わたしの「輪廻転生」:コスモス叡知体の到来

わたしの「輪廻転生」:コスモス叡知体の到来


わたしは、父権主義の権化のような父の下に、父権主義に支配された母権主義の母の下に、生まれ育った。私の心身には、両者が同居して、葛藤してきた。今にして、私の人生の矛盾の構造がよくわかるのである。即ち、私の内部の、戦後唯物論教育に染められた父権主義に対して、潜在し、埋没していた母権主義的なものが反抗し、母権主義に潜在するメディア界コスモス、コスモス叡知体を表現しようとするディオニュソス的衝動(破壊的創造性)が爆発すること、これが、私の人生の矛盾・葛藤の意味であり、換言すれば、それが、私の不連続な差異である。心身に内在しているコスモス叡知体を、知性的に顕在化すること、これが、私の「ミッション」である。これが、プラトンの真善美の叡知体の現代的表現である。だから、現象界の理不尽さを、憎み、憤激し、批判・否定するのだ。そう、ユートピア思想の誤りは、叡知体が超越論的内在界に存することを認識していない夢想であることだろう。ソフィア・トピア(叡知トピア)が超実在(虚実在)しているのである。
 このコスモス叡知体に森羅万象はネットワーク的に連なり、連創しているのである。思うに、ホワイトヘッド有機体哲学は、このコスモス叡知体の哲学のように推測できるのである。そして、華厳経大乗仏教全般は、このコスモス叡知体を探究していると考えられるのである。そして、神秘学、神秘思想、神秘主義は、コスモス叡知学へと進展されるべきである。そして、自然科学も、叡知学の現象形態的知性として理解されるだろう。一切合切が、コスモス叡知体にあるのである。コスモス・ソフィア・ボディである。
 
p.s. D.H.ロレンスが、正に、このコスモス叡知体を文学・哲学的に表現するために、西欧近代主義父権制・二項対立・キリスト教・「プラトニズム」に挑んだのである。彼自身内部に巣くう父権制と闘い、晩年において、超克し勝利したのである。コスモス叡知体にロレンスは到達したのである。
 コスモス叡知体は、20世紀前半に、探求されたものであるが、その後、神秘学・オカルティズムがそれを、反動的に探求したのである。ニューエイジやニューサイエンス等がそうである。哲学においては、ドゥルーズがこれを、差異哲学として、復活させたと言えるだろう。しかし、いわゆる、ポスト・モダンやポスト構造主義は、このコスモス叡知体を理解していなかった。
 そして、今や、日本において、不連続的差異論やヌース理論として、哲学・数学・自然科学的に、明確に探究されているのである。そして、新プラトンシナジー理論NEW PLATONIC SYNERGY THEORYという総称を、KAISETSU氏から提起されているのである。
 
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コスモス叡知体の解明へ向けて:真善美の叡知体=メディア界的イデア

以下、http://ameblo.jp/renshi/entry-10013520833.html#c10023239985
における半田氏のコメントを《 》で括り、赤色にする。(尚、コメント欄が今不調なので、本文へ移した。)

■倫理と元素的なもの

renshi氏 さま

いつもご丁寧な回答をいただき、ありがとうございます。

>差異の問題は、レヴィナスに言及されているように、倫理の問題でもありますね。私は初めから、差異を倫理の問題と思ってきました。(また、同時に、エロスの問題だと思います。倫理がなければ、エロスはないと思っています。

 同感です。単独自我が自身を多様体へと開かせるときに、真に倫理的なものが出現してくるということでしょうね。これは他者への生成、創造的なものの出現と言い換えることができるのだと思います。
 こうした場所における倫理とは、通常の間主観関係とは全く違うものですね。レヴィナス的に言えば「実存者なき実存」の領野に出現する結合手のようなものであり、そこには未来を浸食することのない永遠の現在が息づいている。いや、第三の反復という意味では、真の未来が出現する。ドゥルーズはそうした純粋な内在の開示を「一つの生」と呼んでいたと思いますが、ここで形成されていく多様体としての身体性の形成秩序が「汝と我」という関係の本質なのだと思います。スピノザはその身体性に能動知性における倫理と幾何学の関係を目撃していたのかもしれません。

 ヌース理論はこの「一つの生」の領域に息づく身体性こそが原子(イデア)だと考え、そこに出現する高次の幾何学的身体性を「ヒト」と呼んでいます。ご存知のように、ドゥルーズは『ミシェル・トゥルニエと他者なき世界』で諸元素が天空的なものとして生成されていく素晴らしいイマージュを展開していましたが、まさに、そうした元素の在り方を詩的にではなく、明確な知性として再現させようと考えているのがヌース理論です。

 不連続的差異論で言われているメディア界とは、このイデア性への反響がもたらしているものであり、不連続的差異の出現によって、メディア界はその隠された構造性を露にし、イデア界へと変貌するということなのではないでしょうか。これは、物質的には素粒子の内部に潜む原型構造を雛形として、元素界が再生成されていくということを意味するのだと思います。潜在的なものから顕在的なものへ――神秘学でいうところの月と太陽の結婚ですね。
半田広宣 (2006-06-12 11:06:30)

半田さま

慧眼の洞察力で感服します。
おっしゃる通りだと思います。
「身体」とは心身のことだと私は思っています。
 そうですね。私の心身感性から言いますと、「神秘」的なコスモスとの合一とは、自然なものでした。このコスモス合一的感性と現象界知性をどのように折り合いをつけるのかが、私の長年の問題でした。しかし、不連続的差異を理論化することで、コスモス合一性が、現象界知性から分離して、メディア界的コスモスに変容したと思います。換言しますと、それまで、メディア界と現象界が未分化で、感性と知性とが分裂していました。しかし、不連続的差異知性の理論化で、メディア界は、不連続的差異の共振界であることが判明し、単なる感性の対象から知性の対象へと変容したのではと思っています。
 確かに、ドゥルーズは、元素界ということで、直観的には、不連続的差異のレベルにあったように思います。しかし、不思議なことにそれを十分に理論的には展開しなかったと思っています。おそらく、ドゥルーズは、何度も述べていますが、イデア界→メディア界とメディア界→現象界を混同している節があります。
 とまれ、ヌース理論との「連詩」的対話(連話・連論・連言・連知、等と造語したい:p.s. 連創がいいだろう。)により、「こころ」の叡知体が明確になってきました。ロレンスが、闇の太陽dark sunと呼んでいたものが、叡知体、コスモス叡知体だと思います。これまでの神秘学は、叡知学と呼ばれるべきでしょう。

p.s. フィリップ・K・ディックヴァリスや、タルコフスキーソラリスも、コスモス叡知体ですね。

参考

VALIS has been described as one node of an artificial satellite network originating from the star Fomalhaut in the Piscis Austrinus constellation. According to Dick, the Earth satellite used "pink laser beams" to transfer information and project holograms on Earth and to facilitate communication between an extraterrestrial species and humanity. Dick claimed that VALIS used "disinhibiting stimuli" to communicate, using symbols to trigger recollection of intrinsic knowledge through the loss of amnesia , achieving gnosis . Drawing directly from Platonism and Gnosticism , Dick wrote in his Exegesis: "We appear to be memory coils (DNA carriers capable of experience) in a computer-like thinking system which, although we have correctly recorded and stored thousands of years of experiential information, and each of us possesses somewhat different deposits from all the other life forms, there is a malfunction - a failure - of memory retrieval ."

At one point, Dick claimed to be in a state of enthousiasmos with VALIS, where he was informed his infant son was in danger of perishing from an unnamed malady. Routine checkups on the child had shown no trouble or illness; however, Dick insisted that thorough tests be run to ensure his son's health. The doctor eventually complied, despite the fact that there were no apparent symptoms. During the examination doctors discovered an inguinal hernia , which would have killed the child if an operation was not quickly performed. His son survived thanks to the operation, which Dick attributed to the "intervention" of VALIS.

Another event was an episode of xenoglossia . Dick's wife transcribed the sounds she heard him speak, and discovered that he was speaking Koine Greek , an ancient dialect which he had never studied. As Dick was to later discover, Koine Greek was originally used to write the New Testament and the Septuagint . However, this was not the first time Dick had experienced xenoglossia. A decade earlier, Dick claimed he was able to think, speak, and read fluent Latin under the influence of Sandoz LSD-25 .

http://en.wikipedia.org/wiki/VALIS