不連続的差異論における1/4回転がもたらす力学構造は何か

後で検討したいが、簡単に触れる。
 最初は、2回の1/4回転を考えたが、今では、3回の1/4回転によって現象界が出現すると考えている。第1回目の1/4回転では、ゼロ化がもたらされ、第2回目の1/4回転では、同一性構造がもたらされ、第3回目の1/4回転では、完全な無化がなされると考えている。
 問題は、1/4回転がもたらす力学の意味である。(1/4回転をもたらす原力は、不連続的差異=イデアに内在する十字・直交力であると今は考えている。)X軸、Y軸、Z軸、P軸の直交する4次元を考えると、X軸上にあるイデアが、1/4回転して、Y軸上に変換する。XY平面が、イデア界であり、Y軸は、イデア/メディア境界である。
 そして、Y軸から1/4回転して、Z軸上へと移動する。YZ平面がメディア界であり、Z軸はメディア/現象境界である。
 そして、Z軸から1/4回転して、P軸上へ変換する。ZP平面が現象界である。
 ここで、わかりやすいので、Z軸を考えると、ここは、差異1・同一性・差異2ないし差異1=差異2となる境界領域である。ここでは、メディア界の相補性が否定・排除されるのである。つまり、メディア界のゼロ化は否定・排除されて、同一性が支配的になるのである。私はこれを、「ヤハウェ」同一性構造とでも呼びたい。結局、ここでの、1/4回転は、相補性が捩れて、否定されて、同一性が支配するということである。
 では、第1回目の1/4回転ではどうなのか。そこでは、イデア界の差異境界が捩れて、ゼロ化されると考えてきたが、このゼロ化とは、否定と言えないのか。つまり、イデア界の境界が否定されて、ゼロ度連結が生起するということではないのか。そうならば、問題は、境界が否定されたとき、どうして、2回目の1/4回転のような同一性構造に転化されないのかということである。これは、正に、イデア/メディア境界の問題である。何故、同一性化しないのかと考えると、最初の1/4回転においては、まだ、イデア界の不連続的差異=イデアの境界が残っているのである。つまり、境界且つ無境界(ゼロ化)である。境界と無境界の絶対矛盾的自己同一がここでは成立していると考えられるのである。だから、第2回目のような同一性化にはならないと考えられるのである。
 第2回目の1/4回転は、相補性且つ無相補性(同一性)、相補性と無相補性の絶対矛盾的自己同一を意味する。これで、疑問に答えたとしよう。
 ここで、現段階の私見の整理のため、図式化したい。第1回目の1/4回転を1stq回転、第2回目の1/4回転を2ndq回転、第3回目の1/4回転を3rdq回転と表記する。(qはquarter1/4の略である)


1stq回転:「母」自然宗教多神教母権制は発生する
2ndq回転:「父」:超越一神教父権制が発生する
3rdq回転:「子」:キリスト教が発生する

それでは、「聖霊」はどこに位置するだろうか。その前に、以上の図式を書き換えると、

イデア界:「母」:正しくは、「無」から「母」への転換
メディア界:「父」:正しくは、「母」から「父」への転換
現象界:「子」:正しくは、「父」から「子」への転換

となる。
 では、「聖霊」の位置はどうなるかと言えば、メディア界であろうが、「父」との志向性が反対になるのである。「父」は、イデア界→メディア界→現象界という→の志向性をもつが、「聖霊」は、現象界→メディア界→イデア界の→の志向性をもつだろう。つまり、これまで、マイナス・エネルギーと呼んだ方向である。
 そう考えると、さらに、問題は、1/4回転の意味である。最初の1/4回転は、イデア界、イデア平面、ガウス平面で起こる。では、2回目の1/4回転は、何によって生じるのか。先に、私は、最初の1/4回転は、不連続的差異=イデアに内在する十字・直交力によると述べた。つまり、不連続的差異=イデアの内在十字直交力が原力なのである。これが、最初の1/4回転をもたらすのであるから、同様に、2回目の1/4回転をもたらすと考えられよう。つまり、不連続的差異=イデアの内在十字直交原力が、すべての1/4回転の原動力であると考えられるのである。そう考えると、イデア界がメディア界を発生させ、メディア界が現象界を発生させるということがよく理解できるのである。つまり、イデア界の変容としてメディア界と現象界を把捉することができるのである。だから、イデア界は平面であるが、それがメディア界に変容すると、3次元立体になるのである。そして、メディア界が現象界に変容すると、4次元時空間になると明快に理解できるのである。また、このように考えると、現象界においても特異性・単独性=不連続的差異イデアが内在・内包されているという私の考えも明快に理解されるのである。不連続的差異=イデアが、現象界の個体に折り畳まれている、折り込まれていると言えよう。
 では、最大の問題の一つである時間とは何か、ということになる。時間は、不連続的差異=イデアの内在十字直交原力の展開的変容とどう関わるのだろうか。思うに、差異に内在する十字直交原力による1/4回転は、無限速度と考えられる。超光速と考えられる。無時間的である。だから、問題は、無時間と時間との関係である。また、光の問題である。差異原力(不連続的差異=イデアの内在十字直交原力)は、超光であろう。阿弥陀如来=無量光とは、このことだと思われる。
 光は、差異原力の無限速度で形成されるメディア界で発生すると考えられる。メディア界は差異と差異との相補性の領域であり、共鳴する差異の振動数が発生するのであるが、共鳴する差異が光、光子あるいは量子・素粒子であろう。ゼロ化によって、差異は共振・共鳴して、量子・素粒子に変容するのであり、このとき、光・光子が発生するのだろう。差異のゼロ度共振・共鳴が光となる。そして、ここに時間が発生すると言えるのではないだろうか。E=hν=mc^2のν やcに時間がある。
 ならば、現象界の時間とは何であろうか。あるいは、現象時空4次元とは何であろうか。あるいは、相対性理論とは何であろうか。メディア界3次元は3次元不可分時空間である。時間と空間が分離していない。時間と空間の相補性が成立している。思うに、差異の相補性の速度が時間に関わり、差異の相補性の関係が空間に関わるのではないだろうか。つまり、差異相補性が不可分時空間である。そして、これが、現象化するとき、相補性が同一性に否定されて、見掛け上、時間と空間が分離するのではないのか。即ち、差異1・同一性・差異2又は差異1=差異2であるが、同一性構造が、差異を同一性個体・同一体に変換するのである。つまり、差異1=差異2=同一体である。そして、この同一体が物体であり、物質となると言えよう。そして、同一性構造が、時間/空間の現象形式である(カントの超越論的形式)。思うに、共振・共鳴する差異(差異相補性)に同一性形式を強制・強要して成立するのが、現象空間ではないだろうか。ここで、喩えれば、映画の一コマ、一コマを共振する差異とすれば、それを、連続・同一化して映像化するのが、同一性形式・同一性知覚であるが、この同一性の映像化が、空間化であると言えるだろう。また、単に空間化だけでなく、連続・同一化という映像=現象化は、当然、時間の流れを喚起するのであるから、時間化も生起させると言えるだろう。言い換えると、共振的差異を同一化して、差異同一連続体を形成するのであり、この同一連続体の動きが時間と空間、即ち、時空4次元を形成すると言えるのではないだろうか。現象的同一体という空間と時間の発生は同時であるということになる。これが、相対性理論の意味ではないだろうか。そうならば、これまで、相対性理論を、メディア界の出来事と見たが、そうではなくて、メディア/イデア境界における現象化事象の理論と見るべきだろう。量子力学が、メディア界の理論であるなら、相対性理論は、メディア/現象境界→現象化の理論であろう。
 もう一度、同一連続体の4次元時空間について考察すると、同一性の「力」が、時間・空間の力を形成すると言えるだろう。では、同一性の「力」とは何か。相補性の「力」が量子・素粒子の「力」であると言えるが、ならば、同一性の「力」とは何か。これは、主観的には、2項対立の力・暴力である。差異を無化する力である。とりあえず、同一力と呼んでおこう。同一力が、現象時空4次元の力である。同一力が、時間と空間を同時に発現させると言えよう。同一力が大ならば、速度が速いだろうし、小ならば、速度が遅いだろう。
 では、同一力の力学構造はどのようなものだろうか。直観では、微分の力である。差異1→差異2において、→は極限値を表わすとすると、この→が同一性の志向性であり、微分の力である。差異1⇒差異2と表記しよう。そして、微分の重層化が積分であろう。微分積分同一化重層力=現象力は必然の力であり、仮象力とも言えるだろう。おそらく、この力がベルクソンの持続であろう。そして、時空間形成・形象力である。例えば、10kmの距離があるP地点からQ地点まで、20kgのお米を運搬しようとしよう。10kmや20kgが、現象力であろう。そして、それに消費する力も現象力であろう。
 結局、同一力とは、Z軸からの3回目の1/4回転を意味するだろう。微分積分的現象力である。
 では、先にも触れたが、相対性理論量子力学の関係が問題となるだろう。確かに、現象界は時空4次元連続体である。そして、相対性理論は、これを説明する。しかし、光速度一定の問題がある。これは、現象界ではなくて、メディア界の事象を意味しているのではないだろうか。つまり、相対性理論とは、メディア界から現象界への転化する事象を問題にしているのだろう。そして、量子力学とは、現象界からメディア界への探究を意味するのではないだろうか。両理論は、やはり、メディア界という点で、共通性をもつだろう。
 さて、次に、イデア界の不連続的差異の内在十字直交原力について簡単に考えよう。この原力は、フッサールの超越論的主観性に相当し、また、差異同士の関係は、間主観性・相互主観性ということになろう。この内在十字直交原力、略して、十字原力ないし原十字力であるが、これは、理念の力であり、無限速度、超光速であると考えられよう。超光である。永遠の絶対力である。永遠回帰力である。無限力である。この理念力は、全知であり、潜在(デュナミス)的には全能であろう。「全知全能の神」とは、このイデア界の不連続的差異=イデアないしその総体を指していると言えよう。また、スピノザの神即自然の神もこれを指しているだろう。また、グノーシス主義の至高神もこれを指しているだろう。ついでに言えば、天照大神もこれを指しているだろう。プラトンの善のイデアである。
 さて、最後に、脱構築力について考えたい。これを、これまで、マイナス・エネルギー、死のエネルギーと考えてきたが、1/4回転の視点から見ると、反転ではないか。つまり、3回の1/4回転をプラスの回転とすると、4回目からの回転は、反転になり、脱構築作用をもつのではないか。つまり、3回目の1/4回転で、現象界に達した差異・イデアは、今度は、反転して、メディア界、さらにイデア界へと回帰するのではないのか。つまり、4回目の1/4回転で、現象界からメディア/現象境界(逆にして、現象/メディア境界)に回帰し、5回目の1/4回転で、イデア/メディア境界(逆にして、メディア/イデア境界)に回帰し、そして、6回目の1/4回転で、イデア軸(X軸)に回帰するということではないのか。つまり、計6回の1/4回転で、イデア界に永遠回帰することになるのではないか。6のサイクルである。しかし、イデア軸はプラスだけでなく、マイナスや原点もあるから、複雑になるだろう。マイナスのイデアを含めると、さらに計6回の1/4回転があり、合計12回となるだろう。原点は無変化だろう。今は、ここで考察を留めよう。

後で検討したいが、簡単に触れる。
 最初は、2回の1/4回転を考えたが、今では、3回の1/4回転によって現象界が出現すると考えている。第1回目の1/4回転では、ゼロ化がもたらされ、第2回目の1/4回転では、同一性構造がもたらされ、第3回目の1/4回転では、完全な無化がなされると考えている。
 問題は、1/4回転がもたらす力学の意味である。(1/4回転をもたらす原力は、不連続的差異=イデアに内在する十字・直交力であると今は考えている。)X軸、Y軸、Z軸、P軸の直交する4次元を考えると、X軸上にあるイデアが、1/4回転して、Y軸上に変換する。XY平面が、イデア界であり、Y軸は、イデア/メディア境界である。
 そして、Y軸から1/4回転して、Z軸上へと移動する。YZ平面がメディア界であり、Z軸はメディア/現象境界である。
 そして、Z軸から1/4回転して、P軸上へ変換する。ZP平面が現象界である。
 ここで、わかりやすいので、Z軸を考えると、ここは、差異1・同一性・差異2ないし差異1=差異2となる境界領域である。ここでは、メディア界の相補性が否定・排除されるのである。つまり、メディア界のゼロ化は否定・排除されて、同一性が支配的になるのである。私はこれを、「ヤハウェ」同一性構造とでも呼びたい。結局、ここでの、1/4回転は、相補性が捩れて、否定されて、同一性が支配するということである。
 では、第1回目の1/4回転ではどうなのか。そこでは、イデア界の差異境界が捩れて、ゼロ化されると考えてきたが、このゼロ化とは、否定と言えないのか。つまり、イデア界の境界が否定されて、ゼロ度連結が生起するということではないのか。そうならば、問題は、境界が否定されたとき、どうして、2回目の1/4回転のような同一性構造に転化されないのかということである。これは、正に、イデア/メディア境界の問題である。何故、同一性化しないのかと考えると、最初の1/4回転においては、まだ、イデア界の不連続的差異=イデアの境界が残っているのである。つまり、境界且つ無境界(ゼロ化)である。境界と無境界の絶対矛盾的自己同一がここでは成立していると考えられるのである。だから、第2回目のような同一性化にはならないと考えられるのである。
 第2回目の1/4回転は、相補性且つ無相補性(同一性)、相補性と無相補性の絶対矛盾的自己同一を意味する。これで、疑問に答えたとしよう。
 ここで、現段階の私見の整理のため、図式化したい。第1回目の1/4回転を1stq回転、第2回目の1/4回転を2ndq回転、第3回目の1/4回転を3rdq回転と表記する。(qはquarter1/4の略である)


1stq回転:「母」自然宗教多神教母権制は発生する
2ndq回転:「父」:超越一神教父権制が発生する
3rdq回転:「子」:キリスト教が発生する

それでは、「聖霊」はどこに位置するだろうか。その前に、以上の図式を書き換えると、

イデア界:「母」:正しくは、「無」から「母」への転換
メディア界:「父」:正しくは、「母」から「父」への転換
現象界:「子」:正しくは、「父」から「子」への転換

となる。
 では、「聖霊」の位置はどうなるかと言えば、メディア界であろうが、「父」との志向性が反対になるのである。「父」は、イデア界→メディア界→現象界という→の志向性をもつが、「聖霊」は、現象界→メディア界→イデア界の→の志向性をもつだろう。つまり、これまで、マイナス・エネルギーと呼んだ方向である。
 そう考えると、さらに、問題は、1/4回転の意味である。最初の1/4回転は、イデア界、イデア平面、ガウス平面で起こる。では、2回目の1/4回転は、何によって生じるのか。先に、私は、最初の1/4回転は、不連続的差異=イデアに内在する十字・直交力によると述べた。つまり、不連続的差異=イデアの内在十字直交力が原力なのである。これが、最初の1/4回転をもたらすのであるから、同様に、2回目の1/4回転をもたらすと考えられよう。つまり、不連続的差異=イデアの内在十字直交原力が、すべての1/4回転の原動力であると考えられるのである。そう考えると、イデア界がメディア界を発生させ、メディア界が現象界を発生させるということがよく理解できるのである。つまり、イデア界の変容としてメディア界と現象界を把捉することができるのである。だから、イデア界は平面であるが、それがメディア界に変容すると、3次元立体になるのである。そして、メディア界が現象界に変容すると、4次元時空間になると明快に理解できるのである。また、このように考えると、現象界においても特異性・単独性=不連続的差異イデアが内在・内包されているという私の考えも明快に理解されるのである。不連続的差異=イデアが、現象界の個体に折り畳まれている、折り込まれていると言えよう。
 では、最大の問題の一つである時間とは何か、ということになる。時間は、不連続的差異=イデアの内在十字直交原力の展開的変容とどう関わるのだろうか。思うに、差異に内在する十字直交原力による1/4回転は、無限速度と考えられる。超光速と考えられる。無時間的である。だから、問題は、無時間と時間との関係である。また、光の問題である。差異原力(不連続的差異=イデアの内在十字直交原力)は、超光であろう。阿弥陀如来=無量光とは、このことだと思われる。
 光は、差異原力の無限速度で形成されるメディア界で発生すると考えられる。メディア界は差異と差異との相補性の領域であり、共鳴する差異の振動数が発生するのであるが、共鳴する差異が光、光子あるいは量子・素粒子であろう。ゼロ化によって、差異は共振・共鳴して、量子・素粒子に変容するのであり、このとき、光・光子が発生するのだろう。差異のゼロ度共振・共鳴が光となる。そして、ここに時間が発生すると言えるのではないだろうか。E=hν=mc^2のν やcに時間がある。
 ならば、現象界の時間とは何であろうか。あるいは、現象時空4次元とは何であろうか。あるいは、相対性理論とは何であろうか。メディア界3次元は3次元不可分時空間である。時間と空間が分離していない。時間と空間の相補性が成立している。思うに、差異の相補性の速度が時間に関わり、差異の相補性の関係が空間に関わるのではないだろうか。つまり、差異相補性が不可分時空間である。そして、これが、現象化するとき、相補性が同一性に否定されて、見掛け上、時間と空間が分離するのではないのか。即ち、差異1・同一性・差異2又は差異1=差異2であるが、同一性構造が、差異を同一性個体・同一体に変換するのである。つまり、差異1=差異2=同一体である。そして、この同一体が物体であり、物質となると言えよう。そして、同一性構造が、時間/空間の現象形式である(カントの超越論的形式)。思うに、共振・共鳴する差異(差異相補性)に同一性形式を強制・強要して成立するのが、現象空間ではないだろうか。ここで、喩えれば、映画の一コマ、一コマを共振する差異とすれば、それを、連続・同一化して映像化するのが、同一性形式・同一性知覚であるが、この同一性の映像化が、空間化であると言えるだろう。また、単に空間化だけでなく、連続・同一化という映像=現象化は、当然、時間の流れを喚起するのであるから、時間化も生起させると言えるだろう。言い換えると、共振的差異を同一化して、差異同一連続体を形成するのであり、この同一連続体の動きが時間と空間、即ち、時空4次元を形成すると言えるのではないだろうか。現象的同一体という空間と時間の発生は同時であるということになる。これが、相対性理論の意味ではないだろうか。そうならば、これまで、相対性理論を、メディア界の出来事と見たが、そうではなくて、メディア/イデア境界における現象化事象の理論と見るべきだろう。量子力学が、メディア界の理論であるなら、相対性理論は、メディア/現象境界→現象化の理論であろう。
 もう一度、同一連続体の4次元時空間について考察すると、同一性の「力」が、時間・空間の力を形成すると言えるだろう。では、同一性の「力」とは何か。相補性の「力」が量子・素粒子の「力」であると言えるが、ならば、同一性の「力」とは何か。これは、主観的には、2項対立の力・暴力である。差異を無化する力である。とりあえず、同一力と呼んでおこう。同一力が、現象時空4次元の力である。同一力が、時間と空間を同時に発現させると言えよう。同一力が大ならば、速度が速いだろうし、小ならば、速度が遅いだろう。
 では、同一力の力学構造はどのようなものだろうか。直観では、微分の力である。差異1→差異2において、→は極限値を表わすとすると、この→が同一性の志向性であり、微分の力である。差異1⇒差異2と表記しよう。そして、微分の重層化が積分であろう。微分積分同一化重層力=現象力は必然の力であり、仮象力とも言えるだろう。おそらく、この力がベルクソンの持続であろう。そして、時空間形成・形象力である。例えば、10kmの距離があるP地点からQ地点まで、20kgのお米を運搬しようとしよう。10kmや20kgが、現象力であろう。そして、それに消費する力も現象力であろう。
 結局、同一力とは、Z軸からの3回目の1/4回転を意味するだろう。微分積分的現象力である。
 では、先にも触れたが、相対性理論量子力学の関係が問題となるだろう。確かに、現象界は時空4次元連続体である。そして、相対性理論は、これを説明する。しかし、光速度一定の問題がある。これは、現象界ではなくて、メディア界の事象を意味しているのではないだろうか。つまり、相対性理論とは、メディア界から現象界への転化する事象を問題にしているのだろう。そして、量子力学とは、現象界からメディア界への探究を意味するのではないだろうか。両理論は、やはり、メディア界という点で、共通性をもつだろう。
 さて、次に、イデア界の不連続的差異の内在十字直交原力について簡単に考えよう。この原力は、フッサールの超越論的主観性に相当し、また、差異同士の関係は、間主観性・相互主観性ということになろう。この内在十字直交原力、略して、十字原力ないし原十字力であるが、これは、理念の力であり、無限速度、超光速であると考えられよう。超光である。永遠の絶対力である。永遠回帰力である。無限力である。この理念力は、全知であり、潜在(デュナミス)的には全能であろう。「全知全能の神」とは、このイデア界の不連続的差異=イデアないしその総体を指していると言えよう。また、スピノザの神即自然の神もこれを指しているだろう。また、グノーシス主義の至高神もこれを指しているだろう。ついでに言えば、天照大神もこれを指しているだろう。プラトンの善のイデアである。
 さて、最後に、脱構築力について考えたい。これを、これまで、マイナス・エネルギー、死のエネルギーと考えてきたが、1/4回転の視点から見ると、反転ではないか。つまり、3回の1/4回転をプラスの回転とすると、4回目からの回転は、反転になり、脱構築作用をもつのではないか。つまり、3回目の1/4回転で、現象界に達した差異・イデアは、今度は、反転して、メディア界、さらにイデア界へと回帰するのではないのか。つまり、4回目の1/4回転で、現象界からメディア/現象境界(逆にして、現象/メディア境界)に回帰し、5回目の1/4回転で、イデア/メディア境界(逆にして、メディア/イデア境界)に回帰し、そして、6回目の1/4回転で、イデア軸(X軸)に回帰するということではないのか。つまり、計6回の1/4回転で、イデア界に永遠回帰することになるのではないか。6のサイクルである。しかし、イデア軸はプラスだけでなく、マイナスや原点もあるから、複雑になるだろう。マイナスのイデアを含めると、さらに計6回の1/4回転があり、合計12回となるだろう。原点は無変化だろう。今は、ここで考察を留めよう。

後で検討したいが、簡単に触れる。
 最初は、2回の1/4回転を考えたが、今では、3回の1/4回転によって現象界が出現すると考えている。第1回目の1/4回転では、ゼロ化がもたらされ、第2回目の1/4回転では、同一性構造がもたらされ、第3回目の1/4回転では、完全な無化がなされると考えている。
 問題は、1/4回転がもたらす力学の意味である。(1/4回転をもたらす原力は、不連続的差異=イデアに内在する十字・直交力であると今は考えている。)X軸、Y軸、Z軸、P軸の直交する4次元を考えると、X軸上にあるイデアが、1/4回転して、Y軸上に変換する。XY平面が、イデア界であり、Y軸は、イデア/メディア境界である。
 そして、Y軸から1/4回転して、Z軸上へと移動する。YZ平面がメディア界であり、Z軸はメディア/現象境界である。
 そして、Z軸から1/4回転して、P軸上へ変換する。ZP平面が現象界である。
 ここで、わかりやすいので、Z軸を考えると、ここは、差異1・同一性・差異2ないし差異1=差異2となる境界領域である。ここでは、メディア界の相補性が否定・排除されるのである。つまり、メディア界のゼロ化は否定・排除されて、同一性が支配的になるのである。私はこれを、「ヤハウェ」同一性構造とでも呼びたい。結局、ここでの、1/4回転は、相補性が捩れて、否定されて、同一性が支配するということである。
 では、第1回目の1/4回転ではどうなのか。そこでは、イデア界の差異境界が捩れて、ゼロ化されると考えてきたが、このゼロ化とは、否定と言えないのか。つまり、イデア界の境界が否定されて、ゼロ度連結が生起するということではないのか。そうならば、問題は、境界が否定されたとき、どうして、2回目の1/4回転のような同一性構造に転化されないのかということである。これは、正に、イデア/メディア境界の問題である。何故、同一性化しないのかと考えると、最初の1/4回転においては、まだ、イデア界の不連続的差異=イデアの境界が残っているのである。つまり、境界且つ無境界(ゼロ化)である。境界と無境界の絶対矛盾的自己同一がここでは成立していると考えられるのである。だから、第2回目のような同一性化にはならないと考えられるのである。
 第2回目の1/4回転は、相補性且つ無相補性(同一性)、相補性と無相補性の絶対矛盾的自己同一を意味する。これで、疑問に答えたとしよう。
 ここで、現段階の私見の整理のため、図式化したい。第1回目の1/4回転を1stq回転、第2回目の1/4回転を2ndq回転、第3回目の1/4回転を3rdq回転と表記する。(qはquarter1/4の略である)


1stq回転:「母」自然宗教多神教母権制は発生する
2ndq回転:「父」:超越一神教父権制が発生する
3rdq回転:「子」:キリスト教が発生する

それでは、「聖霊」はどこに位置するだろうか。その前に、以上の図式を書き換えると、

イデア界:「母」:正しくは、「無」から「母」への転換
メディア界:「父」:正しくは、「母」から「父」への転換
現象界:「子」:正しくは、「父」から「子」への転換

となる。
 では、「聖霊」の位置はどうなるかと言えば、メディア界であろうが、「父」との志向性が反対になるのである。「父」は、イデア界→メディア界→現象界という→の志向性をもつが、「聖霊」は、現象界→メディア界→イデア界の→の志向性をもつだろう。つまり、これまで、マイナス・エネルギーと呼んだ方向である。
 そう考えると、さらに、問題は、1/4回転の意味である。最初の1/4回転は、イデア界、イデア平面、ガウス平面で起こる。では、2回目の1/4回転は、何によって生じるのか。先に、私は、最初の1/4回転は、不連続的差異=イデアに内在する十字・直交力によると述べた。つまり、不連続的差異=イデアの内在十字直交力が原力なのである。これが、最初の1/4回転をもたらすのであるから、同様に、2回目の1/4回転をもたらすと考えられよう。つまり、不連続的差異=イデアの内在十字直交原力が、すべての1/4回転の原動力であると考えられるのである。そう考えると、イデア界がメディア界を発生させ、メディア界が現象界を発生させるということがよく理解できるのである。つまり、イデア界の変容としてメディア界と現象界を把捉することができるのである。だから、イデア界は平面であるが、それがメディア界に変容すると、3次元立体になるのである。そして、メディア界が現象界に変容すると、4次元時空間になると明快に理解できるのである。また、このように考えると、現象界においても特異性・単独性=不連続的差異イデアが内在・内包されているという私の考えも明快に理解されるのである。不連続的差異=イデアが、現象界の個体に折り畳まれている、折り込まれていると言えよう。
 では、最大の問題の一つである時間とは何か、ということになる。時間は、不連続的差異=イデアの内在十字直交原力の展開的変容とどう関わるのだろうか。思うに、差異に内在する十字直交原力による1/4回転は、無限速度と考えられる。超光速と考えられる。無時間的である。だから、問題は、無時間と時間との関係である。また、光の問題である。差異原力(不連続的差異=イデアの内在十字直交原力)は、超光であろう。阿弥陀如来=無量光とは、このことだと思われる。
 光は、差異原力の無限速度で形成されるメディア界で発生すると考えられる。メディア界は差異と差異との相補性の領域であり、共鳴する差異の振動数が発生するのであるが、共鳴する差異が光、光子あるいは量子・素粒子であろう。ゼロ化によって、差異は共振・共鳴して、量子・素粒子に変容するのであり、このとき、光・光子が発生するのだろう。差異のゼロ度共振・共鳴が光となる。そして、ここに時間が発生すると言えるのではないだろうか。E=hν=mc^2のν やcに時間がある。
 ならば、現象界の時間とは何であろうか。あるいは、現象時空4次元とは何であろうか。あるいは、相対性理論とは何であろうか。メディア界3次元は3次元不可分時空間である。時間と空間が分離していない。時間と空間の相補性が成立している。思うに、差異の相補性の速度が時間に関わり、差異の相補性の関係が空間に関わるのではないだろうか。つまり、差異相補性が不可分時空間である。そして、これが、現象化するとき、相補性が同一性に否定されて、見掛け上、時間と空間が分離するのではないのか。即ち、差異1・同一性・差異2又は差異1=差異2であるが、同一性構造が、差異を同一性個体・同一体に変換するのである。つまり、差異1=差異2=同一体である。そして、この同一体が物体であり、物質となると言えよう。そして、同一性構造が、時間/空間の現象形式である(カントの超越論的形式)。思うに、共振・共鳴する差異(差異相補性)に同一性形式を強制・強要して成立するのが、現象空間ではないだろうか。ここで、喩えれば、映画の一コマ、一コマを共振する差異とすれば、それを、連続・同一化して映像化するのが、同一性形式・同一性知覚であるが、この同一性の映像化が、空間化であると言えるだろう。また、単に空間化だけでなく、連続・同一化という映像=現象化は、当然、時間の流れを喚起するのであるから、時間化も生起させると言えるだろう。言い換えると、共振的差異を同一化して、差異同一連続体を形成するのであり、この同一連続体の動きが時間と空間、即ち、時空4次元を形成すると言えるのではないだろうか。現象的同一体という空間と時間の発生は同時であるということになる。これが、相対性理論の意味ではないだろうか。そうならば、これまで、相対性理論を、メディア界の出来事と見たが、そうではなくて、メディア/イデア境界における現象化事象の理論と見るべきだろう。量子力学が、メディア界の理論であるなら、相対性理論は、メディア/現象境界→現象化の理論であろう。
 もう一度、同一連続体の4次元時空間について考察すると、同一性の「力」が、時間・空間の力を形成すると言えるだろう。では、同一性の「力」とは何か。相補性の「力」が量子・素粒子の「力」であると言えるが、ならば、同一性の「力」とは何か。これは、主観的には、2項対立の力・暴力である。差異を無化する力である。とりあえず、同一力と呼んでおこう。同一力が、現象時空4次元の力である。同一力が、時間と空間を同時に発現させると言えよう。同一力が大ならば、速度が速いだろうし、小ならば、速度が遅いだろう。
 では、同一力の力学構造はどのようなものだろうか。直観では、微分の力である。差異1→差異2において、→は極限値を表わすとすると、この→が同一性の志向性であり、微分の力である。差異1⇒差異2と表記しよう。そして、微分の重層化が積分であろう。微分積分同一化重層力=現象力は必然の力であり、仮象力とも言えるだろう。おそらく、この力がベルクソンの持続であろう。そして、時空間形成・形象力である。例えば、10kmの距離があるP地点からQ地点まで、20kgのお米を運搬しようとしよう。10kmや20kgが、現象力であろう。そして、それに消費する力も現象力であろう。
 結局、同一力とは、Z軸からの3回目の1/4回転を意味するだろう。微分積分的現象力である。
 では、先にも触れたが、相対性理論量子力学の関係が問題となるだろう。確かに、現象界は時空4次元連続体である。そして、相対性理論は、これを説明する。しかし、光速度一定の問題がある。これは、現象界ではなくて、メディア界の事象を意味しているのではないだろうか。つまり、相対性理論とは、メディア界から現象界への転化する事象を問題にしているのだろう。そして、量子力学とは、現象界からメディア界への探究を意味するのではないだろうか。両理論は、やはり、メディア界という点で、共通性をもつだろう。
 さて、次に、イデア界の不連続的差異の内在十字直交原力について簡単に考えよう。この原力は、フッサールの超越論的主観性に相当し、また、差異同士の関係は、間主観性・相互主観性ということになろう。この内在十字直交原力、略して、十字原力ないし原十字力であるが、これは、理念の力であり、無限速度、超光速であると考えられよう。超光である。永遠の絶対力である。永遠回帰力である。無限力である。この理念力は、全知であり、潜在(デュナミス)的には全能であろう。「全知全能の神」とは、このイデア界の不連続的差異=イデアないしその総体を指していると言えよう。また、スピノザの神即自然の神もこれを指しているだろう。また、グノーシス主義の至高神もこれを指しているだろう。ついでに言えば、天照大神もこれを指しているだろう。プラトンの善のイデアである。
 さて、最後に、脱構築力について考えたい。これを、これまで、マイナス・エネルギー、死のエネルギーと考えてきたが、1/4回転の視点から見ると、反転ではないか。つまり、3回の1/4回転をプラスの回転とすると、4回目からの回転は、反転になり、脱構築作用をもつのではないか。つまり、3回目の1/4回転で、現象界に達した差異・イデアは、今度は、反転して、メディア界、さらにイデア界へと回帰するのではないのか。つまり、4回目の1/4回転で、現象界からメディア/現象境界(逆にして、現象/メディア境界)に回帰し、5回目の1/4回転で、イデア/メディア境界(逆にして、メディア/イデア境界)に回帰し、そして、6回目の1/4回転で、イデア軸(X軸)に回帰するということではないのか。つまり、計6回の1/4回転で、イデア界に永遠回帰することになるのではないか。6のサイクルである。しかし、イデア軸はプラスだけでなく、マイナスや原点もあるから、複雑になるだろう。マイナスのイデアを含めると、さらに計6回の1/4回転があり、合計12回となるだろう。原点は無変化だろう。今は、ここで考察を留めよう。