると思う。この5つの力が、いわば、共立しているのである。それは、共立均衡となるのではないだろうか。5であるから、正五角形が発生するのではないだろうか。(イデア界の秘数は、5ないし3であろう。三位一体は、ここから来るのではないか。あるいは、三神性。)これを作業仮説として、イデア界の原正五角形ないし原五芒星形(アーキペンタグラム)としよう。つまり、イデア界は、多数・無数の不連続的差異が、原正五角形を構成しているということになる。これは、イデア界自体が、正五角形ないし五芒星形を構成しているということになるだろう。簡単に言えば、イデア界は、超五芒星形であるということである。超黄金比を成しているということである。これが、超光速なのである。超五芒星形が超光なのである。
 これが、1/4回転して、メディア界を形成するが、当然、メディア界は、黄金比のエッセンスをもって、垂直に捩れるだろう。つまり、黄金比らせん形成である。そして、これが、現象化して、森羅万象の様々なラセン形状・造形を発生させるのである。
 では、これを物理学で考えるとどうなのだろうか。イデア界には、5つの力・虚力があるのであるから、物理学も、4つの力ではなくて、5つの力を想定、前提しなくてはならないだろう。そして、5番目の力とは、当然、総合的な力であり、全体的均衡力である。そして、これが、最近注目され始めたダークエネルギーではないだろうか。ダーク力、暗黒力である。4つの力+暗黒力の5つの力で、不連続的差異論の原5元論に対応することになるだろう。そして、原五芒星形・原正五角形・原正十二面体が、宇宙・コスモスを貫徹しているということになるだろう。結局、ピタゴラス派、ピュタゴラス派のルネサンスである。あるいは、プラトンピタゴラス派・ルネサンスである。また、占術も新たに考え直されることとなるだろう。どうやら、現代は、古代ギリシア/イタリア・ルネサンスのスーパー・スーパー・ルネサンスの時代に突入したようである。ポスト・キリスト教的西洋文明である。
 ところで、不連続的差異論の三層界を数で表記すると、5/5/4あるいは、1/5/4あるいは、3/5/4となるだろう。14,10又は12となる。

参考
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity221.html
http://www.google.co.jp/search?q=%EF%BC%94%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%8A%9B&start=0&start=0&hl=ja&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8&client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP:official
http://www.geocities.jp/timstjp/bb1-dark-enargy.htm
http://ameblo.jp/renshi/entry-10007521097.html

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知・叡知の普遍空間の創造へ:事象共通平面の構築

様々な分野、領域に渡る考察や引用を行ってきて、だんだん、様々な(different)異質なもの、不連続的差異が、1つの知的空間に嵌まるような感じがしてきたのである。おそらく、不連続的差異の共通・普遍空間と言っていいだろう。イデア界・メディア界・現象界が共立するような超空間が形成され出したと言えよう。これは、意外に、三つ巴の文様が表現していることではないか。ボロメオの輪・結び目のような感じにも思えるが、それよりは、もっとシンプルだと思う。三層平面と言っていいようにも思える。というか、三層でもないのである。華厳経の事事無碍に近いと思うのである。つまり、イデア界の事象も事であり、メディア界の事象も事であり、現象界の事象も事であり、三者、事であることで、共通である。だから、事象共通平面、事象共通空間と言ってもいいのかもしれない。 
 後で、もう少し考えたい。