同一性と差異の闘争について:近代主義的同一性構造中心主義とポスト

同一性と差異の闘争について:近代主義的同一性構造中心主義とポスト近代主義


同一性構造をもつ現象界自我の問題は、実に興味深いし、この問題をより鮮明に解明することで、現代の「精神」的衰退から脱出できる方法が明快になるだろう。
 先に述べた、差異1=差異2、差異1・同一性・差異2、自我=他者/他者=自我という、現象界自我における同一性構造(=近代的自我構造)において、同一性主導の差異への排除が為されるのであるが、その排除行為は、闘争ないし暴力ということになる。排除闘争・暴力である。
 しかし、差異は、メディア界やイデア界を内在・内包しているのであり、差異涵養によって、メディア界やイデア界へと進展できるものである。以前は、古典教養がそれを行なっていたのであるが、現代では、古典教養の他に、真の差異理論(我田引水になるが、これまでのポストモダン理論は、はっきりと言えば、欠点・欠陥があったのであり、そのために行き詰まったと考えられ、それを超克したのが、不連続的差異論である)が必須である。
 ここで、問題にしたいのは、同一性と差異との闘争・暴力関係の様相である。今日の知識人や文化人は、古典教養が崩壊・解体した時代に教育(戦後教育)を受けているので、同一性知性を基軸にして、差異を排除しているのである。つまり、近代的科学教育を身につけていて、差異のもつ内在性を排除しているのである。現代の知識人、文化人は、一般の人間よりは、古典教養を、それなりに、受容しているはずであるが、近代主義・同一性構造のために、それらを滋養にできないと考えられるのである。何故なら、古典教養は、差異において作用するものであるからである。単なる知識の受容で終わっているのである。つまり、同一性構造中心主義のために、差異を排除しているので、接した古典教養が身にならないと考えられるのである。戦後の教育によって、古典教養主義が解体して、近代科学主義、近代的合理主義、近代的自我主義を主流となる。つまり、同一性構造の科学・知識が中心となり、それ以外のあり方、即ち、差異を排除したのである。古典教養であるが、それは、本来、同一性構造ではなくて、差異に作用するものなのである。しかし、同一性構造が中心となったために、差異が排除されて、古典教養に接しても、受容できなくなったのが実際であったと考えられるのである。
 さて、同一性構造とは、二項対立思考であり、きわめて、単純である。他者を排除するのである。(これは、ユダヤキリスト教思考、つまり、超越一神教的思考の帰結であると考えられるのである。)戦後、このように同一性構造中心となり、差異が排除され、古典教養が本来的に受容されなくなったという事態があるのである。そして、今日、現代の日本は、この帰結であると言えるだろう。戦後のユダヤキリスト教同一性構造的近代主義の帰結である。【注意すべきは、西欧ないし欧米は、ユダヤキリスト教同一性構造一辺倒ではないことである。古代ギリシアの思想や母権的思想が明確に継承されていることである。簡単に言えば、プロテスタンティズム(同一性)とルネサンス(差異)の二重構造が西欧ないし欧米文化なのである。】
 また、同一性構造とは、近代科学とむすびついて、精神と物質の二元論となったのであり、現象界を物質現象として見る思考、即ち、唯物論が支配的になったのである。勿論、精神性はあるのであるが、近代科学や近代科学的技術(テクノロジー)が、唯物論的であるために、精神文化は軽視されたと言えよう。(参照:C. P. スノウの「二つの文化」)この点に注意しなくてはならない。同一性構造の唯物論的近代科学が主流になったことである。簡単に言えば、近代主義である。これは、資本主義経済と結びつき、他のあり方を排除したのである。簡単に言えば、差異の軽視・無視・排除である。同一性構造中心主義である。このために、伝統的な差異の文化が否定されるのである。古典教養とは、伝統的な差異の文化である。それは、エリート主義、貴族主義的であったのであるが。とまれ、近代主義的同一性構造中心主義は、差異的なものを否定するために、差異のもつ相補性を排除するのである。知識人・文化人が古典教養に接しても、同一性構造中心主義であるので、古典教養の差異性を摂取し、滋養・涵養とすることができないのである。これが、戦後の日本文化に起きたことと考えられるのである(以下の注を参考)。
 ということで、近代主義的同一性構造中心主義によって、古典教養的差異が摂取・消化・滋養化されない事態が生じたことがわかった。これが、本件の同一性と差異との闘争の真相である。近代的知識人・文化人と以前の教養人との異質性は、そこから生じているのである。結局、近代主義の超克なしには、古典教養は復活しないということである。
 とまれ、ここで、ポスト近代主義ないし後近代主義ポストモダンという用語は、多義的なので、これから、ポスト近代主義あるいは後近代主義という用語を用いたい)を考えると、問題の意味がよく理解されるだろう。近代主義とは同一性構造中心主義の帰結であり、ポスト近代主義とは、同一性構造中心主義に対する解体を志向するものである。即ち、同一性構造により排斥された《差異》を積極的に肯定する理論である。それは、近代主義において、背後に片づけられていた思想の積極的評価を意味する。構造主義は、ポスト近代主義の出発点の一つであり、ニーチェ哲学や現象学がポスト近代主義の原点となったのである。そして、ポストモダンという用語で、流行し、また、フランスにおいては、ポスト構造主義という用語で、ポスト近代主義が興隆し、また、日本においても、取り入れられて、流行したのである。
 しかし、問題は、ポスト近代主義の展開であった。それは、同一性構造を批判して、差異の様相を説いたのであるが、デリダ脱構築主義が典型のように、同一性と差異との極性をもってゆらぐ状態に留まり、同一性からは真に脱却できずにいたのである。ドゥルーズ(&ガタリ)哲学の場合は、デリダよりも、ある意味で、差異を徹底したのであるが、不連続的差異論が解明したように、ニーチェの説く特異性の絶対的差異と、ベルクソンハイデガーの連続的差異とを、区別できなかったのである。そのために、差異理論が、混乱してしまい、進展できずに、行き詰まってしまったのである。ドゥルーズ自身が、不明確になった点もあると思うのである。そのような袋小路の中、世界経済は、グローバリゼーションで、資本の同一化が進展したのであり、それに、立ち向かう理論がいわば払底してしまった状況になったのである。そして、現代は、差異理論が敗北して、反動化している状況である。
 しかし、そのような状況において、不連続的差異論が生まれたのである。それは、連続的差異とは明確に区別されるニーチェの絶対的差異を肯定した、徹底した差異理論である。絶対的差異理論である。これにより、ポスト近代主義が復活したと言えるのである。新ポスト近代主義である。そして、この視点から、グローバリゼーションを見ることができるだろう。新自由主義とは何か。市場原理とは何か。小さな政府とは何か。ここでは、簡単に述べるが、これは、ポスト近代主義の経済的様相であろう。これは、自由主義の単なる延長ではない。差異理論化があると思うのである。ケインズ国家主義的資本主義は、同一性構造中心主義である。それに対して、新自由主義は、資本の差異化を説いているのはないだろうか。それが、市場原理志向であろう。小さな政府論であろう。この点を見ないといけないと思う。ポスト近代主義としての新自由主義である。
 とは言え、それにはあまりに問題が多い。それは、資本の差異理論であり、国民や社会の差異理論ではないということである。資本以外の観点が抜けているのである。だから、極めて、短絡的なのである。新しい国民社会・世界を内包した差異理論が必要なのである。そして、私見では、それは、差異共立理論である。差異共立平和社会理論である。これについては、これまで、抽象的であるが、何度も言及しているので、ここではこれ以上述べない。
 ということで、本件のテーマから、かなり展開してしまったが、ここで閉じたい。


注:
これは、狭義には、モダニズムの問題である。モダニズムとは、なかなか複雑であるが、近代的同一性構造中心主義による古典教養の取り込みということができるだろう。思うに、史的には、モダニズムは、メディア界の新たな賦活の時期に発生した近代的同一性構造中心主義ではないだろうか。つまり、近代的同一性構造中心主義が基盤にありつつ、古典教養、差異を選別的に取り込もうした文化運動ではないんだろうか。文学で言うと、T. S. エリオットとエズラ・パウンドがちょうどそのようなものだろう。換言すると、差異を同一性構造に変換しようとする芸術運動である。だから、メディア/現象境界の領域に当たる。それも、メディア界→現象界という志向性を基調としているのである。私見では、アルゼンチンのモダニストボルヘスであるが、彼の文学は、メディア界性(神秘思想)を現象界に取り込もうとするものである。私としては、それほど、面白い作家ではないのであるが、モダニズムの一つの延長であり、モダニズムの記録である。そう、英米モダニズムは、ある意味で、フランス象徴主義の展開であるが、しかし、後者のもっている直接的な差異性を、同一性構造で加工したと言えるだろう。つまり、後者は、ロマン主義と古典主義(同一性構造)の均衡状態にあるのであり、前者は、ロマン主義性を抑圧・排除したのである。ところで、英米モダニズムは、資本主義の展開と関係しているはずである。T. S. エリオットの客観的相関物とは、正に、客観主義であり、それは、交換価値、とりわけ、金融資本ではないのか。そういえば、T. S. エリオットは、銀行員だった。《参考:「一九一六年の終わりに、彼は教師をやめ、ロンドン大学などでの講義や書評の仕事で生計を立てようとしたが思うようにいかず、一九一七年の三月にロイド銀行の植民地・海外部に就職した。彼はこの銀行で以後九年間働くことになった。」http://www1.seaple.icc.ne.jp/nogami/epih13.htm
》やはり、金融資本主義の発想がエリオットにあると思う。