私は、うつ病の老母の介護を足掛け8年間をやってきて、介護保険を利

私は、うつ病の老母の介護を足掛け8年間をやってきて、介護保険を利用して、なんとか、老母の世話をや

テーマ:日本賎民

『toxandriaの日記』の以下の論考への私のコメントを掲載する。
『[暴政 ]「愛国心 」の説教 よりも先ず「国民 愛」を宣ったらどうだ、小泉首相 ?』
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060517/p1

_______________________________
renshi 『toxandriaさま
私は、うつ病の老母の介護を足掛け8年間をやってきて、介護保険を利用して、なんとか、老母の世話をやってもらっていますので、負担割合の増加は、身に応えます。
 私は、福祉に関して、手厚い制度を確立するか、現代姨捨山を復活するか、のどちらかだと、周囲の人に言ってきました。しかし、負担増加は、実質、現代姨捨山路線ですね。私が考えていたのは、違うものですが。
 とまれ、教育に関しても、なんて言うのか、反動的な「空気」が支配していて、これが、実に厄介だと思っています。私もそうなりがちですが、支配的な空気の気圧されて、無言のままになってしまうことです。無言を強いる権力があるのです。
 また、マスコミは、今や、完全に大衆操作の機関ですね。視覚の問題がありましたが、テレビは、いちばんの曲者です。見ることは信じることです。見るだけで、洗脳されるのです。人間の脳が、おそらく、視覚に同一化するように反応するのではないかと思われます。不連続的差異論から言うと、正に、メディア界が、視覚に同化されて、共振・共感して、批判機能が麻痺するのだと思います。
 例えば、小泉首相を例に出しましょう。私は、彼の話し方を聴いて、すぐ、パフォーマンスと直観できます。なぜ、こんな簡単なことを見抜けない国民が多くいるのでしょうか。それは、視覚・聴覚に知性が同化しているからでしょう。では、どうして、私は、そうならないのかといいますと、視覚・聴覚に同化していないからです。これは、知的認識の問題だと思います。この知は、超越論的知だと思います。また、丁寧に言いますと、私の共感性と知性との相互作用から、小泉氏の発言は、ゴマカシであると気がつきます。この共感性と知性との連関が批評のポイントではないかと思います。これは、対極性なのかもしれません。騙される国民は、対極性がなくて、連続・同一性の自我しかないのではないかと思われます。
 対極的認識をつけるには、真の教育が必要です。私は、ポスト教育として、導学を考えたりします。個において、感じ、考えなくては、真実の感覚・知性になりません。これを導く導者が必要だと思っています。』

renshi(補足) 『toxandriaさま

私が、テレビに映り語る小泉首相を、観察するとき、当然、視覚と聴覚を働かせます。視覚的には、にこやかな顔をしています。そして、マイクのあるデスクに両手をついて、小泉氏が話します。先には、小泉氏の話し方からわかると言いましたが、正確に言いますと、話すポーズと話し方の両者の関係の観察から、胡散臭さを直観していると思います。
 視覚と聴覚は、メディア界に属しているでしょう。しかし、同一性自我=近代的自我《日本人が近代的自我を真にもっているのかは、問題ではありますが)は、この視覚・聴覚に対して、当然、連続・同一化します。これは、批判力の麻痺です。
 差異の欠落、これが、狂気暴政を生んでいると、哲学的には考えられます。
 日本人の自我の問題ですが、正確に言いますならば、近代的自我というよりは、主客未分化的自我ではないかと思われます。ですから、同一性自我とこれとが結びついて、実に集団主義全体主義ファシズムになりやすいのだと思われます。』
トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060517

* 教育問題の基本は、教育の場を家庭に戻すことと、国の関与の限定で...
* 医療制度「改革」法案が強行採決で、やっと報道
* 国際条約を盲目的に締結することが国際化ではない。
* 共謀罪の問題は、ポイントを犯罪の具体的構成要件と相互主義の問題...
* 強行採決
* 小泉首相の役割は