「気」とは何か:エーテル体とアストラル体とは何か

ヌース理論との遭遇から、はっきり、メディア界が、量子・素粒子の世界であり、同時に、心身の世界であることが確認できた。
 私は、「霊」を否定しているのであるが、しかし、「気」とは、「地霊」のようなものは存在していると考えている。人間の心(心身)は、量子であるから、「気」も量子である。あるいは、電磁波である。これは、自然科学・物理学的に証明・検証できるのである。例えば、人間は歩くと電磁波を発生させるのであるが、それは、その人固有の電磁波で、飼い犬は、それをキャッチするのである。心も同様だと思うのである。心身の量子が、発出していると思うのである。雰囲気とは、それに関係するものだろう。
 そう考えると、いわゆる「霊(スピリット)」も、同様だと思うのである。量子である。しかし、ある固有な、特有な量子であろう。また、ユングの言った共時性シンクロニシティ)も、これで説明できるだろう。量子が共振するのである。
 心を病む人は、心身の量子状態の共振エネルギーが滞っているのだろう。正しい知と正しい意志と正しい気持ちを持つ必要があるのであるが、それが、阻害されているために心身の病気になるのだろう。東アジアでは、風水が盛んであるが、これも、同様である。量子の共振エネルギーの賦活を目指していると考えられるのである。
 さて、問題は、霊学のシュタイナイーが説くアストラル体エーテル体の違いである。これをどう説明するのか。私の直観を言おう。アストラル体(共感性)もエーテル体(「気」)も、基本的には、量子であろう。メディア界の事象である。ただ、アストラル体は、境界ゼロ度共振=量子に直に関係していると言えるだろう。光に対する感受性は、アストラル体に関係するだろう。夜明けの光を見て、歓喜するのは、アストラル体に拠るのだろう。
 では、エーテル体はどういう説明ができるのだろうか。同じく、量子に関係しているのであるが、直観では、より身体に関係している量子であろう。つまり、アストラル体が、より心・精神に関係している量子であるのに対して、エーテル体は、より身体・鉱物的身体に関係していると思えるのである。つまり、諸感覚に関係しているのである。即ち、根源的志向性であるノエシスは、根源的自我であり、それが、ノエマ(諸感覚)と即非となるが、このノエシスノエマにおいて、/のノエシス面がアストラル体であり、/のノエマ面がエーテル体ではないだろうか。換言すると、


1.ノエシス(根源的自我)→2.アストラル体→3.エーテル体→4.ノエマ(諸感覚・身体)


ではないだろうか。こう図式化すると、シュタイナーのアントロポゾフィー人智学)の自我→アストラル体エーテル体→鉱物身体の四層的人体論は、不連続的差異論/ヌース理論のイデア論に取り込むことができると考えられるのである。また、これが、肯定できれば、これまでの、オカルト主義は、イデア量子論として、書き換えられて、吸収されるだろう。ポスト・オカルト主義である。そして、明確に、ポスト・モダン科学化されるだろう。