toxandoria氏の日記からエッセンスの抜粋:プロトモダン・コスモス・

toxandoria氏の日記からエッセンスの抜粋:プロトモダン・コスモス・キャピタリズムへ向けて


《「人間 理解に関する健全な観念」を持つという資質(=近未来 の現実 社会 についての構想をつくる)》

《近未来 について一定の仮説をつくる能力がある」》

《本能的・直感的に「近未来 の危機を仮説している」》

《“市民社会 における現実 的な「因果 律の連鎖」(自然 ・生命・文化のリアリズム )に関する「想像 力」(=未来 の社会 についての構想力)》

小泉政権 下の規制緩和 の流れ(米国 からの外圧 による)が、実は特定の政商との結びつきの中で形成されてきたものであること》

■ [民主主義の危機 ]「米最高裁 のブッシュ 違憲 判断」と「日本国民 の悲惨な現況」をカムフラージュ した日米首脳会談http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060703/p1
から
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ここで、私が言いたいことは哲学的なことである。不連続的差異論の適用である。想像力・構想力・仮説力、これらは、個・差異において生起するものである。そして、それに対して、連続集合観念をもっていると、それに淫して、叡知が喪失されると考えられるのである。小泉政治の場合、正に、連続集合観念が支配的なのだろう。とりわけ、言及されているような政商の存在である。これが、小泉政治の連続集合的観念を生産しているのだろう。この集合性に染まっている人たちがいるのであり、いわば、狂気であるから、怪物なのである。見方を、自己差異ではなくて、連続集団に置く人たち、これらが、現在の日本人のマジョリティなので、小泉ファシズムになっているのである。
 連続集合観念=ファシズムを断ち切ること。いかにして。自己を不連続な差異であると認めること。これによって、「悟り」が開けるのである。即ち、差異共振のメディア・コスモスが生まれるのである。共感性のコスモスでもある。そして、ここは、差異共立の速度があるのである。そう、換言すると、ここは、直観速度の世界である。理屈を超えた世界である。フッサールの生活世界であろう。民衆の精神世界である。これは、思うに、近代合理主義科学の光速度の世界とは、次元の異なる世界である。超光速の世界である。《神》の世界、絶対的普遍的《神》の世界である。(ここから見ると、諸宗教は、派生物に過ぎない。ヤハウェも、ブッダも、キリストも、アッラーも、天照大神も、この「支部・支局・支店」に過ぎない。)超光速の《神》である。そして、これが、自己差異なのである。「梵我一如」である。ミクロコスモス=マクロコスモスなのである。これが、ニーチェの超人の真意であろう。東方キリスト教でいう、神人化(テオーシス)に通じる。思うに、沖縄のイザイホーは、同類の儀礼であったろう(残念ながら、中断されてしまった)。カントの「物自体」である。
 toxandoria氏が、積極・能動的に述べていられる想像力・構想力・仮説力等は、この《神》から発する個的能力である。これが、プロトモダン(原近代)の差異共生共創のグローカル・コスモス・ポリス・シナジー体を創造するのである。結局、政商・小泉ファシズムは、プロトモダンを喪失した連続・同一性近代主義なのである。ここでは、連続・同一性=光即闇であり、差異=闇即光である。光を超えた光を見なくてはならない。超光であるが、それは、阿弥陀如来(無量光)の光でもある。不可視の光である。これこそ、政商・小泉ファシズムを溶解するものである。プロトモダンは、不可視の光・太陽の絶対的普遍的世界・宇宙・自然へと回帰するのである。
 資本主義は、プロトモダンへと回帰しないといけない。プロトモダン・キャピタリズムになることで、カオスからコスモスへと新たに新生するのである。コスモス・キャピタリズムである。《神》のキャピタリズムである。新生ルネサンスである。
 思うに、政商・小泉ファシズム反動資本主義ではなく、ここでいう、プロトモダン・コスモス・キャピタリズムは、toxandoria氏があげているような優良企業に内在していると言えよう。反動近代主義ファシズムを破砕しないといけない。なにとぞ、破砕せよ!