デュナミス/エネルゲイア/エンテレケイア

去年の3月のウェブログを見たら、現在の問題とほぼ共通のものを扱っている。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10000770998.html
一見、代わり映えしないようだが、実際は進展があったと言える。先に、メディア界を3層に分離したことが去年からの進展と言えるだろう。去年の3月は、メディア界の強度について悩んでいたのであり、不明確なままに終わったと思う。現在の視点から言うと、メディア界を3層に分けていなかったので、特異性と相補性がうまく分離されていなかったのである。その点は気づいてはいたが、うまく理論化できなかったのである。だから、現在の視点から、去年の問題を考えてみるのは意味がある。
 去年、メディア界におけるプラスの強度とマイナスの強度という問題を扱っていた。それは、今の視点では、メディア界の相補性の極性の問題である。確かに、ここにおいては、プラスとマイナスの極性が発生していている。しかし、去年は、この極性と特異性のいわば原強度(イデア界の力)とを混同していたし、また、同一性の「力」とも混同していたので、混乱して、解決できなかったのである。
 今の視点で整理しよう。問題は、力を規定しないといけない。即ち、イデア界、メディア界、現象界、それぞれの《力》を規定しないといけない。イデア界の《力》とは、知即力である。理念力である。これは、これまで呼んでいたデュナミスという用語を使用しよう。あるいは、ポテンシャル・エネルギーでもいいかもしれない。又は、潜在エネルギーでも、潜在力でもいいのかもしれない。そう、日本語の方が明快になるので、潜在力と呼ぼう。そして、メディア界の《力》であるが、それは、エネルギーの力であるので、エネルギー力と呼ぼう。そして、現象界は、運動力ないし顕在力である。
 すると、

A)潜在力/B)エネルギー力/C)運動力

が併存して、メディア界・メディア空間にはたらいていると言えよう。
 これを換言すれば、

A)不連続的差異/B)連続的差異/C)同一性

である。Bは極性力でいい。問題は、Aである。不連続的差異の力である。ここには、境界力があるのである。しかし、私は、水平/垂直性をここに想定している。この点は難しいので、限定しないでおく。だから、問題点は、AとBとCとの関係である。1/4回転による発出がある。また、内在的超越性・超越論性の段階がある。
 とまれ、すべての領域になんらかの極性を認めよう。
すると、±A/±B/±Cである。もっと、直截に表記すれば、
±A±B±Cである。2×2×2=8通りの力の様相があるだろう。そして、垂直/水平性を入れれば、4×4×4=64通りである。これは、八卦の数、コドンの数と同じである。思うに、±A±B±Cは、図的に、八卦に似ているだろう。
 さて、論点は、1/4回転の力学である。これにより、イデア/メディア境界において、二重構造が生じるのである。±A/±Bである。また、メディア/現象境界においても同様である。超越論的力は、回転後の世界を解体する方向にはたらくだろう。そう、だから、ここには、渦動があるのである。ひねり、捩りである。螺旋形状が発生するだろう。すると、陰陽性が2つ生じるだろう。イデア/メディア境界とメディア/現象境界においてである。ならば、イデア界☯メディア界☯現象界となる。二重陰陽である。(そして、メディア界が自体が陰陽なのであるから、
イデア界☯☯☯現象界となるだろう。3重陰陽である。)
 1/4回転・陰陽を介して、次の領域へと展開するのであるが、これは、反転するのである。イデア界⇔メディア界⇔現象界である。つまり、螺旋的回帰である。問題は、超越論的内在性である。現象界は、時空4次元と考えられている。しかし、これは、光というメディアを含んでいる。だから、メディア界的極性を含んでいるのである。量子力学相対性理論である。つまり、時空4次元という考えは、純粋な現象界のものではなくて、メディア界という超越論性を入れたコンセプトであると見なくてはならないだろう。メディア界的現象界なのである。つまり、メディア界という1次元+現象界の3次元=時空4次元である。しかし、メディア界は、粒子と波動の相補性の世界であるから、換言すると、空間と時間との相補性の世界だから、ここにおいて、相対性理論が発生するだろう。メディア界は3次元である。問題は、時空4次元をどう説明するかである。これは、1/4回転、捩れの問題であろう。その時、1次元増えるのではないだろうか。例えば、イデア界をガウス平面とすると二次元である。X軸とY軸の直交座標平面である。しかし、ここで、1/4回転するとき、平面に対して垂直方向に捩れるのである。だから、2+1で3次元である。同様に、メディア界から現象界へと1/4回転するとき、捩れて、1次元増えると言えるだろう。だから、3+1=4次元である。このとき、現象軸が発生する。これが、時間軸ではないだろうか。T軸と呼ぼう。X−Y−Z−Tの4次元時空間である。
 では、どうして、第4次元は、不可視なのか。時間軸はどうして見えないのか。それは、第4次元・時間軸に、現象界が内包されているからではないだろうか。ここで、イデア界からメディア界への1/4回転を考えよう。イデア界はガウス平面で、二次元・平面である。しかし、不連続的差異は、1次元である。X軸上に存しているのである。そして、1/4回転であるが、それで、メディア界が発生するが、それは、3次元であるが、差異は、メディア平面上にあると考えられるから、二次元である。同様に、メディア界からの1/4回転を考えると、それは、4次元となるが、差異としては(この場合は、同一性としての差異であるが)、3次元(空間)に存するということになるだろう。これで、第4次元、時間軸が見えない理由だろう。つまり、存在論上は、実際の次元よりも、一次元減るのである。
 ならば、本来時空4次元である現象界において、時間軸とは、どこに位置しているのか。メディア界を考えよう。メディア平面があるが(ドゥルーズガタリの内在平面とはメディア平面のことだろう)、これは、ガウス平面とは垂直関係にある。メディア界においては、イデア軸が不可視になるのである。
 このように考えると、メディア界においては、原初のイデア軸が減ったことになるのである。すると、先に推論は誤りになる。現象軸が、時間軸ではないだろう。おそらく、原初の軸が減るのだろう。つまり、イデア軸が時間軸となるのではないだろうか。メディア平面+現象軸で3次元空間である。ここで、現象軸を −X軸とすると、−X・Y・Zの3次元空間ができる。時間軸が+X軸である。すると、現象界において、時間軸とは、現象の裏側にあることになるだろう。1/2回転、180度回転したところにあるだろう。いわば、反世界にあるのだろう。というか、明快に、イデア界にあると言えばいいのだろう。 
 ならば、イデア軸である時間軸とは何であろうか。裏返しの空間ということだろうか。空間の裏返しとは何か。イデア界の裏返しとは何か。つまり、初めに、時間ありきではないのか。不連続的差異=イデアは時間ではないのか。それも超光速の時間であろう。無限速の時間ではないか。それが、メディア界で、光速に転換されるのだろう。すると、初めに、超光速・無限速の不連続的差異・イデアありき、である。そう、初めに、超時間ありきだろう。つまり、超時間・永遠が現象界の時間軸である。これはどういうことだろうか。超光速・無限速・超時間・永遠を、現象界において、いわば、スローモーションで見ているのではないだろうか。永遠の展開としての現象界ではないのか。正に、イデア界の影である。イデア界のスクリーンである。イデア界の幻燈である。そう、時間はエネルギーになっているのだ。E=mc^2は、1秒間のエネルギーである。だから、時間は、現象界においては、点であろう。だから、至るところに、時間軸があると言ってもいいし、どこにもないと言えるのだろう。
 後で再検討し、整理したい。