イデア界の回転と人生のサイクル

人生のサイクルとは、イデア界の回転に相応しているのではないか。


第1期:最初の1/4回転までの時期(メディア界の形成:幼年少年青年期)
第2期:第1期から2回目の1/4回転までの時期(成年前期期)


第3期:第2期から3回目の1/4回転までの時期(成年後期)
第4期:第3期から4回目の1/4回転(回帰)までの時期(老年期)


第1期と第2期が、生のエネルギー(+エネルギー)の時期
第3期と第4期が、死のエネルギー(−エネルギー)の時期


第2期と第3期の中間期が、所謂、厄年ではないだろうか。折り返し点である。ユングが中年の危機と言ったことに関係するのではないだろうか。また、死のエネルギーは、フロイトが晩年言った死の欲動に相応するのではないだろうか。第2期は現象界の時期である。第3期から脱現象界化、再メディア界化、そして、再イデア界化の志向が生起する。
 問題点として、死のエネルギー・マイナスのエネルギーが《侵入》・《襲来》・《急襲》すると、一般に、それを宗教化することである。即ち、既成の宗教を信仰したり、新興宗教やカルトに没入したりするのである。(思うに、ブッシュも、そういう面があるだろう。アル中であったが、「死の欲動」から、キリスト教の信徒になったのだ。)これは、正に、知性の危機である。思うに、この点で、宗教化して、反動化するのだ。大澤真幸氏の「アイロニカルな没入」はこれと共通するだろう。そう、《イデア界》の侵入なのだ。(SF作家フィリップ・K・ディックの『ヴァリス』や『聖なる侵入』とは、正にこの事象・事態・出来事による壊乱状態を描いているだろう。そして、さらに、人類史的なこの時期があるだろう。サイクルとしての人類史、つまり、らせん的回帰的人類史である。これを進化と言うべきなのか。進化というなら、らせん的進化と言うべきであろう。)この《イデア界》の「侵入」に対して、知性的であるのが正しいだろう。何故か。何故なら、これは、いわば、理念によるエネルゲイア、即ち、イデアエネルゲイア(参考:ホワイトヘッドの活動的存在)なのだから、理念的知性で「認識」するのが、本来であり、既成の宗教、あるいは、新興宗教で捉えるのは反動である。ただし、個的に、単独的に宗教とするならば、問題はないのである。キルケゴール的宗教、単独的宗教である。一言で言えば、ポスト宗教である。あるいは、不連続的差異的宗教である。
 最後に一言つけ加えれば、ポストモダン革命とは、ポスト西洋文明「進化」であろう。それは、イデア界への再帰である。1サイクル終えたのだ。ここで、西洋占星術が、それなりに、意味をもつ。というか、占星術は、イデア界的コスモス論の迷信化し、堕落したものなのだ。ポスト占星術である。つまり、イデア界的コスモス論の新生である。